海外の有名なシリアルキラーランキング17選一覧
名前 | 国名 | 事件名・呼び名 | 活動期間 | 被害者数 |
---|---|---|---|---|
アルバート・フィッシュ | アメリカ | 満月の狂人 | 1910~1934年 | 15名 (自供によると400名) |
マイセル・プショー | フランス | 死神博士 | 1941~1944年 | 26名以上 |
ディーン・コール | アメリカ | キャンディマン | 1970~1973年 | 28名 |
テッド・バンティ | アメリカ | 元祖シリアルキラー | 1974~78年 | 30名以上 (実際は更に多いと推定) |
カール・デンテ | ドイツ | ドイツ食人犯 | 1921~1924年 | 30名以上 |
ジェーン・トッパン | アメリカ | ヘルスケア・シリアルキラー(死の天使) | 1895~1901年 | 31名以上 |
ジョン・ウェイン・ゲイシー | アメリカ | 殺人ピエロ | 1972~1978年 | 33名 |
アレクサンドル・ピチュシキン | ロシア | チェスボードキラー | 1992~2001年 | 48名 (推定では61~63名) |
ゲイリー・リッジウェイ | アメリカ | グリーン・リバー・キラー | 1982~1990年 | 49名 (実際は70名以上と推定) |
ブルーノ・ルトケ | ドイツ | ドイツ連続強姦殺人犯 | 1928~1943年 | 51名 (自供では85名) |
アナトーリ・オノプリエンコ | ウクライナ | ウクライナの野獣 | 1989~1996年 | 52名 |
ペドロ・ロペス | コロンビア | アンデスの怪物 | 1969~1979 | 53名 (自供では300名以上) |
ウィリアム・ユネック | ベルギー領コンゴ・タンザニア | コンゴ・タンザニア大量殺人犯 | 1954~1957年 | 57名 |
ダニエル・カマルゴ・バルボサ | コロンビア・エクアドル | コロンビア連続殺人犯 | 1974~1986年 | 72名 |
ミハイル・ポプコフ | ロシア | アンガルスクの狂人 | 1992~2010年 | 78名 (推定は81名) |
ニールス・ホーゲル | ドイツ | 戦後ドイツ最悪の連続殺人鬼 | 2000~2005年 | 106名 (推定は300名以上) |
ルイス・ガラビード | コロンビア | 世界最悪の殺人鬼 | 1994~1999年 | 138名 (実際は300名以上) |
※被害者数は立件できた人数です。
17位:アルバート・フィッシュ
アメリカの殺人鬼で、立件されているだけで15名、自供によると400名以上殺害した人物です。満月の夜に事件を起こすことが多かったので、「満月の狂人」と呼ばれました。犯人は「マゾヒズム」「サディスティック」「食人」などの異常性癖の持ち主で、肉を食べるために殺害された被害者もいました。
最後は殺害した少女の遺族に食人の感想を書いた手紙を送り、手紙から身元がばれ逮捕されています。裁判は精神喪失が争点となりましたが、死刑となり電気椅子で処刑されました。
アルバートフィッシュとはどんな人?起こした事件や結末、生涯を紹介
16位:マルセル・プショー
1941〜1944年の間に少なくとも26名(自供では63名)を殺害した人物です。医師でしたがフランスがナチスドイツの占領下に置かれると、迫害を恐れたユダヤ人にお金を出せば国外脱出させると宣伝し、実際は自宅兼医院に監禁し毒ガスで殺害し金品を強奪していました。
医院内は警察の捜査によると、精巧なガス室となっていました。結局混乱期のために逃亡してしまい行方不明でしたが、戦後にフランス国内軍の「アンリ・ヴァレリー大尉」であることが判明。逮捕後、プショー本人であることが確認されました。裁判で死刑が確定。ギロチンにより処刑されました。
15位:ディーン・コール
1970〜1973年にかけてアメリカで少なくとも28名の少年を誘拐・強姦・拷問して殺害した人物です。犯人は家族とともにキャンディ工場を経営していたために、地元の子供たちに無料でキャンディを与えており、「キャンディマン」と呼ばれていたといいます。
事件には共犯者が2名おり、共犯者の住居まで誘い込み強姦などを行い、絞殺や射殺していました。犯人たちは17名を借りたボート小屋に隠し、4人を森林に埋め、7人を砂浜に埋めたそうです。結局共犯者はコールを射殺。その後2人は逮捕され、誘拐と殺人を自供し、終身刑を言い渡されています。
14位:テッド・バンティ
アメリカで7つの州にまたがって30名以上を殺害したことが判明し、実際はもっと多いことが推定される「シリアルキラー」という単語の語源にもなった人物です。犯人はイケメンのIQ160以上の優秀な人物であったことも世間を驚かせました。
失恋のコンプレックスから「長いストレートヘアーをセンターわけした知的な10代後半から20代前半の白人女性」を狙い、殺害しています。逮捕後は当然死刑が宣告され、電気椅子で処刑されました。
テッドバンディってどんな人?映画のあらすじや連続殺人鬼の犯行、生い立ちについても解説
13位:カール・デンテ
1921〜1924年にドイツで30名以上を殺害した人物です。普段は街のホームレスたちを経営する下宿屋に泊めて、地域の人から称賛されている人でした。しかし部屋から悲鳴が聞こえ駆けつけてみると、デンテが下宿人の頭を叩き割ろうとしていたそうです。
その後駆けつけた警察官が部屋から、塩漬けの人肉を2樽、骨や脂肪が入った瓶を発見しています。大体30名ほどが想定できる量でした。デンテは3年間人肉しか食べておらず、人肉を目的に宿泊させていたことが判明。逮捕されたものの、拘置所で自殺しました。
12位:ジェーン・トッパン
アメリカで看護婦をしながら31名を殺害したヘルスケア・シリアルキラーです。病院で毒を混ぜ殺害した患者数が19名、患者の親族や自分の家族などを12名殺害しています。逮捕後の供述によると、生死をさまよう患者から性的なスリルを味わっていたというのが理由でした。
最後は生き残った家族が毒物検査を依頼し判明。逮捕後、刑事責任能力なしと判断され、1938年に死亡するまで病院に収監されています。
11位:ジョン・ウェイン・ゲイシー
アメリカで1972〜78年の間に、33人の少年を強姦・殺害した人物です。ボランティアでピエロの格好に扮することが多かったために「殺人ピエロ」とあだ名されました。犯行は少年を巧妙に家に連れてきて強姦。そして絞殺した後に床下に埋め、塩酸を撒いていたそうです。
ゲイシーは次第にマークされ家宅捜索されますが、遺体は腐敗しあまりのにおいに捜査服は焼却処分される程だったといいます。逮捕後は多重人格を主張するも死刑が確定。1994年に薬物刑に処されています。
10位:アレクサンドル・ピチュシキン
1992〜2001年までにロシアで少なくとも48名、推定は61~63名殺害した人物です。最初は学生時代に友人を絞殺し下水溝に投げ入れたことから始まり、以来チェスボードの数である64を目指して人を殺していたといいます。
被害者はホームレスで、ウォッカを勧めて一緒に飲み、相手が酔ったところをハンマーで撲殺するという手口でした。2006年に逮捕されるも、ロシアは事実上死刑が廃止されているために、最も重い無期懲役が課せられています。
9位:ゲイリー・リッジウェイ
1982〜1990年までに立件されたもので49名、実際は70名以上殺害したという人物です。遺体をグリーン川に遺棄したために「グリーン・リバー・キラー」とあだ名されました。犠牲者のほとんどが売春婦や家出少女で、絞殺後に遺棄されています。死体の様子を見に来て、屍姦することもありました。
長らく未解決事件でしたが、DNA調査により犯人が特定。逮捕されるも司法取引が行われ、終身刑を言い渡されており、現在服役中です。
8位:ブルーノ・ルトケ
1928〜1943年で少なくとも51名(自供では81名)の女性を殺害、屍姦した人物です。軽度の知的障害があったといい、犯行もドイツの政情不安により発覚を免れていました。しかし1943年に森で絞殺された女性の遺体が発見され、逮捕されています。そして逮捕時に85名の殺人を自供。
あっさりと犯行を認めたのは、精神異常で追訴されないことを見越したものと考えられますが、起訴されずにナチスの「犯罪医学研究所」に送られ、人体実験の実験台にされました。1944年に薬物投与で死亡したことがわかっています。
7位:アナトーリ・オプリエンコ
1986〜1996年の6年間で52名を殺害した人物です。手口は強盗目的で侵入し、わざと騒ぎを起こして一家を起こし、注意をひきつけて成人男性を殺害。その次に妻などの女性を殺害、最後に子供を殺しました。目撃された場合も射殺しています。
結局犯人の同居人が凶器を発見したために警察に通報し、逮捕されました。逮捕後死刑を確定されていますが、欧州連合が死刑を廃止したために終身刑に減刑されています。
6位:ペドロ・ロペス
コロンビア・エクアドル・ペルーで少なくとも53名を殺害、自供では300名以上の少女を強姦・殺害したという人物です。「アンデスの怪物」と噂され、ギネスブックに「個人で最も多くの人間を殺した殺人者」に登録されるも苦情により削除されました。
自供によると9歳から12歳の「できるだけ無邪気な表情をした少女」を狙い、森やホテルの一室で殺害し建築現場や森に埋め、週に2,3人殺害していたといいます。犯人はエクアドルで最高刑の16年の禁固刑が処され、現在は釈放されているものの行方不明となっているそうです。
5位:ウィリアム・ユネック
1954〜1957年まで、ベルギー領コンゴで57名を殺害した人物です。警察官でしたが、1954年に1時間半の間に斧で21人を殺害、多くの人を負傷させました。その後犯人はタンザニアに逃げ込み警察官として働き始めますが、1957年に上司の確執がきっかけでライフルを乱射、12時間の間にライフルや斧などで36名殺害しています。
その後大捜査していましたが捕まらず、食料を求めて訪ねてきた家の通報により警察が駆けつけ、家に火を放たれたことにより大やけどを負い死亡しました。
4位:ダニエル・カマルゴ・バルボサ
1974〜1986年の間にコロンビア・エクアドルで72人の少女を殺害した人物です。最初に9歳の少女を強姦し殺害した罪で逮捕され、25年間懲役となりました。しかし刑務所を脱走、エクアドルに流れ着いたために再度殺人を再開しています。エクアドルでは少女を森に連れ込んで強姦後に殺害。
84〜86年の間に少なくとも71人を殺害したと自供しています。逮捕後エクアドルで最長の懲役16年でしたが、同じ刑務所に服役していた被害者少女の従兄弟に、全身を数十か所刺されて死亡しています。
3位:ミハイル・ポプコフ
ロシアで1992〜2010年にかけて女性78名を殺害した人物です。実際は81名だったと考えられています。ロシアで最も連続殺人を犯したために、「アンガルスクの狂人」とあだ名されました。自分が警察官であったことを利用して、被害者に近づき強姦し、ナイフや斧などで殺害し遺体を切り刻んでいました。
警察官であったために捜査は難航しましたが、現職警官と元警官のDNA判定をして逮捕に至っています。立証されたもので78名、推定で81名殺害したことが判明し、ロシアには死刑がないため、終身刑が言い渡されました。
2位:ニールス・ホーゲル
ドイツの看護師で、少なくとも100人以上の患者を死亡させた人物です。2000〜2005年で少なくとも300名を殺害したといわれ、「戦後ドイツ最悪のシリアルキラー」といわれています。集中治療室に務めていましたが、2005年に2件の殺人と4件の殺人未遂で逮捕されました。
そして134体に及ぶ遺体を掘り起こし調査し、少なくとも106名の殺害の関与が判明。しかし火葬された遺体も多く、実際は200〜300名に及ぶと考えられています。犯人は
「同僚や上司の前で患者を救うことで、称賛を浴びたいと考えていた。生き返れば幸せだったし、失敗して患者が死ぬと挫折感を味わった」
と証言しています。2019年に終身刑が言い渡されました。
1位:ルイス・ガラビード
コロンビアの強姦・殺人鬼で、わかっているだけで138名を強姦・拷問・殺害しています。また刑務所で証言しているものが全て立証されたならば、300名を超える可能性もあるということです。被害者は6歳から16歳までのホームレス・農民・孤児の少年だったといいます。
結局殺人未遂で逮捕されたのを皮切りに、犯行を自供。当初は1583年の懲役が課されたものの、捜査協力のために22年に減刑され現在服役しています。
シリアルキラー一覧に関するまとめ
いかがでしたでしょうか?今回はシリアルキラーと呼ばれる殺人者の中でも、特に殺害人数が多いものをご紹介しました。全てにおいて言えることは、全く理解に苦しむ人ばかりであり、そういった人物ができればこれから現れないで欲しいと祈るばかりに感じております。最後までお読みいただきありがとうございました。
シリアルキラーの定義が間違っております。
日本人しか見ておりませんが大量虐殺犯のランキングです。