趙姫の生涯年表
紀元前280年:始皇帝の母、誕生する
趙姫は趙国の豪族の娘として誕生したといわれています。史書によると、趙国に生まれたために「趙姫」と呼ばれたといわれています。姓と名前は不明です。
紀元前260年代頃?:呂不韋の愛人になる
詳しい時期はわかりませんが、呂不韋の愛人となっています。趙姫はとても美しい踊り子だったと伝わっています。確かに大金持ちだった呂不韋の愛人になったあたりからも、美貌だったことは確かだったのでしょう。
紀元前260年:秦国の公主・子楚に差し出される
呂不韋の愛人だった趙姫でしたが、子楚に見染められ差し出されています。呂不韋は乗り気ではありませんでしたが、今まで子楚に投資していたのにここで仲違いしたら元の木阿弥だと判断し、趙姫を差し出しています。
紀元前259年:嬴政(始皇帝)が誕生する
子楚に差し出された翌年に、趙姫は嬴政を出産しました。史記によると子楚に差し出されたときには、趙姫は懐妊しており、実は子楚の子ではなく呂不韋の子だったと記されています。
真実はわかりませんが、始皇帝が存命中からそういった噂は存在していたようです。しかし今となっては真相がわかることは永遠になく、真実を知るのは呂不韋と趙姫のみといえるでしょう。
紀元前249年:秦に入国し、夫の即位に伴い王后となる
紀元前249年に子楚が秦の王となったために、王后となりました。しかし在位5年で夫が死去し、趙姫は王太后となりました。
そして元恋人だった呂不韋と再度関係を持つようになりますが、呂不韋は自分の築いた地位が崩れることの恐れから代わりの恋人を作るように画策します。
紀元前240年代頃?:愛人の嫪毐の子供を二人出産
呂不韋は自分の身代わりに、巨根であった嫪毐を趙姫にあてがいます。嫪毐の精力を気に入った趙姫は、嫪毐に夢中になり二人の子供を出産しています。
紀元前238年:嫪毐がクーデターに失敗、連座して幽閉される
嫪毐を快く思わない周りの密告により、趙姫と嫪毐の関係が露見。そのため嫪毐はクーデターを画策しますが失敗、2人の息子とともに処刑されてしまいます。連座して趙姫も雍城に幽閉されてしまいました。
紀元前228年:許され王城に戻るものの死去する
幽閉されていた趙姫ですが、後に許されて王城に戻っています。その後の記録は残っていないものの、かつてのような権力を持つこともなく、寂しい晩年を過ごしたと考えられています。そして紀元前228年に死去。死後の帝太后と追号されています。享年53歳でした。
趙姫を題材にした作品
コウラン伝 始皇帝の母 DVD-BOX1
趙姫が主役の中国ドラマです。2019年再生数、125億回を超える中国の大ヒットドラマとなりました。豪華監督とキャスト作品であり、日本でも人気の役者が多く出演しているために楽しめるドラマです。海外ドラマが好きな人はもちろんのこと、初めてという人も買って外れはない作品といえます。
キングダム 1 (ヤングジャンプコミックス)
紀元前の中国を舞台に、主人公「信」が天下に名を成すことを目標として動き出す漫画です。第17回手塚治虫文化賞漫画大賞を受賞しています。展覧会も全国で開かれたりと、多くのファンがいる作品です。その中で趙姫も出てきており、イメージ通り性に奔放な女性として描かれています。
始皇帝の母に関するまとめ
今回、始皇帝の母である「趙姫」に焦点をおいて執筆しましたが、「始皇帝」誕生の裏には多くの策略などのどろどろの人間ドラマがあったのだなと感じています。同時に、女性の生き方がほとんど決まっていた昔の中国で、女性にとっての最高位である「后の位」につき、性をむさぼったという趙姫の生きざまは非常に興味深くもありました。
近年は人気ドラマや漫画の影響で、知名度も高くなってきている趙姫をこの記事を読んで知ったという方がいたら非常に光栄に思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。