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天保の改革とは?改革の背景や内容、結果についてわかりやすく解説

「天保の改革ってなに?」
「名前はなんとなく知ってるけどどんな内容かわからない」
「水野忠邦ってどんな人?」

天保の改革とは、1841年(天保12年)から1843年(天保14年)にかけて江戸幕府が行った改革です。老中首座だった水野忠邦が指揮をとりました。

しかし、この改革は現状を無視した強引な政策が多く、どれも失敗に終わってしまいます。なぜそのような強引な改革が行われたのか、改革が行われた背景から改革の具体的な内容、結果などについて解説していきます。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

天保の改革とは

天保の改革をわかりやすく解説

天保の改革とは江戸時代後期の1841年(天保12年)から1843年(天保14年)に行われた幕府による改革です。この改革は享保の改革、寛政の改革とともに江戸時代の三大改革として知られています。

水野忠邦
出典:Wikipedia

この改革は当時の老中首座、水野忠邦が主に指揮をとりました。その内容は株仲間解散令や人返し令など、当時低迷していた経済を立て直そうとするものが多いのですが、ことごとく失敗してしまいます。

なぜなら享保の改革や寛政の改革と比べると過激で現状にそぐわないものが多く、改革が行われたことにより逆に経済が混乱し、人々の反発を招いてしまったからです。

最後に出された上知令(じょうちれい・あげちれい)では、腹心に裏切られたり将軍からもダメ出しを出されたりしてしまい、忠邦は失脚、天保の改革は失敗に終わりました。

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改革が必要だった背景・理由

天保の大飢饉の様子
出典:Wikipedia

1833年(天保4年)から1839年(天保10年)に天保の大飢饉が発生し、国内で多くの餓死者が出ました。その数は20~30万人といわれています。

そのため百姓一揆や打ちこわしが頻発、1837年(天保8年)には大阪で大塩平八郎の乱が起こります。大塩平八郎は幕府の元与力だったため、幕府に大変な衝撃を与えました。

またこのころから外国船が頻繁に来航するようにもなっており、幕府は国内外の問題が山積みでその威信が低下しつつある状況でした。

一方で幕府内は大御所時代と呼ばれる11代将軍家斉の治世でした。幕府内は賄賂がはびこり、家斉自身を始めとしてぜいたくな生活を送っていたため幕府財政も傾きつつありました。

そういった状況を変えなければならなかったことが、改革が必要だった理由です。

改革を行った3つの目的

大御所時代に幕府財政を傾けた徳川家斉
出典:Wikipedia

改革を行った目的は

  • 経済の立て直し
  • 幕府の体制強化
  • 世の中の引き締めを図る

の3つです。

つまり天保の大飢饉で低迷している経済を立て直し、幕府の財政も改善させ、世の中のだらけた空気を引き締めて幕府の威信も取り戻すというのが天保の改革の目的でした。

1841年(天保12年)に家斉が死ぬと、老中首座だった水野忠邦は家斉の側近たちを次々と左遷し新たな人材を登用します。そうして矢継ぎ早に新たな政策を発していくのでした。

天保の改革の主な内容

天保の改革の主な内容は、

  • 人事政策
  • 経済政策
  • 倹約令・風紀取締

の3つです。順番に詳しく説明していきます。

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