人事政策
大御所時代は賄賂が盛んに行われ、幕府内は腐敗していました。忠邦はそんな大御所時代の役人を次々と左遷しました。左遷された人数は旗本が68人、御家人が894人と非常に大規模なものでした。一方で鳥居耀蔵(とりいようぞう)、遠山景元、矢部定謙(やべさだのり)、川路聖謨、高島秋帆などといった新しい人物を登用します。
経済政策
人返し令
人返し令とは、江戸に住んでいた農村出身者を強制的に出身地へ返すことです。江戸後期になると貨幣経済が発達し、地方の農民の中にはよりよい収入を求めて都市へ移住する者が増えました。農民の移住により農村の生産高は減少、幕府の年貢収入が減ってしまいました。
そのため農村から江戸への移動を禁じるとともに、江戸に住み着いている元農民については戸籍の調査を行って出身地へ返そうとしますが、効果が出る前に改革が終わってしまいました。
株仲間解散令
株仲間とは、菱垣廻船など同じ業者の間で作られた組合のことです。忠邦は株仲間による独占が物価高騰の原因だとして株仲間の解散を命じます。解散させれば業界の自由化が進み物価も下がるだろうという狙いです。
しかし株仲間の解散によって、彼らによって運営管理されていた流通システムが機能しなくなり経済が混乱しました。新規参入業者が無秩序な商取引を行ったこともそれに拍車をかけることになりました。結局経済はより悪化してしまいました。
上知令
江戸や大阪周辺の大名・旗本の領地を幕府直轄地にして幕府財政の強化と大都市周辺の国防・治安強化を狙ったのが上知令です。
幕府の直轄地は全国に散らばっていました。一方で江戸・大阪の周辺は幕府領、大名領、旗本領が入り混じっていて、行政手続等が複雑でした。
外国船が襲来に備えるためにも大都市周辺は幕府領で固めるべきと忠邦は考えました。また大都市周辺は豊かな土地が多く年貢収入が多かったため、幕府財政を強化するというねらいもあったようです。
しかし大名や旗本たちからは猛烈な反対が起こりました。領地替えには莫大な費用がかかりますし、自分たちの豊かな土地をそうじゃない土地と交換されるとあってはたまったものではありません。
この上知令は将軍からも否定されてしまうという有様で、忠邦が失脚して天保の改革が失敗する直接的な原因となってしまいました。
無利子年賦返済令
無利子年賦返済令とは、旗本・御家人の借金をすべて無利子にして、元金の返済も20年返済にするという命令です。
借金が増え生活に苦しむ旗本や御家人を救う目的で出されたものですが、札差(ふださし、貸金業者)が貸し渋りをするようになりかえって旗本たちの生活を苦しめることになりました。
改鋳
改鋳とは、それまでの貨幣をつぶして新しい貨幣にすることで、その際には新貨幣の金や銀の含有量を減らして通貨の量を増やすことが行われます。例えば金100%の1両小判を金50%に改鋳すると1両小判が2倍作れるのでその分が幕府の利益になるのです。
改鋳自体は天保の改革以前にも何度か行われていましたが、天保の改革では大規模に行ったためインフレが起きて物価は上昇。経済が悪化してしまいました。