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阿部定とはどんな人?生い立ちや遊女としての生活、阿部定事件について解説

「阿部定の生い立ちは?」
「阿部定の事件や動機は?」
「阿部定の晩年はどんなものだったのか知りたい!」

阿部定は、昭和初期に世間を騒げた「阿部定事件」の犯人として、現在でも広く知られる女性です。「伝説の毒婦」として注目を浴びた彼女は、被害者の局部を切り取って持ち去るという猟奇性に加え、美しい容姿を兼ね備えていたために多くの男性を虜にしました。

昭和初期を代表する殺人鬼、阿部定
出典:wikipedia

彼女の事件をきっかけとして、陰茎を「下腹部」と表現するようになり、サディズムやフェチズムといった言葉も広く知られるようになりました。また、彼女の犯行は長く話題となり、数々の本も出版されています。

当記事では、女性史に興味を持ち昭和の美しい殺人者について深堀りした著者が、阿部定の生涯や事件の詳細、晩年の姿をわかりやすく解説します。

阿部定とは?生涯をダイジェスト

名前阿部定(サダ)
誕生日1905年5月28日
没日詳細不明
生地東京都神田区
没地不明
配偶者正式な配偶者はなし
埋葬場所不明
事件現場東京都荒川区の待合
美しい殺人鬼
出典:文春オンライン

阿部定は、1905年に畳店を経営する比較的裕福な家庭に誕生しています。兄弟は皆年が離れており、母は子煩悩かつ自身が年老いて生んだ娘なだけに、彼女を溺愛して育てました。

大人に囲まれた環境で育った阿部定は、早熟で勝ち気な性格。美しいと評判の少女でしたが、15歳になるとレイプや実家の雰囲気悪化という災難に見舞われ、不良少女へと変貌を遂げたのです。

17歳で芸妓、22歳で遊女へ転身すると、彼女の人生は転落の一途を辿ります。その後、更生を目指した彼女は1人の男性と出会い、「本当の愛」を知ることに。しかし、不倫であったために「阿部定事件」を起こし、晩年は罪を背負って生きることとなったのです。

阿部定が起こした事件とは

阿部定事件は、1936年5月に発生した殺人事件です。男性の下腹部を持ち去るというセンセーショナルな内容で、多くの人々の注目を浴びました。

人生のうちで、本当に愛するのは一人だけ

不倫関係にあった相手をなぜ殺害したのか?純愛ゆえと証言した阿部定の足取りも踏まえて、ご紹介します。

被害者は不倫関係にあった男性

当時の新聞記事
出典:BLOGOS

阿部定事件の被害者は、東京都中野区で料亭を経営していた石田吉蔵という男性でした。彼には妻がおり、阿部定とは不倫関係にありました。石田の料亭で働いていた阿部定は、次第に彼と関係を持つようになりますが、妻や職場に関係がバレたことで駆け落ちしていたのです。

1936年5月18日、東京都荒川区の待合で彼の遺体は発見されます。待合とは、現在で例えるとホテルのようなもので、異性が食事を摂ったり、性交を行う場所として知られていました。彼女は夜間に、石田の首を浴衣の帯で絞殺したのです。

阿部定は犯行後、翌日の朝に待合を後にしており、従業員には「具合が悪いので午後まで起こさないで」と言付けをしています。彼女は愛したはずの相手を、無残な姿で殺害してしまったのです。

犯行後に局部を切り取った

阿部定が持ち去ったものとは

駆け落ちをしていた2人は、待合で二夜を過ごしています。性交の最中、阿部定は何度か石田の首を帯で締めました。彼は止めないように言い、繰り返し行ったとされています。石田は殺害される直前、彼女にこのように伝えました。

お前が俺を絞め殺し始めるんなら、痛いから今度は止めてはいけない

石田が居眠りを始めると、阿部定は彼を絞殺。その後局部を切り取り、紙に包んで持ち去りました。その後、彼女は紙に包んだ局部を逃亡中、肌見放さず持ち歩いています。

「定吉二人きり」の血文字

血文字の意味

阿部定は犯行後に石田の血を使い、シーツには「定吉二人きり」、左太ももには「定吉二人」、そして左腕には牛刀で「定」と刻んでいます。石田の遺体が発見されると、待合店主の証言や「定」という血文字から、警察はすぐに「阿部定」という人物を特定したのです。

そして行方を追うと同時に、新聞では事件が大々的に取り上げられました。5月20日、阿部定は潜伏していた品川区で逮捕され、法廷で石田の殺害理由について供述しています。

非常に愛していた、全てが欲しかった

彼女の殺意は「純愛」と評され、多くの男性を虜にしました。また、局部を持ち去った理由については、下記のように話しています。

一番かわいい大事なものだから、誰にも触れさせたくない。石田の下腹部があれば一緒にいるような気がして淋しくないと思った

彼女は石田を殺害後、最愛の人と結ばれることを願って血文字を残したのです。

阿部定の生い立ちや遊女になった経緯

彼女の生まれは、畳店を経営する裕福な家庭です。なぜ、遊女に身を落としたのでしょうか?それは、複雑な家庭事情と、定が15歳の時に起きた出来事が深く関係しています。

彼女の生い立ちを追うとともに、遊女になった経緯についても解説しましょう。

阿部定は美少女で有名だった

美貌で人々を驚かせました
出典:Wikipedia

阿部定は東京都神田区にて、畳店を営む父と子煩悩な母のもとに末娘として生まれます。8人生まれた兄弟は3人が早世し、一人は養子に出されていたため、家には4人の子どもたちがいました。

阿部定は生まれた当時仮死状態であり、1年間近所の家で育ったあと生家に戻っています。少女へと成長した阿部定は、近所でも美少女として有名になり、母は末娘を溺愛しました。

三味線などの稽古をさせ、出かける際には綺麗な着物を着せるほどだったのです。大人の世界で育った彼女は早熟で、非常に「ませた」少女でした。反対に学業は後回しになり、後に15歳で高等小学校を自主退学しています。

阿部定の人生を変えた出来事

大きなショックを受ける

順風満帆に見えた阿部定の人生ですが、15歳の時に運命を変える出来事が起こります。阿部定には、当時仲良くしている大学生がおり、自宅で遊んでいる際に強姦されてしまったのです。初潮前であった阿部定は、大きなショックを受けました。

さらに、当時家督相続で揉めていた家族の姿を見せまいと、母が阿部定を遊びに出したこともよくなかったのです。彼女は現実から逃げるため、不良少女へと変貌します。

もう処女ではないと思うと、このようなことを隠してお嫁に行くのはいやだし、これを話してお嫁に行くのはなおいやだし、もうお嫁にいけないのだ、どうしようかしらと思いつめ、やけくそになってしまいました

その後、毎日のように不良たちを引き連れ遊び回り、多くの男性との交際を続けた阿部定。17歳の時、父と兄は「そんなに男が好きなら」と、知り合いの秋葉という女衒に売ってしまいます。幸せに歩んでいたはずの阿部定は、強姦と家での揉め事をきっかけとして、遊女の道へ進んだのです。

阿部定の転落

逮捕時の阿部定
出典:gooブログ

女衒の秋葉に売られた阿部定は、神奈川県で芸妓としての生活をスタートさせます。本来芸妓は、「芸」を売る仕事のため、身体を売ることはありません。しかし、三味線以外に特技のなかった阿部定は、度々客から身体を求められ、それに応じる他ありませんでした。

その後、秋葉を援助するために店変えをし、借金を抱えながら売れっ子芸妓として活動を続けます。しかし、富山県の「平安楼」時代に性病にかかり、「芸妓として身体を売るなら遊女になろう」と決意。自ら進んで遊女となったのです。

ですが、遊女になっても店を転々とする生活の中で、店は徐々に客層の悪い方へと堕ちていきました。そして1931年、最後の店を逃げ出すと遊女を辞め、愛人や妾稼業をはじめます。

阿部定に関する逸話

阿部定(左)と石田吉蔵
出典:文春オンライン

阿部定は、石田殺害の際に局部と一緒に彼の着衣も持ち出していました。刑務所で差し出すようにと促された彼女は、命令を拒み大騒ぎしたという逸話があります。

石田の匂いが染み付いた衣服を「絶対に渡さない」という言葉から、彼女の執着心が伺える逸話です。

阿部定が残した言葉

人間一生に一人じゃないかしら、好きになるのは。ちょっと浮気とか、ちょっといいなあと思うのはあるでしょうね、いっぱい。それは人間ですからね。けどね、好きだからというのは一人

1969年に制作された映画「明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史」の中で、阿部定本人が語った言葉です。「人生で愛した1人」を殺害した彼女は、本当に彼を独り占めできたと、幸せになれたのでしょうか。

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