秦の皇子・子楚に差し出される
呂不韋は子楚を全面サポートし売り込みに成功しますが、異人は呂不韋の愛人である趙姫を気に入っていました。そのため呂不韋に、自分に譲ってくれないかと申し出ています。そのため趙姫は子楚に差し出され、産まれたのが「政」だったのです。
趙姫の功績
始皇帝の母として歴史に名を残した趙姫ですが、女性としての生きざまは驚くべきものがあります。ここでは趙姫がどのような点が凄いのか、功績を挙げていきます。
踊り子から王后まで昇りつめたこと
趙姫は決して大きいとはいえない趙国の豪族の娘で、踊り子となり一商人の愛人という立場の女性でした。しかし子楚に見染められ、最終的に王后にまで昇りつめています。
運がかなりあった女性であり、運が味方するほどの美貌を持った女性だったのでしょう。美しいとは記録にも残っていますが、大商人だった呂不韋の愛人となり、その後公子だった子楚に見染められたところからも美貌だったことがわかります。
中国史上を見ても、実家の後ろ盾がない女性が王后になることは少なく、美貌を武器に最終的には権力を手に入れた数少ない女性の1人なのです。
嬴政(始皇帝)を出産したこと
趙姫の一番の功績は、やはり後に中国統一という偉業を成し遂げた「嬴政(えいせい)」を出産したことではないでしょうか。息子の嬴政は秦王から、史上初の皇帝となり巨大帝国を作り上げました。
始皇帝は文字や道路、貨幣などを統一。全国を皇帝が派遣した官僚によって統治させる郡県制を開始したりしています。始皇帝が生まれなければ、現在の歴史も大きく変わっていたのかもしれません。
趙姫の伝説・逸話
踊り子から女性の最高位である王后に昇りつめた趙姫ですが、有名なエピソードは「悪女」としての逸話ばかりです。そんな趙姫の悪女的な伝説や逸話を紹介します。
王后になっても元カレと関係が…
趙姫が「悪女」といわれるエピソードに、元カレの呂不韋との関係があります。趙姫は嬴政が皇帝になり太后になると、呂不韋と再度関係を持っています。すでに夫が他界していた太后は道徳的には問題がなかったものの、やはり心証は悪かったらしく、呂不韋は関係が発覚すれば自分の身が危ういと危惧していました。
そして呂不韋は発覚するのではという恐怖と、自らが年を取り、性欲旺盛な趙姫を満足させれなくなってきたため、別の愛人を探すこととなったのです。
性器が大きい男性を愛人にした?
趙姫の性欲をもてあました呂不韋は、代わりに嫪毐という巨根の男性を後宮に送り込みました。後宮は宦官という性器を切り落とした男性しか入ることが許されませんが、嫪毐は性器を切り取らずに宦官に化け、記録を改ざんして紛れ込んだといわれています。呂不韋の思惑通り趙姫は嫪毐を大変気に入り、性行為にふけって2人の息子を授かっています。