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日清戦争の原因・きっかけをわかりやすく解説!結果も簡単に紹介

「日清戦争の原因って何だったの?」
「そもそもどうして日本は清と対立したの?」
「日清戦争から日露戦争までの流れがいまいちわからない…」

明治維新を経た日本初めての戦となった日清戦争。戦争自体は、欧米諸国へ日本の強さを知らしめる結果となりました。

日清戦争の様子
出典:Wikiwand

しかし、日清戦争は、単に日本と清の対立だけで引き起こされた戦ではありません。ロシアをはじめとする列強諸国が複雑に絡み合って起きた戦争なのです。そのため、日清戦争の原因があいまいな人も多いはず。

そこで、この記事では日清戦争の原因を勃発のきっかけや日露戦争との関係も交え、わかりやすく解説します

この記事を読めば、日清戦争の原因や日露戦争までの流れをスムーズに理解できますよ。

日清戦争とは

日本軍が一斉射撃をする様子
出典:Wikiwand

日清戦争とは、1894年から1895年にかけて起こった日本と清との戦争です。清とは17世紀から20世紀にかけて中国本土に存在していた王朝であり、「眠れる獅子*」とも呼ばれるほど他国から恐れられる国でした。

そんな清に対して、朝鮮半島の利権を巡って日本は戦争をしかけます。当時ロシアの南下政策が始まっており、日本と清にとって朝鮮半島は重要な場所でした。詳しくは「日清戦争が起きた3つの原因」にて後述します。

日本が大国である清を破る様子を描いた風刺画
出典:Wikiwand

しかしながら、清は近代化した欧米諸国が恐れるほどの大国。小さな島国である日本が勝てるとは誰も思っていませんでした。ところが、日本軍は近代的な戦法で清軍を圧倒。劇的な大勝利をおさめて、欧米列強に衝撃を与えることとなります。

1895年に下関条約が結ばれ、日本の思惑通り朝鮮半島は独立国となりました。しかし、その後に朝鮮はロシアの保護国となり、今度はロシアと対立。日露戦争勃発へと向かうことになりました。

*眠れる獅子
巨大な力を持ちながらも、本領を発揮せずにいる国や人物のこと。清に関していえば、戦力のほどが分からず欧米諸国から恐れられていた様子を例えて「眠れる獅子」と呼ばれていた。しかし、日清戦争で敗北後は欧米諸国の恐れは払拭される。
日清戦争とは?原因や結果、結ばれた条約までわかりやすく解説

日清戦争が起きた3つの原因

日清戦争中の「平壌の戦い」の様子
出典:Wikiwand

日清戦争が起きた原因は、大きく次の3つにわけられます。

  • ロシアのアジア進出
  • 朝鮮半島を巡る対立
  • 朝鮮半島内の反乱

しかしながら、すべての出発点は「列強国に対する脅威」です。ロシアなどの欧米列強に飲み込まれないように、日本も清も独自の観点から対策を練りました。

その結果、両者の意見が食い違い日清戦争が勃発したのです。つまり、それぞれの国が自国を守りたいがゆえに日清戦争は起こったといえるでしょう。

①ロシアのアジア進出に日清が脅威を感じたから

ロシアの巨大さが分かる風刺画
出典:Wikiwand

当時、欧米諸国は産業革命による急速な近代化によって国力を強めていました。そして、日本や清をはじめとするアジア地域を植民地化しよう進出していたのです。

特に、日本と清が警戒していた国がロシア。ロシアは極寒の地域にあるため、冬は海が凍ってしまい港が使えずにいました。そのため、冬でも利用できる港を探して南下政策を始めていたのです。

南下政策の中でも、暖かい地域に位置するアジア諸国はロシアにとって格好の場所でした。こうしたロシアの動きに対して、日本も清も脅威を感じていたのです。

当時のロシアの脅威は計り知れないものだった

ロシアがアジア進出が進めば、独立国家体制が危ぶまれ、最悪の場合は日本も清も植民地として支配されてしまうかもしれません。

そのため、日本はロシアに対抗しようと自国の近代化を進めました。黒船来航で列強国の近代化を目の当たりにしていたからです。これが、日清戦争中の軍力における差を生み出すことになります。

②朝鮮半島を巡り日清が対立したから

朝鮮を狙う日本と清、それを見守りつつ自分も朝鮮を狙うロシアの様子を表した風刺画
出典:Wikiwand

ロシア勢力に対抗するために、日本は清との間に位置する朝鮮半島を独立させようと試みました。独立・近代化することで朝鮮半島自体の安全を確保しつつ、日本の力になって欲しいと望んでいたのです。

しかし、清は朝鮮半島を属国のままにし、自国の支配下に置くことを望んでいました。アヘン戦争による南京条約アロー戦争による北京条約によって、多くの領土を欧米列強に奪われていたからです。

琉球(沖縄)はこの頃日本の領土となる
出典:Wikiwand

以前は属国だった琉球(現在の沖縄)までも日本の領土となり、清の属国は朝鮮半島のみでした。そのため、朝鮮半島だけは手放すわけにいかなかったのです。

朝鮮半島内では、親日派と親清派に分かれた対立が起こります。親日派は開国し国の近代化を進めようとし、親清派は清の方針に従いつつ国を守ろうとしました。その結果、朝鮮半島を巡る日清間の対立は激化していきます。

③甲午農民戦争が勃発したから

甲午農民戦争を先導した全琫準が逮捕される様子
出典:Wikiwand

そして、1894年2月に勃発した「甲午農民戦争東学党の乱)」が日清戦争の直接的なきっかけとなりました。悪名高い閔妃による独裁政権と政治の腐敗、重税に苦しんでいた朝鮮の農民たちが反乱を起こしたのです。

しかし、実はこの戦争以前から朝鮮半島では内乱が起きていました。閔氏政権と日本への反発から起きた「壬午事変」、近代化を図ろうとする改革派たちによるクーデター「甲申政変」などです。

そしていずれも、清の政権を握る西太后が政治家かつ軍人でもある袁世凱を派遣して鎮圧していました。その結果として清の朝鮮に対する影響力は増大し、朝鮮半島も清を全面的に頼るようになっていたのです。

天津条約を締結させた日本の政治家である伊藤博文
出典:Wikiwand

これを危機とした日本は甲申政変後に「天津条約」を締結。朝鮮半島への出兵時には日清ともに事前通告することが義務付けられました。つまるところ、これは清と朝鮮半島の従属関係を緩和するための条約です。

しかし、甲午農民戦争が起こった際に朝鮮半島から援助を求められた清は天津条約を破り、事前通告なしに軍を派遣し駐屯させました。これをきっかけに日本は清とは和解できないと悟り、朝鮮へ出兵。日清戦争が勃発することとなったのです。

日清戦争の結果と日露戦争勃発までの流れ

海戦における高陞号沈没の様子
出典:Wikiwand
1895年4月17日
日本の勝利で日清戦争終結
日本側が圧勝している最中、清の全権大使李鴻章が来日。山口県の下関で下関条約が締結され、日本側の勝利で日清戦争は終わりを迎えました。
1895年4月23日
三国干渉が発生
ロシア・フランス・ドイツが下関条約による「遼東半島の割譲」に干渉。結果的に日本は遼東半島を清へ返還することになりました。
1904年2月6日
日露戦争の勃発
朝鮮半島に関してロシアと交渉を続けてきた日本ですが、結局は交渉は決裂。日露戦争が勃発しました。

このように、日清戦争の原因には勝敗だけでなく日露戦争にも関係しています。つまり、日清戦争の原因やきっかけを理解することは日露戦争への流れを理解することにもつながるのです。

ここからは日清戦争の原因やきっかけを理解しつつ、改めて日清戦争の結果と日露戦争勃発までの流れを振り返ってみましょう!

日清戦争は日本の勝利で終結

下関条約の締結までの様子
出典:Wikiwand

ロシアの南下政策や朝鮮半島を巡る対立から、甲午農民戦争をきっかけとして始まった日清戦争。長期戦になるかと思いきや、1年ほどで決着が着きました。

明治維新とともに近代化した日本の戦争方法は鉄砲や大砲を使った近代的なもので、昔ながらの清の戦い方とは歴然たる差があったのです。それだけはなく、清側は西太后による散財が原因で軍事費が枯渇していました。

さらには、指揮官の逃亡や呆気ない降伏などが続き、海戦においても陸戦においても日本が有利に進みます。その結果、日本の圧勝で日清戦争は幕を閉じました。

1895年5月に下関条約が締結。清は「朝鮮半島の独立」「多額の賠償金」「遼東半島・台湾・澎湖諸島の割譲」などを約束させられます。また、この敗北によって清は列強国に弱さを見せつけてしまうことになりました。

日露戦争が勃発するまでの経緯

三国干渉の文書
出典:Wikiwand

下関条約も締結させ、朝鮮半島を独立させることができた日本ですが、そう簡単に思い通りにはいきません。ロシア・フランス・ドイツによる三国干渉が起こったのです。

中国東北部に位置する満州を得ようと考えていたロシアにとって、日本が遼東半島を獲得したことは面白くないものでした。日本が中国へ進出することへの危機感を抱いたのですね。

そこで、フランスとドイツとともに日本から遼東半島を清へ返還させたのです。それによって、朝鮮半島は再び保守的な政権に戻ってしまいました。前述した悪名高い閔妃が復活し、清からロシアへ接近するようになったのです。

日本は清と朝鮮半島の従属的な関係を日清戦争で分断したと思っていました。しかし、結果的に清は列強に、朝鮮半島はロシアの支配下に置かれてしまいます。そして、最終的に日本は朝鮮半島を巡り、大国ロシアと戦うことになりました。

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日清戦争と日露戦争の共通点・相違点

共通点相違点
①日本側が勝利する
②朝鮮半島を獲得する
①賠償金の有無
②国民の満足度
日清戦争と日露戦争は似ているようで異なる?

日清戦争と日露戦争は原因が似ていたり、近い年代で起きていることもあって比較されがちですよね。そこで、ここでは日清戦争と日露戦争の共通点と相違点を紹介します。

これまでの記述から、日清戦争の原因から日露戦争への流れが理解できたと思います。原因から流れが分かっていれば、2つの戦争を正しく分けて理解することは難しくありません。

日清戦争と日露戦争はテスト問題などにも頻繁に登場する出来事です。2つの共通点と相違点を理解しておけば、受験にも役立ちますよ!

共通点1:どちらも日本側が勝利する

活躍した大日本帝国陸軍の旗
出典:Wikiwand

第一の共通点として挙げられるのは、両方の戦争とも日本側が勝利したということです。

日清戦争では日本側の近代的な軍事力と清側の軍事力不足によって日本が圧勝。日露戦争ではイギリスからの支援も受けつつ、海軍戦にて世界最強と呼ばれていたロシア側のバルチック艦隊を撃破して勝利をおさめました。

清とロシア、2つの大国に勝利した日本は世界に対して大きな影響を与えることになります。欧米列強は日本を高評価し積極的に日本と関わりを持つようになりました。また、白人支配に苦しむ国々では日本の勝利が独立への希望をもたらすことになったのです。

共通点2:朝鮮半島に関する利権を獲得

朝鮮半島
出典:Wikiwand

もう一つの共通点として、朝鮮半島に関する利権を獲得できたことが挙げられます。

そもそも、日本が清やロシアと対峙したのは欧米列強から日本国家の独立体制を守ることにありました。そのために、隣国の朝鮮半島を独立させ近代化することによって更なる防衛に努めようしたのです。

日清戦争では下関条約によって朝鮮半島の独立が認められました。三国干渉によって遼東半島は奪われてしまいましたが、日露戦争に勝利したおかげで再び朝鮮半島の利権を獲得。

日露戦争後のポーツマス条約によって、朝鮮半島を監督する権利や遼東半島を貸し与えられることなどがきまったのです。2つの戦争を経て、日本はやっと朝鮮半島に関する利権を手に入れることができたのですね。

相違点1:賠償金の有無

賠償金の有無は国家にとって重要

日清戦争と日露戦争の大きな違いは、やはり賠償金の有無といえるでしょう。

日清戦争では下関条約によって、清側は日本側に対して分割払いで2億両(約3億円)を支払うことが約束されています。しかし、日露戦争では莫大な費用と日清戦争以上の死傷者を出したにも関わらず、ロシア側に賠償金の支払いはありませんでした。

敗戦国とはいえロシアの国力は強く、1ヶ月にも及ぶ講和会議の末に日本は朝鮮半島や満州の利権と領土の割譲のみで、日露戦争による賠償金を得ることはできなかったのです。

相違点2:戦争に対する国民の満足度

2つの戦争に対して国民はどう考えていたのか

戦争に対する国民たちの満足度も、日清戦争と日露戦争で異なりました。

日清戦争では、最初のうちこそ清に対する恐れがあったものの戦いの勝利が届けられると日本国民は喜び合ったといわれています。「帝国万歳」という言葉が流行し、凱旋行事も頻繁に行われたのです。

しかし、日露戦争では賠償金を支払われなかったことで国民の不満が爆発。日比谷焼打事件*などの暴動が起こり、当時の桂内閣は退陣することになりました。

*日比谷焼打事件
日露戦争後にロシア側から賠償金が支払われなかったことに対して、不満を抱いた国民が内務大臣の官邸や交番、新聞社を襲撃した事件。死者17名、負傷者500名を出す大惨事となった。

日清戦争の原因に関するまとめ

今回は、日清戦争の原因を勃発のきっかけや日露戦争との関係も交えて解説しました。日清戦争とは、日本と清との間だけで起きた問題ではありません。

産業革命による世界の近代化、欧米列強による各地の植民地化、ロシアの南下政策など当時の世界情勢が複雑に絡み合って起こったのです。そのため、日清戦争の原因にはその後に起こる日露戦争にも関係があります。

日清戦争の原因を理解することは日露戦争への流れ、その後の日本の情勢を理解することにつながるのです。この記事を読んで、日清戦争と日露戦争の両方の理解が深まってくれれば幸いです。

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