花魁とは何をする人?仕事内容や避妊方法、実在した人物を簡単に紹介

勝山

勝山を描いた浮世絵
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勝山は江戸初期の伝説的な花魁(当時の呼称は大夫)で、花魁道中の「外八文字」の歩き方を始めた人物といわれています。元々は私娼窟を兼ねた風呂屋の従業員でしたが、自ら考案した武家風の「勝山髷」を結い、派手な衣装で歩き回り江戸の女性がこぞって真似をしたと伝わっています。

武家風な「勝山髷」を編み出したらしい
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しかし当時違法だった私娼窟は幕府に逮捕され、そのまま身柄を吉原に引き渡されて遊女になりました。しかし元々人気があったために吉原で「大夫」まで登りつめたといいます。彼女の馴染みは諸大名の家臣や豪商などだったといいます。

榊原高尾

榊原高尾
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「高尾太夫」という世襲制の吉原大夫の中で、6代目「榊原高尾」が特に有名な人物です。彼女は唯一大名の側室になった花魁です。

元々「三浦屋」という大見世の役職で、適任者がいなければ不在になる太夫でした。そんな高尾太夫の6代目・榊原高尾は、元々花屋の娘で非常に美貌の持ち主だったために江戸中から花を買いに来る男性がいたほどだったといいます。

榊原政岑が城主だった姫路城
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しかし父が病気になったために吉原に売られ遊女になりましが、たちまち売れっ子となったために6代目の「高尾太夫」を世襲しました。そこで榊原高尾は、気晴らしに吉原に出かけた姫路城城主大名の榊原政岑に一目ぼれをされたといわれています。

榊原政岑は贅沢な振る舞いが徳川吉宗の怒りを買い、僻地の越後高田に転封されています。高尾は越後高田についていき、そこで夫の榊原政岑が死去。その後江戸に戻り夫の菩提を弔ったといいます。68歳まで生き、江戸の下屋敷に暮らしていました。当時病で亡くなってしまうことが多い遊女にとって、榊原高尾は憧れのサクセスストーリーとなりました。

小紫太夫

小紫太夫を描いた画
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真実の愛のために自害をした有名な花魁です。和歌が巧みなために紫式部に因んで「小紫太夫」と呼ばれました。花魁で絶頂の人気を誇っていましたが、実は藩士の「平井権現」という人物と恋仲になっていました。

しかし権現は貧乏だったために身請けどころか一晩通うことすらままならない状態でした。そのため小紫会いたさに強盗や辻斬りを繰り返し捕まって処刑されてしまいました。それをしった小紫は悲しみますが、身請けの話が舞い込んできます。

権現・小紫の比翼塚
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しかし権現としか添い遂げる気がなかった小紫は、身請けの日に権現の墓の前で自害してしまいました。二人の墓があった東昌寺は現在廃寺になっているために、目黒不動瀧泉寺の門前に現存しています。

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花魁にまつわる逸話

花魁の小話を紹介
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ここでは花魁にまつわる裏話などの逸話を紹介します。

逸話1:身請け金は5億円に昇ることも?

仙台高尾を身請けした伊達綱宗、色欲に溺れた暗君と評価されている
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花魁を身請けするためには、大変お金が必要でした。一般的に当時のお金で1000両、現在の価格で4000万円程だったといいます。ただし分かっている花魁の中で高額な身請け金が支払われたのは、「仙台高尾」と呼ばれる女性で、総額5億円というお金が支払われたといいます。

支払ったのは仙台藩主の伊達宗綱でした。しかし身請けしても仙台高尾がなびかず、結局船上で吊るし一刀のもとに斬り捨てられたと伝わっています。そして高尾の遺骸はその先の岸に流れ着き、その場所に稲荷を建てました。後年大水により稲荷が壊れて建て直すときに、女性のものと思われる骨が出てきたそうです。

逸話2:「薄雲太夫」は招き猫の由来なった?

薄雲太夫は猫を「玉」と付けて可愛がっていた

江戸初期の太夫「薄雲太夫」は、招き猫の由来になった人物です。薄雲は猫を「玉(たま)」と名づけ可愛がっていました。玉は厠にも付いてきていたそうです。そこであまりにしつこいので、女郎屋の者が、猫が薄雲に取り憑いたと思い、玉の首を斬り落とすと玉の首は厠に潜んでいた大蛇をかみ殺してしまいました。

薄雲の猫の像が招き猫の由来になったという説がある
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薄雲は自分を助けるつもりだった猫を死なせてしまったことを後悔して、西方寺に猫塚を建てて祀り、馴染みの客が贈った猫の木彫り像を大事にしていたそうです。それは薄雲が亡くなった後、西方寺に寄進されました。ちなみに薄雲は源六という男性に350両という大金で身請けされ、記録は残っていませんが幸せに暮らしていたのではないでしょうか。この猫が縁起物ものとして招き猫になったのではないかといわれています。

逸話3:花魁の帯が前結びである様々な理由

花魁の写真を見ると確かに前に帯を結んでいる
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花魁の帯が前結びなのは何故か?主な理由3つ考えられています。一つの理由は帯の一番美しい刺繍の部分をはっきり見せるためで、自分の顔と共に「もっとも美しい自分を見せる」といったもの。

もう一つは「一夜妻」という習慣です。本来帯を前で結ぶというのは、既婚者女性の証でした。しかし家事に不便なために徐々に廃れていったのですが、吉原には残り「家事や生活と無縁の一夜の妻として帯を結ぶ」として演出されたといわれています。

明治時代の公家の女性、帯は見えないが家事をすることはなかっただろう(写真は高倉寿子)
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また家事に不向きという前結びは、公家などの上流階級の家事をする必要のない女性は前に結ぶこともありました。花魁たちも身請けされて上流階級に近づきたいという気持ちで、吉原では前に結んでいたのでは?という説もあるそうです。

花魁は現在も実在するのか?

京都島原に店を構える輪違屋
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花魁道中を再現したイベントやファッションを真似して撮影することが多いですが、今も花魁という職業はいるのか?という疑問が出てきます。結論から言うと、1957年に売春防止法という法律が出来たために遊郭は無くなり、花魁もいなくなりました。

ただし京都島原の輪違屋という店に、「太夫」が現在3名在籍しているそうです。現在芸妓として活躍し、踊りを宴会で披露したり花魁道中と同じような「太夫道中」を行っています。

花魁の古写真

花魁と禿
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花魁道中
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花魁道中
出典:Quora
明治時代の花魁、遣り手と禿と共に
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明治時代の花魁
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花魁を扱った作品

花魁を扱った作品を紹介
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さくらん (KCデラックス イブニング)

花魁たる女性のプライドに焦点を置いた、吉原遊郭の独特な世界を描いた作品です。吉野モヨコの美しい絵も美しく、内容はシビアなのですがテンポよく話が進んで読みやすい作品です。続編が出てほしいという声がよく聞かれる名作です。

花魁炎上 (J.Jコミック)

遊郭を生きる女性の「暗い部分」が強く出ている漫画です。お店もお客も色々とあり、遊郭という「見かけは華やかな女の地獄」を感じさせる作品です。週刊実話ザ・タブーに連載されていた話がコミック化した作品であり、遊郭を知るのに読んでみたい本です。

花宵道中

安達祐実が主演の映画です。遊郭の女性の心情を切なく表し、映像も綺麗だという評判です。特に安達祐実のファンの人には嬉しい作品だと考えられます。子役からのベテランの安達祐実の演技力にも定評がある一作です。

花魁に関するまとめ

いかがでしたでしょうか?今回「花魁」という職業に焦点を置いて執筆しましたが、感想は華やかな衣装の古写真や絵が沢山残っており、いかに花魁が人々の関心を持っていたのかが分かるような気がします。

闇の部分を多く持つ花魁ですが、一般人が「玉の輿に乗れる」可能性を秘めた職業でもあったといいます。色々な憧れが江戸時代、集大成されたという花魁という職業をざっくりでしたが読んで知ったという方がいたらとても嬉しく思います。長い記事を最後まで読んでいただきありがとうございました。

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