大政奉還が行われた結果
王政復古クーデター
慶喜が目論んだとおり、大政奉還がなされた後も政務処理や外交は幕府に委任され、引き続き幕府による政権掌握が続きました。
このままでは慶喜たちが中心の新政権になってしまうと危ぶんだ薩摩藩や、岩倉具視などを始めとする倒幕派はクーデターを起こし王政復古の大号令を発し、小御所会議を開きます。この一連の動きを王政復古クーデターといいます。
この会議で幕府の廃止、徳川家の辞官納地(領地の返還)などといったことが決まり、徳川幕府が消滅することになりました。
戊辰戦争、江戸幕府の滅亡
しかし慶喜も、王政復古クーデターに対抗して大阪城で諸外国の公使と会談を行い、国の代表は自分であることをアピールします。
旧幕府側と倒幕派の対立は激しさを増し、とうとう鳥羽・伏見の戦いを始めとする戊辰戦争へ突入します。鳥羽・伏見の戦いで幕府は大敗、徳川幕府は江戸城を開城し名実ともに滅亡してしまいました。
大政奉還の覚え方と語呂合わせ
大政奉還は1867年に行われていますが、その年号を覚えるための語呂合わせをいくつか紹介します。
- いばるな(1867)徳川 大政奉還
- いやむな(1867)しいな 大政奉還
- いやむな(1867)騒ぎ 新政権
大政奉還がよくわかる関連書籍
最後の将軍 徳川慶喜
大政奉還の主役といえる徳川慶喜について、司馬遼太郎がわかりやすく書いています。慶喜を通して見た大政奉還を知るのに最適な一冊です。
徳川慶喜 (人物叢書)
徳川慶喜の行動や性格はどこか突拍子もないところがあり、未だに評価が定まらない人物でもあります。そんな慶喜の最新研究結果などが述べられています。『最後の将軍 徳川慶喜』で慶喜に興味を持たれた方に特におすすめです。
王政復古 天皇と将軍の明治維新
幕末史の中でも朝廷の動きというのはわかりにくいと感じるのではないでしょうか。しかし大政奉還などで朝廷が果たした影響は非常に大きなものがあります。そんな朝廷側に軸足を置いた幕末史を知ることができる本です。
大政奉還についてのまとめ
大政奉還について解説しました。大政奉還が行われてすぐに江戸幕府がなくなったと思っていたかたもいらっしゃるのではないでしょうか。実は筆者もそうでした。
しかし調べてみると大政奉還の前後には実にさまざまな駆け引きが行われており、状況次第ではどちらに転んでもおかしくなかったような状況だったことがわかりました。判断の内容やタイミングによっては徳川幕府がもっと長生きしていたかもしれません。
徳川慶喜も当時は悩みに悩み抜いて判断していったのではないでしょうか。そんな思いで歴史を眺めるとまた違った面白さがあるのではないかと思います。この記事を読んでもし興味を持たれた方がいらっしゃれば、関連記事や関連書籍でさらに学ばれることをおすすめします。