日清戦争の原因・きっかけをわかりやすく解説!結果も簡単に紹介

日露戦争が勃発するまでの経緯

三国干渉の文書
出典:Wikiwand

下関条約も締結させ、朝鮮半島を独立させることができた日本ですが、そう簡単に思い通りにはいきません。ロシア・フランス・ドイツによる三国干渉が起こったのです。

中国東北部に位置する満州を得ようと考えていたロシアにとって、日本が遼東半島を獲得したことは面白くないものでした。日本が中国へ進出することへの危機感を抱いたのですね。

そこで、フランスとドイツとともに日本から遼東半島を清へ返還させたのです。それによって、朝鮮半島は再び保守的な政権に戻ってしまいました。前述した悪名高い閔妃が復活し、清からロシアへ接近するようになったのです。

日本は清と朝鮮半島の従属的な関係を日清戦争で分断したと思っていました。しかし、結果的に清は列強に、朝鮮半島はロシアの支配下に置かれてしまいます。そして、最終的に日本は朝鮮半島を巡り、大国ロシアと戦うことになりました。

日露戦争をわかりやすく解説!原因や影響、勝因までを年表付きで紹介

日清戦争と日露戦争の共通点・相違点

共通点相違点
①日本側が勝利する
②朝鮮半島を獲得する
①賠償金の有無
②国民の満足度
日清戦争と日露戦争は似ているようで異なる?

日清戦争と日露戦争は原因が似ていたり、近い年代で起きていることもあって比較されがちですよね。そこで、ここでは日清戦争と日露戦争の共通点と相違点を紹介します。

これまでの記述から、日清戦争の原因から日露戦争への流れが理解できたと思います。原因から流れが分かっていれば、2つの戦争を正しく分けて理解することは難しくありません。

日清戦争と日露戦争はテスト問題などにも頻繁に登場する出来事です。2つの共通点と相違点を理解しておけば、受験にも役立ちますよ!

共通点1:どちらも日本側が勝利する

活躍した大日本帝国陸軍の旗
出典:Wikiwand

第一の共通点として挙げられるのは、両方の戦争とも日本側が勝利したということです。

日清戦争では日本側の近代的な軍事力と清側の軍事力不足によって日本が圧勝。日露戦争ではイギリスからの支援も受けつつ、海軍戦にて世界最強と呼ばれていたロシア側のバルチック艦隊を撃破して勝利をおさめました。

清とロシア、2つの大国に勝利した日本は世界に対して大きな影響を与えることになります。欧米列強は日本を高評価し積極的に日本と関わりを持つようになりました。また、白人支配に苦しむ国々では日本の勝利が独立への希望をもたらすことになったのです。

共通点2:朝鮮半島に関する利権を獲得

朝鮮半島
出典:Wikiwand

もう一つの共通点として、朝鮮半島に関する利権を獲得できたことが挙げられます。

そもそも、日本が清やロシアと対峙したのは欧米列強から日本国家の独立体制を守ることにありました。そのために、隣国の朝鮮半島を独立させ近代化することによって更なる防衛に努めようしたのです。

日清戦争では下関条約によって朝鮮半島の独立が認められました。三国干渉によって遼東半島は奪われてしまいましたが、日露戦争に勝利したおかげで再び朝鮮半島の利権を獲得。

日露戦争後のポーツマス条約によって、朝鮮半島を監督する権利や遼東半島を貸し与えられることなどがきまったのです。2つの戦争を経て、日本はやっと朝鮮半島に関する利権を手に入れることができたのですね。

相違点1:賠償金の有無

賠償金の有無は国家にとって重要

日清戦争と日露戦争の大きな違いは、やはり賠償金の有無といえるでしょう。

日清戦争では下関条約によって、清側は日本側に対して分割払いで2億両(約3億円)を支払うことが約束されています。しかし、日露戦争では莫大な費用と日清戦争以上の死傷者を出したにも関わらず、ロシア側に賠償金の支払いはありませんでした。

敗戦国とはいえロシアの国力は強く、1ヶ月にも及ぶ講和会議の末に日本は朝鮮半島や満州の利権と領土の割譲のみで、日露戦争による賠償金を得ることはできなかったのです。

相違点2:戦争に対する国民の満足度

2つの戦争に対して国民はどう考えていたのか

戦争に対する国民たちの満足度も、日清戦争と日露戦争で異なりました。

日清戦争では、最初のうちこそ清に対する恐れがあったものの戦いの勝利が届けられると日本国民は喜び合ったといわれています。「帝国万歳」という言葉が流行し、凱旋行事も頻繁に行われたのです。

しかし、日露戦争では賠償金を支払われなかったことで国民の不満が爆発。日比谷焼打事件*などの暴動が起こり、当時の桂内閣は退陣することになりました。

*日比谷焼打事件

日露戦争後にロシア側から賠償金が支払われなかったことに対して、不満を抱いた国民が内務大臣の官邸や交番、新聞社を襲撃した事件。死者17名、負傷者500名を出す大惨事となった。

日清戦争の原因に関するまとめ

今回は、日清戦争の原因を勃発のきっかけや日露戦争との関係も交えて解説しました。日清戦争とは、日本と清との間だけで起きた問題ではありません。

産業革命による世界の近代化、欧米列強による各地の植民地化、ロシアの南下政策など当時の世界情勢が複雑に絡み合って起こったのです。そのため、日清戦争の原因にはその後に起こる日露戦争にも関係があります。

日清戦争の原因を理解することは日露戦争への流れ、その後の日本の情勢を理解することにつながるのです。この記事を読んで、日清戦争と日露戦争の両方の理解が深まってくれれば幸いです。

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