土偶が作られた3つの目的
縄文時代の人々が土偶を作った理由をより細分化して解説していきます。
豊穣祈願(ほうじょうきがん)
1つ目は、土偶は五穀豊穣をの祈りの末に作られたという考えです。この豊穣への祈りは、地母神(じぼしん)という「多産、肥沃、豊穣をもたらす神」への祈りに通底しています。
大地を神格化させ、それに対して崇拝の念を持つことによって、豊かな生殖と豊穣をもたらそうとするのは、農耕民族の特徴的な宗教観でもありました。その体現として土偶は作られたとされています。
鎮魂(ちんこん)
2つ目は、土偶は死者をかたどりその魂を鎮めるために作られたという考えです。当時、人間が死ぬとその精霊を清める祭祀が行われていました。その際に死者に似た形の土人形を作り、その魂を懸命に清めようとしたのではないか、と考えられています。
土偶の多くが女性をモチーフにされているのは、出産によって母子が亡くなることが多く、そのたびに女性の魂を清めていたからだとする説も存在しています。現在でも、お墓や仏壇などの「死者を想起させるもの」を作ろうとします。縄文時代には、その役割を土偶が担っていたのかもしれません。
平癒祈願(へいゆきがん)
3つ目は病気平癒の目的です。縄文時代には今のような医学技術はありません。したがって祈りの力を用いて病気や障害の平癒を祈願し、そこで土偶が用いられたと考えられてもいます。
体の悪い部分があればそこをわざと破壊したりと、自分や誰かの体を土偶に見立てて平癒を祈願したとという考えは容易く想像できるのではないでしょうか。出土した土偶の中には、赤ちゃんの形をした土偶が内部に入っているものも発見されています。亡くなった子どもを再び母親の胎内に戻し「再生」を祈願したのでないかと想定されています。
このように、体の形に似つかせることによって、土偶に病気や怪我などを反映させているという説も根強く支持されています。
土偶の種類
土偶の種類は時代によって異なり、多様に変化しました。どのようなものが出土しているのか詳しく説明していきます。
土偶の種類 | 時代 |
---|---|
粥見井尻遺跡出土土偶 (かゆみいじりいせき しゅつどどぐう) | 縄文時代・草創期 |
三内丸山遺跡出土土偶 (さんないまるやまいせき しゅつどどぐう) | 縄文時代・前期 |
立像土偶 (りゅうぞうどぐう) | 縄文時代・中期 |
ハート形土偶・ ミミズク土偶 | 縄文時代・後期 |
遮光器土偶 (しゃこうきどぐう) | 縄文時代・晩期 |
粥見井尻遺跡出土土偶(縄文時代・草創期)
約1万3000年前、縄文時代草創期に作られたとされる日本最古の土偶は粥見井尻遺跡から出土した土偶です。顔や足の表現はなく、首と女性の胸部と見られる膨らみがあるシンプルな作りが特徴。
縄文時代草創期に作られた土偶は粥見井尻遺跡から出土したものの他に、滋賀県相谷熊原遺跡から出土した土偶の2体のみ。どちらも手のひらに入るほどの小さなサイズです。
大きな集落の建物跡から発見された土偶で、どのような用途で用いられていたかは分かっていませんが、1万3000円前という太古にも、何かしらの宗教観があったことが分かる非常に貴重な史料とされています。
三内丸山遺跡出土土偶(縄文時代・前期)
草創期から大きな変化を見せたのが、縄文時代前期の土偶です。三内丸山遺跡から出土した土偶には、顔と表情、模様が付けられています。草創期と変わらないのが胸部とくびれの部分。
当時の日本は温暖な気候に恵まれるようになり、人口も爆発的に増加しました。そのために生命の誕生や豊穣に重点が置かれていたことが予想されています。女性の胸部などの女性性の表現が多いのは「生命」「生殖」のイメージを大切にしていたからかもしれません。
立像土偶(縄文時代・中期)
初めて日本で土偶が作られてから6000年経った後の縄文時代中期には、その顔表現はさらに広がるほか、自立できるような構造に進化しました。くびれは維持されながらも足や腕を持つように変化。ほかにも、内部が空洞の土偶が作られたり、今までのものより大きな土偶が作られたのも縄文時代中期の土偶の特徴です。
さらには東北地方では平面が目立つ板状の土偶が流布するようになりました。大集落が増えるに連れ、大量に土偶が作られたと考えられています。
ハート・ミミズク型土偶(縄文時代・後期)
縄文時代後期に誕生したのがハート型土偶です。顔の部分がハート形になっていることからこのように呼称されています。
「仮面を被っている」「デフォルメした顔面ではないか」などといった説もありますが、いずれにしても真相は分かっていません。腹部に妊娠線が書かれているものが多く、これらも女性をかたどった土偶とされています。
一方、ミミズク土偶も縄文時代後期に登場する特徴的な土偶。デフォルメされた顔部分が、みみずくに似ていることからこのように呼ばれています。耳には丸い装飾物が付き、髪の毛が結われていることから当時の風俗を知ることができる土偶でもあります。
ハート形土偶とは異なり、頭部が非常に大きい半面身体部分が平たく作成されているために、自立できないのも特徴。手に持ったり、壁に立てかけるなどの方法で使われていたのではないかと予想されています。
遮光器土偶(縄文時代・晩期)
縄文時代後期に誕生したのは遮光器土偶です。目の誇張部分が、シベリアやカナダの先住民族が雪中行動する際に身に着ける「遮光器」(スノーゴーグル)に似ていることから、「遮光器土偶」と呼ばれるようになりました。
胴部には紋様が施されているほか、朱色に塗られていた痕跡も多くあります。焼く際にひび割れしないように大型のものは内部が空洞になっているのも特徴です。
遮光器土偶にある特殊な特徴は、足や腕など体の一部が欠損しているものがほとんどで、破損・切断されている部分はアスファルトで何度も修復されている痕跡があること。豊穣祈願などの祭祀の際に、同じ遮光器土偶を何度も壊しては使用していたことが考えられています。