元禄6年(1693)-37歳「甲府徳川家に仕える」
元禄6年(1693)には順庵より甲府徳川家に仕えることを推薦されます。しかし、甲府徳川家の当主・徳川家宣は江戸幕府5代将軍・徳川綱吉から嫌われていたので、将来性のない仕官になることは一目瞭然。
家宣の将来性を見抜いた白石
また、仕えたとしても薄給で働くことになるので、順庵は推薦を一度渋りました。それでも新井白石は、家宣の将来性を見込んで順庵に推薦を依頼し、家宣に仕えました。
宝永6年(1710)-54歳「正徳の治を行う」
宝永6年(1710)に徳川家宣が江戸幕府6代将軍に就任すると、新井白石は側用人の間部詮房と正徳の治を行います。正徳の治は幕臣たちから反発を受けますが、白石は家宣の大きな後ろ盾があったので、意見を無理やり通しました。
享保元年(1716)-60歳「失脚し、政治の世界から退く」
享保元年(1716)に江戸幕府7代将軍・徳川家継が幼くして亡くなると、徳川吉宗が江戸幕府8代将軍となりました。吉宗は新井白石が行った正徳の治を否定し、使える政策以外は全て廃止。
白石は将軍侍講の職を追われ、失脚しました。わずか7年で白石は政治の世界を後にしました。
享保10年(1725)-69歳「病気により死去」
新井白石の引退後は千駄ヶ谷の地で暮らしつつ、著作活動に勤しみました。そして、享保10年(1725)にひっそりと病没しました。
新井白石の関連作品
おすすめ書籍・本・漫画
新井白石 (人物叢書)
新井白石研究の第一人者の宮崎道生氏が著した白石に関する伝記。著者の白石に対する考えを述べつつ、白石が歩んだ軌跡を紹介してくれるので、白石を手っ取り早く知ることに適した著書です。
折りたく柴の記 (中公クラシックス) 新書
新井白石が著した随筆『折たく柴の木』を現代語訳した著書。白石が行った正徳の治を白石の言葉で解説されてあるので、白石の考えが知れます。また、当時の人が考えていたことや武家社会の様子もわかる一冊となっています。
新井白石に関するまとめ
今回は、新井白石の生涯を解説しました。
白石は2度の浪人生活を経ても、折れずに儒学の勉強を続けました。その甲斐あって白石は江戸幕府6代将軍・徳川家宣の側近となって政治を主導する立場になった努力の人と言えます。
白石の晩年は不遇でしたが、海舶互市新例や貨幣改鋳は失脚しても幕政に活かされていることは事実。行き過ぎた理想を追い求めた結果、自らを滅ぼしてしまった点はもったいないなと感じてしまいました。
この記事を通して、新井白石について興味や関心を持っていただけたら幸いです。最後までお読みいただき、ありがとうございました。