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始皇帝の母(趙姫)とはどんな人?悪女と呼ばれた理由や生涯を解説

「始皇帝の母ってどんな人なんだろう?」
「ドラマを見て詳しくどんな人か知りたくなった」

始皇帝は中国全土を支配し、中国史上初めて「皇帝」となった人物ですが、始皇帝の母は名を趙姫(ちょうき)といい、実は子供に負けず劣らず波乱万丈な人生を送った人物です。

趙姫と愛人を描いたイラスト
出典:Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

非常に性欲が強く愛人がいたエピソードや、王后となってから権力を持ったために、中国歴史史上でも屈指の「悪女」といわれる人物でもあります。世界的に見てもかなりの濃い人生を送った趙姫という女性。女性ということを最大限に押し出したような彼女の人生を、この記事では様々なエピソードを踏まえつつ掘り下げて解説していきます。

始皇帝の母(趙姫)はどんな人?

中国史上屈指の悪女はどんな女性なのか

中国史上初の皇帝になった息子を持つ趙姫ですが、最初から人生が順風満帆だったわけではなく、王后になった後も、多くの問題行動を起こした人物でした。そんな趙姫とはどんな人物か、人生や性格などを紹介します。

趙姫の生涯をダイジェスト

紀元前260年頃の地図(灰色が趙国)
出典:Wikipedia

趙姫の生涯は不明な点も多く、謎に包まれています。しかしわかっている範囲で、生涯をダイジェストします。

  • 紀元前280年:中国の趙国に誕生する(姓および名は不明)
  • 紀元前260年代頃?:商人である呂不韋の愛人となる
  • 紀元前260年:呂不韋により、秦の公子・子楚に差し出される
  • 紀元前259年:政(始皇帝)を出産
  • 紀元前249年:子楚が王となり王后となる
  • 紀元前246年:政が秦王となり王太后となる
  • 紀元前240年代頃?:愛人の嫪毐(ろうあい)と密通し子供を二人出産
  • 紀元前238年:嫪毐がクーデターを起こすが失敗し、二人の子供は処刑される
  • 紀元前228年:王城で死去

淫乱な女性といわれていた

趙姫のエピソードは性的なものばかりだ

史記によると、趙姫は非常に「性欲旺盛な女性」だったといいます。有名なエピソードとして、王太后になってからもあまりに性欲が強いため、嫪毐(ろうあい)という巨根の男性をあてがってもらい、関係にふけっていたそうです。

嫪毐は余興で、「自らの性器を軸に馬車の車輪をまわす」ほどの巨根の持ち主でした。趙姫は嫪毐を寵愛し、性行為に没頭し2人の子供に恵まれたといわれています。このエピソードは誇張もあるのではと考えられていますが、長らく「趙姫」というと性欲が強い女性の代名詞的な存在となっていました。

晩年は反乱に失敗し幽閉された

反乱失敗後は、昔の秦の首都だった場所に幽閉されてしまう

愛人と関係を続けていた趙姫ですが、息子の政(始皇帝)の内偵により密通が露見してしまいます。すると愛人の嫪毐が、皇帝と太后の印鑑を盗み出し反乱を画策。しかし皇帝軍に返り討ちにあい、嫪毐と二人の子供は殺害されてしまいます。

その後、趙姫は雍城(ようじょう)に幽閉されてしまいますが、後に許され王城に戻っています。その後寂しい晩年を過ごし、死因は不明ですが、紀元前228年に53歳で死去しました。

趙姫が始皇帝を産むまでの経緯

始皇帝を産んだ趙姫は、小国の豪族の娘でしかなかった
出典:Wikipedia

趙国の一豪族の娘だった趙姫が、どうやって秦国の王子に近づき「政」を産むことになったのか?そこには驚くようなドラマがありました。そんな趙姫が始皇帝を産むまでの経緯を紹介します。

当初、呂不韋の愛人だった

漫画「キングダム」で描かれた呂不韋
出典:BiBi

趙姫は当初、呂不韋という各国を渡り歩いて富を築いていた商人の愛人でした。そして呂不韋の戦略の駒として利用された経緯があります。

呂不韋が趙国に来ている時、趙姫はとても美しい踊り子だったといい、呂不韋の愛人となっていました。そんな時、呂不韋はたまたま趙に人質として来ていた秦国の公子・異人(後に子楚と改名)を目撃し、

「これは思いがけない品だ、仕入れておくべきだ」

と目をつけ、将来のために異人に投資することを決めたそうです。当時、異人は秦王の孫ではあったものの、兄弟は20名以上いました。その上母も寵愛を失っていたために、王位継承の可能性は限りなく低い人物だったのです。しかもこの時、秦と趙の関係が悪化。異人はその日の生活費にも困るほどだったといいます。

夫人の祖国「楚」からとって「子楚」と改名した
出典:Wikipedia

しかし呂不韋は彼を秦王にしようと画策。異人を売り込むために秦に赴き、異人の父・安国君の寵妃である華陽夫人に取り入り、財宝を贈り異人を養子にるすように働きかけます。結果的に成功し、異人は呂不韋を後見人として華陽夫人の養子となり、夫人の出身国「楚」に因んで「子楚」と名乗ることとなりました。

秦の皇子・子楚に差し出される

呂不韋は異人に莫大な金額を投資していた

呂不韋は子楚を全面サポートし売り込みに成功しますが、異人は呂不韋の愛人である趙姫を気に入っていました。そのため呂不韋に、自分に譲ってくれないかと申し出ています。そのため趙姫は子楚に差し出され、産まれたのが「政」だったのです。

趙姫の功績

元々踊り子だった趙姫は多くのことを成し遂げた

始皇帝の母として歴史に名を残した趙姫ですが、女性としての生きざまは驚くべきものがあります。ここでは趙姫がどのような点が凄いのか、功績を挙げていきます。

踊り子から王后まで昇りつめたこと

当初は商人の愛人という日陰の存在だった趙姫

趙姫は決して大きいとはいえない趙国の豪族の娘で、踊り子となり一商人の愛人という立場の女性でした。しかし子楚に見染められ、最終的に王后にまで昇りつめています。

運がかなりあった女性であり、運が味方するほどの美貌を持った女性だったのでしょう。美しいとは記録にも残っていますが、大商人だった呂不韋の愛人となり、その後公子だった子楚に見染められたところからも美貌だったことがわかります。

最終的に王后になり栄華を欲しいままにした
出典:Amazon

中国史上を見ても、実家の後ろ盾がない女性が王后になることは少なく、美貌を武器に最終的には権力を手に入れた数少ない女性の1人なのです。

嬴政(始皇帝)を出産したこと

趙姫が産んだ嬴政は大きく中国を発展させることとなった
出典:Wikipedia

趙姫の一番の功績は、やはり後に中国統一という偉業を成し遂げた「嬴政(えいせい)」を出産したことではないでしょうか。息子の嬴政は秦王から、史上初の皇帝となり巨大帝国を作り上げました。

始皇帝は文字や道路、貨幣などを統一。全国を皇帝が派遣した官僚によって統治させる郡県制を開始したりしています。始皇帝が生まれなければ、現在の歴史も大きく変わっていたのかもしれません。

趙姫の伝説・逸話

美しい女性であったものの驚くような逸話ばかりだ

踊り子から女性の最高位である王后に昇りつめた趙姫ですが、有名なエピソードは「悪女」としての逸話ばかりです。そんな趙姫の悪女的な伝説や逸話を紹介します。

王后になっても元カレと関係が…

史記には趙姫の淫行が赤裸々に記されている
出典:Wikipedia

趙姫が「悪女」といわれるエピソードに、元カレの呂不韋との関係があります。趙姫は嬴政が皇帝になり太后になると、呂不韋と再度関係を持っています。すでに夫が他界していた太后は道徳的には問題がなかったものの、やはり心証は悪かったらしく、呂不韋は関係が発覚すれば自分の身が危ういと危惧していました。

趙姫の性欲を呂不韋はもてあますようになってしまったらしい

そして呂不韋は発覚するのではという恐怖と、自らが年を取り、性欲旺盛な趙姫を満足させれなくなってきたため、別の愛人を探すこととなったのです。

性器が大きい男性を愛人にした?

後宮にいた宦官の写真
出典:草の実堂

趙姫の性欲をもてあました呂不韋は、代わりに嫪毐という巨根の男性を後宮に送り込みました。後宮は宦官という性器を切り落とした男性しか入ることが許されませんが、嫪毐は性器を切り取らずに宦官に化け、記録を改ざんして紛れ込んだといわれています。呂不韋の思惑通り趙姫は嫪毐を大変気に入り、性行為にふけって2人の息子を授かっています。

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