阿部定の晩年
阿部定は殺人の容疑で実刑を受け、刑期を全うした後に釈放されています。出所後には一般の男性との事実婚や自ら店の経営をし、たくましく生きたのです。
しかし、ある日彼女は姿を消しています。消息は現在も不明であり、最期を知るものはいないのです。彼女の晩年はどのようなものだったのか?詳しくご紹介します。
偽名を名乗り事実婚も
阿部定は逮捕後、懲役6年の実刑が下されました。そして、服役から5年後の1941年、天皇即位2600年を記念した「紀元二千六百年」の恩恵を受けて出所しています。
釈放後は偽名を名乗り、元愛人である秋葉夫妻のもとで下宿して過ごしました。その後、勤め先の料亭で知り合った男性と恋に落ち、事実婚しています。しかし、相手は自分の妻が「阿部定」という事実を知りませんでした。
第二次世界大戦後、世は「エログロナンセンス」という文化的流行が到来し、「阿部定」は再び世間から注目を浴びました。阿部定に関連する書籍が次々と出版され、その中の「お定色ざんげ」は、阿部定が名誉毀損になるとして提訴しています。裁判をきっかけとして妻の正体を知った夫は、この頃に姿を消してしまいました。
裁判騒動から阿部定は偽名を捨て、自身の本名と向き合いながら生きることになったのです。
おにぎり屋の開業
知人の料亭で名女将として勤務し、1967年には出資者からの支援を受けて「若竹」というおにぎり屋を開業します。しかし、実際にはおにぎり屋とは名ばかりであり、実際には従業員の女性と二人、三味線を弾きながら、カウンターでお酒を出す店でした。
当時の客として、女優や力士、国会議員がいたことは有名で、特に舞踏家で名高い土方巽は彼女に心酔していました。常連客からは「江戸っ子らしく気風のよい、優しい人だった」と言われています。
しかし、店は従業員の体調不良と恋人の資金持ち逃げによって、その後閉店してしまったのです。
失踪とその後の消息
阿部定は、1971年に置き手紙を残して失踪しています。1968年に秋葉夫妻が亡くなったあと「死」を考えるようになった彼女は、常連客には思いを話していたそうです。
失踪後の足取りは不明ですが、諸説が残っています。それは、石田の命日には毎年差出人不明の花束が届いていたというもの。この差出人が阿部定なのではないか?そして、花は1987年ごろに届かなくなっていることから、この辺りに亡くなったのではないか?とされているのです。
世間を騒がせた阿部定は、静かにこの世を去ったのかも知れません。
阿部定の年表
1905年 – 1919年「美少女と評判、恵まれた環境で育つ」
阿部定は1905年5月28日、東京都神田区にあった畳店「相模屋」を営む家庭の、末娘として生まれます。美少女として成長した彼女は周囲から親しまれ、自身でもそれを感じ取っていました。
生まれた時は仮死状態
仮死状態で誕生したのに加え、母の母乳が出にくかったこともあり、1歳までを近所の家で育ちます。そのせいか、4歳ごろまでは家族と満足に口をきけなかったそうです。
実家に戻ると、母は阿部定を溺愛しました。上には3人の子がいましたが、長男とは年が20歳以上離れており、続く姉ふたりともそれぞれ17歳と6歳の差があったのです。何不自由なく育った阿部定ですが、生まれた時の影響か、癇癪持ちな一面もありました。
美少女「お定(さあ)ちゃん」
阿部定は、少女になるに連れ美しいと評判になります。近所では「お定(さあ)ちゃん」と呼ばれ、親しまれたのです。母は幼い頃より三味線などの習い事をさせ、綺麗な着物を買い与えました。
奔放な兄や、稼業柄人の出入りが多かったゆえに彼女は早熟で、10歳になる頃には性交の意味を理解していたと言われています。阿部定の性への執着は、このころに形成されていたのでしょうか。
1920年 – 1926年「強姦、そして芸妓へ」
順風満帆に見えた彼女の人生は、ある日友人に強姦されたことで狂っていきます。彼女は不良の道へ進み、結果として家族に売られ芸妓となったのです。
強姦によって人生の歯車が狂う
阿部定は、15歳(満14歳)の時に仲良くしていた男子大学生に強姦されます。2日間も出血が止まらず、彼女は自身の身に起きた悲劇に大きなショックを受けました。
さらに、同時期に家では内輪揉めが頻発していました。内容は、家督相続の問題です。母は阿部定に家での揉め事を見せないようにと、遊びに出すようになります。そして、強姦によって傷ついた彼女は、わずかの間に不良少女へと変貌を遂げたのです。
父と兄に売られ、芸妓になる
不良少女となった阿部定は、毎日10人ほどの仲間を連れ遊んで回りました。仲間との肉体関係はなかったものの、異性との交際は広く持っていたのです。
父は体裁を守るため、一時阿部定を奉公に出すものの彼女は奉公先で盗難を犯し、すぐに実家へ返されてしまいます。父はこれに激怒し、「そんなに男が好きなら芸妓にでもなれ」と秋葉に売ってしまいました。
秋葉は、阿部定の兄である新太郎の、元妻の義弟にあたる人物です。17歳の阿部定は、その後遊女になるまでの5年間、芸妓として働くこととなりました。