1927年 – 1931年「売れっ子遊女からの転落」
父と兄に売られてしまった阿部定は、持ち前の美貌で売れっ子になります。しかし後に遊女へ転身し、1931年にやめるまでいくつもの店を転々としているのです。
彼女はなぜ遊女となったのか?詳細をご紹介します。
芸妓から遊女へ
女衒に売られた阿部定は、神奈川県横浜の「春新美濃(はじみの)」という芸妓屋で働くことになりました。芸妓とは、舞踊や三味線などでお客をもてなし、楽しませる女性のことです。芸妓は「芸」を売り、遊女は「色」を売りました。
阿部定は遊女ではなく芸妓でしたが、三味線以外に突出した芸がありませんでした。そのため客から性交を迫られることが多く、うんざりしていたといいます。
当時不倫関係にあった秋葉の自宅が関東大震災で被災すると、援助をするために借金をし、富山県の「平安楼」に店変え。その後再び店変えをすると売れっ子になりますが、性病にかかり、「色」を売る芸妓ならばと、自ら遊女となったのです。
遊女から妾稼業へ
阿部定は1927年に、大阪府西成区の高級遊郭「御園楼」に移りました。しかし、遊女になった後も気に入らないことがあると店を転々とします。店を変えるたびに、客層の悪い店へ流れていったのです。
そして1931年、兵庫県に存在した「大正楼」を逃げ出したのを最後に、遊女をやめています。「大正楼」は下級の妓楼であり、客引きなどの条件が大変辛いものだったのです。
遊女をやめたあとはカフェで働きながら、妾や愛人稼業を主に生活しました。
1932年 – 1936年「大宮との出会い、そして事件へ」
阿部定は妾や愛人として生活を送っていましたが、勤め始めた料理店で大宮という男性と出会います。彼と出会ったことで、後に事件の被害者である石田との出会いに繋がるのです。
大宮との交際
1935年、阿部定は名古屋の料亭で女中として働いていました。そして、市議会議員や学校の校長として働く、大宮五郎と知り合い交際を始めます。彼は紳士的な人物であり、阿部定にとっては新鮮な相手でした。
真面目な大宮は、阿部定の過去を知ると叱責します。愛人稼業はやめて真っ当に働くようにと、更生を促したのです。そして、彼は阿部定に就職先を紹介します。
その店こそ、石田吉蔵が経営する料亭でした。大宮は彼女を深く愛していましたが、定は次第に石田との不倫に夢中になっていったのです。
阿部定事件と大宮
阿部定は石田との駆け落ち後、金に困ると大宮に援助を求めています。そして、石田を殺害した後には大宮と密会し、彼女は何度も謝罪しました。しかし、事件を知らない大宮は彼女をなだめ、2人は関係を持ったのです。
しかし、翌日に新聞で事件が報じられると、大宮は全てを悟りました。彼は裁判にも出廷し、後に「教え子に合わせる顔がない」と隠居生活を送っています。
大宮が世間からの注目を浴びたことについて、阿部定は「申し訳ない」という旨の発言を残しました。
1941年 – 1971年「出所後の生活」
阿部定は出所後、事実婚や店の経営をしながら過ごしますが、戦後は自身の本名で生きることになります。1971年に失踪するまで、殺人犯という十字架を背負って生きたのです。
事実婚の破局
実刑を受けた後、阿部定は刑務所での生活を送っています。精神的に辛い刑務所生活であったものの、作業では真面目に作業を行う模範囚でした。
釈放後は、警察が用意した「吉井昌子」を名乗り、元愛人である秋葉夫妻のもとで下宿して過ごします。同時に保護者となった夫妻を、阿部定は「お父さん」「お母さん」と呼び慕っていました。
その後、料亭で知り合ったサラリーマンの男性と事実婚をするも、彼女の素性が知れると相手は失踪。彼女は戦後に注目を浴びる中、料亭の女将やおにぎり屋の経営もしています。
失踪後は消息不明
阿部定は、1971年6月頃に「病気の治療を終えたら帰ります」という置き手紙を残し失踪しました。彼女のその後はわかっていませんが、浅草に滞在していたという証言や、石田の命日に花を送っていたという諸説が残っています。
年齢的に考えて存命はないですが、1987年に石田への花が届かなくなったという話から、この年に亡くなったのでは?と噂されているのです。
阿部定の関連作品
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阿部定事件-愛と性の果てに-
昭和の犯罪しに残る「阿部定事件」。著者である伊佐千尋が、「阿部定事件予審調書」を基に執筆した今作品は、当時の非情な社会状況を読み解き、事件の「真実」を知れる内容になっています。
阿部定正伝
著者である堀ノ内雅一が、4年半かけて足跡をたどったノンフィクション作品です。ただの猟奇的殺人ではない、確かに「愛」が存在したのだと納得させられます。貴重な秘蔵写真も見所です。
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阿部定についてのまとめ
彼女は特殊な精神状態であったという見解もありますが、本人が失踪してしまった今知る由もありません。しかし、彼女の特殊な生い立ちから、「愛」に焦がれていたことが考えられます。
不幸な出来事が重なり、遊女を経て手に入れた「愛」。彼女は愛した相手を殺人という方法で手に入れますが、晩年も苦労が耐えなかったようです。失踪後、彼女がどのような最期を迎えたのかはわかりませんが、少しでも心穏やかに過ごせていたのなら、と願うしかありません。
今回の記事をきっかけに、阿部定を「猟奇的殺人犯」というだけでなく、「愛」を求めた女性という点の認知に繋がれば嬉しいと思っています。