阿部定とはどんな人?生い立ちや遊女としての生活、阿部定事件について解説

阿部定の生い立ちや遊女になった経緯

彼女の生まれは、畳店を経営する裕福な家庭です。なぜ、遊女に身を落としたのでしょうか?それは、複雑な家庭事情と、定が15歳の時に起きた出来事が深く関係しています。

彼女の生い立ちを追うとともに、遊女になった経緯についても解説しましょう。

阿部定は美少女で有名だった

美貌で人々を驚かせました
出典:Wikipedia

阿部定は東京都神田区にて、畳店を営む父と子煩悩な母のもとに末娘として生まれます。8人生まれた兄弟は3人が早世し、一人は養子に出されていたため、家には4人の子どもたちがいました。

阿部定は生まれた当時仮死状態であり、1年間近所の家で育ったあと生家に戻っています。少女へと成長した阿部定は、近所でも美少女として有名になり、母は末娘を溺愛しました。

三味線などの稽古をさせ、出かける際には綺麗な着物を着せるほどだったのです。大人の世界で育った彼女は早熟で、非常に「ませた」少女でした。反対に学業は後回しになり、後に15歳で高等小学校を自主退学しています。

阿部定の人生を変えた出来事

大きなショックを受ける

順風満帆に見えた阿部定の人生ですが、15歳の時に運命を変える出来事が起こります。阿部定には、当時仲良くしている大学生がおり、自宅で遊んでいる際に強姦されてしまったのです。初潮前であった阿部定は、大きなショックを受けました。

さらに、当時家督相続で揉めていた家族の姿を見せまいと、母が阿部定を遊びに出したこともよくなかったのです。彼女は現実から逃げるため、不良少女へと変貌します。

もう処女ではないと思うと、このようなことを隠してお嫁に行くのはいやだし、これを話してお嫁に行くのはなおいやだし、もうお嫁にいけないのだ、どうしようかしらと思いつめ、やけくそになってしまいました

その後、毎日のように不良たちを引き連れ遊び回り、多くの男性との交際を続けた阿部定。17歳の時、父と兄は「そんなに男が好きなら」と、知り合いの秋葉という女衒に売ってしまいます。幸せに歩んでいたはずの阿部定は、強姦と家での揉め事をきっかけとして、遊女の道へ進んだのです。

阿部定の転落

逮捕時の阿部定
出典:gooブログ

女衒の秋葉に売られた阿部定は、神奈川県で芸妓としての生活をスタートさせます。本来芸妓は、「芸」を売る仕事のため、身体を売ることはありません。しかし、三味線以外に特技のなかった阿部定は、度々客から身体を求められ、それに応じる他ありませんでした。

その後、秋葉を援助するために店変えをし、借金を抱えながら売れっ子芸妓として活動を続けます。しかし、富山県の「平安楼」時代に性病にかかり、「芸妓として身体を売るなら遊女になろう」と決意。自ら進んで遊女となったのです。

ですが、遊女になっても店を転々とする生活の中で、店は徐々に客層の悪い方へと堕ちていきました。そして1931年、最後の店を逃げ出すと遊女を辞め、愛人や妾稼業をはじめます。

阿部定に関する逸話

阿部定(左)と石田吉蔵
出典:文春オンライン

阿部定は、石田殺害の際に局部と一緒に彼の着衣も持ち出していました。刑務所で差し出すようにと促された彼女は、命令を拒み大騒ぎしたという逸話があります。

石田の匂いが染み付いた衣服を「絶対に渡さない」という言葉から、彼女の執着心が伺える逸話です。

阿部定が残した言葉

人間一生に一人じゃないかしら、好きになるのは。ちょっと浮気とか、ちょっといいなあと思うのはあるでしょうね、いっぱい。それは人間ですからね。けどね、好きだからというのは一人

1969年に制作された映画「明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史」の中で、阿部定本人が語った言葉です。「人生で愛した1人」を殺害した彼女は、本当に彼を独り占めできたと、幸せになれたのでしょうか。

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