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【年表付】キング牧師とはどんな人?演説や名言、暗殺された理由も紹介

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(以下、キング牧師)は、1950年代後半から活躍した公民権運動のリーダーです。彼の「I have a dream」という演説は多くの人を感動させ、勇気づけたとしてとても有名です。

当時アメリカでは、肌の色の違いにより黒人は差別されていました。特にキング牧師が育ったアメリカ南部では差別が強く、バスの中やレストランでは黒人と白人の席は分けられ、黒人と白人は同じ学校にも行かれませんでした。

そんな人種差別をなくそうと立ち上がったのがキング牧師です。キング牧師がいなかったら、アメリカにおける人種差別は今も根強く残っていたのではないかと言われてます。

キング牧師、伝説のスピーチ

1955年からキング牧師は、バスボイコット運動やワシントン大行進など、人種差別撤廃を訴えるいくつもの抗議運動をおこないました。これらの抗議運動を通してキング牧師は、徹底した非暴力を貫きます。「非暴力のキング牧師たち黒人」と「暴力的な手段で邪魔をする白人警官たち」という構図は、全米、そして世界に衝撃を与えました。

そして、1963年8月、「人種差別をすぐにやめよう!」と政府に訴えるため、首都ワシントンDCで行進をしました。

人種差別撤廃と黒人の地位向上のため抗議運動を率いてきたキング牧師は、1964年ついに公民権法成立という勝利を手にします。さらに翌年、キング牧師はノーベル平和賞を受賞します。その後も差別をなくすために活動しますが、1968年4月4日、39歳の時に殺されてしまいました。

キング牧師がその生涯をささげた公民権運動、そしてキング牧師の死から約50年たった2009年1月、アメリカで初の黒人大統領が誕生しました。キング牧師が生きていたら、どのような思いでこの時を迎えたでしょうか。

高校生の頃キング牧師の思想や演説に感動して以来、様々な本や映像で理解を深め、さらにキング牧師の足跡を辿るためアメリカ南部を旅してきた私が、キング牧師の生涯について、どのような人物だったのか、さらに彼が生きた時代はどのような時代だったのか、数々の名言や演説とともに解説します。

キング牧師の来歴は?

名前マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
誕生日1929年1月15日
生地アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ
没日1968年4月4日 
没地テネシー州メンフィス ロレイン・モーテルの2階バルコニー
配偶者コレッタ・スコット・キング
埋葬場所ジョージア州アトランタ

キング牧師の生い立ちは?

差別を経験したキング牧師

キング牧師は1929年1月15日アメリカジョージア州アトランタに、バプテスト派の牧師である父マイケル・ルーサー・キングと母のアルバータ・クリスティーンのもとに生まれました。2歳年上の姉のウィリー・クリスティーン、1歳年下の弟のアルフレッド・ダニエルの3人兄弟です。

父マイケル・ルーサー・キングは息子にも同じ名前を付け、後にマーティンと改名した際に息子も同様に改名し、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアとなりました。

キング牧師の家は比較的裕福な中流家庭で、幼少の頃隣の家の白人家庭の男の子2人と遊んでいたようです。しかしキング牧師が6歳の時、彼らの母親が「黒人とは二度と遊ばせない」と宣言したこと、また、黒人と白人は同じ学校に行かれないことを知り、人生で初めて「差別」を経験しました。
アトランタにあるキング牧師の生家は国立歴史地区に登録されており、見学ができます。

キング牧師が行った公民権運動とは?

ワシントン大行進

公民権運動とは、1950年代~1960年代にかけて黒人によって展開された、人種差別の撤廃と平等、自由と権利を求める社会運動のことを言います。

公民権運動は、1955年のモントゴメリーバスボイコット運動から始まり、1963年8月のワシントン大行進でピークを迎えます。

1964年7月にジョンソン政権下で、識字テスト禁止、公共施設や教育機関での人種統合を促進のための連邦政府の権限強化、雇用における差別の禁止などを盛り込んだ「公民権法」が成立しました。

1967年、最高裁判所で異人種間の結婚を禁じる州法が禁止となり、さらに1968年には不動産取引における差別を禁止する公民権法が成立しました。

1969年には、ミシシッピ--州で初の黒人市長が誕生します。また、就職や入学の際に歴史的な差別を考慮するという「アファーマティブアクション」により、黒人の大学進学も進みました。しかし、ベトナム戦争の激化と反戦運動の高まりとともに、公民権運動は次第に収束へ向かいました。

キング牧師のマルコムXとの関係性は?

キング牧師について語る際、その対極として名前がでてくるのがマルコムXです。キング牧師と同様、1960年代公民権運動のリーダーとして活躍した人物です。キング牧師とマルコムXは、「暴力」と「非暴力」という対立する見方をされてきました。

実際に、マルコムXはキング牧師と支持者たちを「アンクル・トムのような連中」と侮蔑していた時期もあり、同様にキング牧師も、マルコムXの思想を否定する発言をしていたようです。しかし、キング牧師とマルコムXはスタイルは違っても目的は同じであり、互いを認め尊敬していたとのことです。

互いに歩み寄り、キング牧師とマルコムXの対談が実現しようとした矢先の1965年2月、マルコムXは暗殺されてしまいました。キング牧師との対談の二日前でした。

キング牧師はなぜ暗殺されてしまったのか?

1968年4月4日、キング牧師はテネシー州メンフィスで宿泊先のモーテルのバルコニーで、ライフルに撃たれて暗殺されました。銃から採取された指紋により、犯人はイリノイ州生まれの白人ジェームス・アール・レイだと判明し、暗殺の動機は白人至上主義によるものだとされています。

しかし、なかなか無くならない人種差別にいら立つ黒人の中には、非暴力を貫くキング牧師に対し「黒人の敵」という過激な見方をする者もいたと言われています。実際にライフルを撃った犯人はこの白人レイではありますが、単独犯なのか、共犯者がいたのかなどについては不明のままとなっています。

キング牧師の名言

「Love is the only force capable of transforming an enemy into a friend.」
「愛だけが、敵を友人に変えられる唯一の力だ。」

「I have a dream that one day on the red hills of Georgia, the sons of former slaves and the sons of former slave owners will be able to sit down together at the table of brotherhood」
「私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。」

「I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character.」
「私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。」

キング牧師の名言10選!背景や意図も解説【英語&和訳付】

キング牧師の演説・スピーチまとめ

日本語字幕版の演説

リンカーンの奴隷解放宣言から100年が経った1963年8月28日、「ワシントン大行進」で20万人近い人々が人種差別即時撤廃を求めワシン トン記念塔からリンカーン記念堂まで行進しました。
この時キング牧師の「I Have a Dream」の演説は、独立宣言にある「すべての人間は平等に作られている」という理念を訴えています。

死の前日のスピーチ

このスピーチは1968年4月3日テネシー州メンフィスのメイソン・テンプルで行われました。このスピーチの翌日4月4日、宿泊先モーテルの2Fバルコニーで銃で撃たれ亡くなります。公民権運動のリーダーとして活動してきたキング牧師は、家を焼かれたり、刺されたりと何度もその命を狙われてきました。そのような中、メンフィスで行われたこのスピーチには、自らの死を予感していたのではないかとも思える一節があると言われています。

演説の全文はこちら

1963年8月28日、25万人もの人々がワシントン大行進のためにワシントンDCに集まりました。そこでは出身や皮膚の色に関係なく、全ての人々に平等を求めるため、キング牧師は演説へと臨みました。

その演説のタイトルは「私には夢がある」(I Have a Dream)。あらゆる人々の差別をなくし、自由を訴える彼のメッセージは多くの人々が感動したのです。

下記はそのうちの一部で、全文を読みたい方はこちらよりご覧ください。


私には夢がある。それは、いつの日か、この国が立ち上がり、「すべての人間は平等に作られているということは、自明の真実であると考える」というこの国の信条を、真の意味で実現させるという夢である。

私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。

私には夢がある。それは、いつの日か、不正と抑圧の炎熱で焼けつかんばかりのミシシッピ州でさえ、自由と正義のオアシスに変身するという夢である。

私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。

今日、私には夢がある。

私には夢がある。それは、邪悪な人種差別主義者たちのいる、州権優位や連邦法実施拒否を主張する州知事のいるアラバマ州でさえも、いつの日か、そのアラバマでさえ、黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手をつなげるようになるという夢である。

今日、私には夢がある。

私には夢がある。それは、いつの日か、あらゆる谷が高められ、あらゆる丘と山は低められ、でこぼこした所は平らにならされ、曲がった道がまっすぐにされ、そして神の栄光が啓示され、生きとし生けるものがその栄光を共に見ることになるという夢である。

これがわれわれの希望である。この信念を抱いて、私は南部へ戻って行く。この信念があれば、われわれは、絶望の山から希望の石を切り出すことができ るだろう。この信念があれば、われわれは、この国の騒然たる不協和音を、兄弟愛の美しい交響曲に変えることができるだろう。この信念があれば、われわれ は、いつの日か自由になると信じて、共に働き、共に祈り、共に闘い、共に牢獄に入り、共に自由のために立ち上がることができるだろう。

引用元:「私には夢がある」(1963年)|About THE USA|アメリカンセンターJAPAN

キング牧師にまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「キング牧師はアメリカ政府に暗殺された?」

暗殺されたキング牧師

1968年4月4月4日、テネシー州メンフィスの宿泊先のモーテルでキング牧師は暗殺され、ライフルの指紋から犯人は、人種差別主義者の白人ジェームス・アール・レイだということが分かりました。ところが、彼は単独犯ではなく背後にアメリカ政府やCIAがかかわっていたという説があるのです。

なぜ政府やCIAなどの組織がキング牧師を暗殺する必要があったのでしょうか。その理由は、ベトナム戦争に対する反戦デモを行ったり、ベトナム戦争を批判したため邪魔になったからだと言われています。

実際、犯人のレイは攻撃的な性格ではあるものの、暗殺の前日まで刑務所にいたと言われています。そんな犯人レイが、どうしてキング牧師の宿泊先を知っていたのでしょうか。また、犯人は逮捕後、米国下院暗殺問題調査特別委員会で「 ラウールという男にはめられた 」と証言し、無実を主張したとのことです。しかし、彼は獄中で病死したため、真相は闇に葬られたままとなってしまいました。

都市伝説・武勇伝2「キング牧師は自分の死を予知していた」

キング牧師は数多くの演説をおこなってきました。それぞれの演説の内容は、非暴力を訴えながらもその場にいる黒人たちを力づけ、人種差別撤廃に向けて結束を強める内容のものが多いですよね。

しかし、1968年テネシー州メンフィスのメイソン・テンプルでおこなった演説は一風変わったものとなりました。演説の内容が自らの死を予言していたのではないか、ととれる内容だったからです。公民権運動のリーダーとして活動してきた中で、脅迫されたり、実際に命を狙われたことも何度もありますが、このような内容の演説をおこなったことはなかったようです。

なぜ、この日に限って自らの死を予言するような内容の演説をおこなったのでしょうか。実際に、この時この場で演説を聞いていた人々は、「不吉な予感に震えた」と後に語っているようです。そして、その不吉な予感は悲しい現実となり、翌日宿泊先のモーテルでキング牧師は暗殺されてしまいました。

キング牧師の略歴年表

1929年
アメリカ合衆国ジョージア州アトランタに生まれる
バプテスト派の牧師の家に、父マーティン・ルーサー・キングと母アルバータ・クリスティーンの元に長男として生まれました。姉と弟の3人兄弟です。
1954年
牧師として教会で働き始める
父と同じく聖職者の道を選んだキング牧師は、25歳の時ボストン大学神学部で博士号を取得し、卒業するとアラバマ州モントゴメリーの教会で牧師として働き始めました。
1963年
バスボイコット運動
黒人女性ローザ・パークスが逮捕されたことに怒ったキング牧師は、「いかなる場合にもバスに乗らない」というバスボイコット運動を指揮し、連邦最高裁判所からバス車内人種分離法違憲判決を勝ち取りました。
1958年
暗殺未遂
ハーレムで黒人女性に胸にナイフを胸に突き立てられましたが、一命を取り留めました。
1963年
バーミングハムで解放運動
最も人種差別が激しかったアラバマ州バーミンガムでデモを開始しました。この抗議デモの最中に逮捕され、一週間投獄されました。
1963年
ワシントン大行進
人種差別即時撤廃を求め、役20万人がワシントンD.C.のリンカーン記念堂前のワシントン記念塔広場に集結しました。
1964年
ノーベル平和賞を受賞
公民権運動への貢献と、非暴力を掲げ人種差別撤廃運動を指揮していたことを評価され、ノーベル平和賞を受賞しました。
1968年
暗殺
メンフィス市内にあるロレイン・モーテルの2階バルコニーで、白人男性ジェームズ・アール・レイにライフルで撃たれました。弾は喉から脊髄に達する致命傷となり病院に搬送されたものの、死亡しました。

キング牧師の具体年表

1929年 – 0歳「ジョージア州アトランタに生まれる」

ジョージア州アトランタに生まれる

代々牧師を務めるバプテスト派のアフリカ系アメリカ人の家庭の長男です。父方も母方も先祖は奴隷としてアメリカにやってきましたが、努力の結果牧師という地位を築き、キング牧師が生まれたころは裕福な中流階級となっていました。

家族構成は以下の通りです。

  • 父:マイケル・ルーサー・キング(のちにマーティンと改名)
  • 母:アルバータ・クリスティーン
  • 姉:ウィリー・クリスティーン
  • 弟:アルフレッド・ダニエル

幼少期のキング牧師は教会が大好きで、母の弾くピアノに合わせてよく賛美歌を歌っていたようです。キング牧師が生まれた家は、現在ナショナルヒストリックパークの一部となっており、見学もできます。

1935年 – 6歳「初めて人種差別を経験する」

仲良しの友達と同じ学校に行かれない

キング牧師は、幼少の頃隣の家に住む白人家庭の息子たちと仲良しでよく遊んでいました。当然同じ小学校に行くものだと思っていたキング牧師ですが、彼らは白人だけの小学校に入ります。キング牧師はかれらの母親に理由を尋ねると「もう黒人とは一緒に遊べない」と言われてしまいます。

これが、キング牧師が受けたはじめての人種差別だといわれています。その後も何度も人種差別を経験していきました。当時のアメリカは人種差別が残っており、キング牧師が育ったアメリカ南部は特に人種差別が強く、バス、レストラン、映画館などの公共施設では黒人と白人の席は分けられ、教育の場でも黒人と白人は同じ学校に行かれませんでした。

そのような中、子供の頃のキング牧師は大変優秀で、中学、高校を飛び級して大学に進学します。

1951年 – 23歳「ボストン大学神学部に入学」

ボストンで南部と北部の違いに驚く!

当初キング牧師は法律家と聖職者、どちらの道を進むか迷っていましたが、父と同じ聖職者になることを決心し、1948年ペンシルバニア州の神学校に入学し、卒業後さらにボストン大学神学部に入学しました。

ボストン大学在学中、ボストンのレストランで白人の店員がキング牧師が黒人であることを理由に注文を取りに来ない、という事がありました。しかし、ボストン北部ではこのような行為は禁止されていたため、この店員は人種差別ですぐに逮捕されました。

妻となったコレッタ・スコット

酷い人種差別が当たり前であった南部で育ったキング牧師は、この出来事に大変驚いたと言われています。 また、ボストン在学中に妻となるコレッタ・スコットと出会います。

1954年 – 26歳「牧師に就任」

キング牧師の誕生

ボストン大学を卒業したキング牧師は、妻とともにアラバマ州モントゴメリーに移り、教会の牧師に就任しました。キング牧師の誕生です。このモントゴメリーの地から、キング牧師の公民権運動は始まりました。

最初の1年間は平穏な生活をおくりながらNAACPのモントゴメリー支部に属し、差別に苦しむ人々の悩みなどを聞いていました。しかし、将来公民権運動のリーダーとして歴史に名を残すとは、この時のキング牧師は想像もしていなかったでしょう。

モントゴメリーの街の4割は黒人でしたが、黒人に許される仕事はわずかで多くの黒人家庭は大変貧しいものでした。そして、いじめのような差別は「ジムクロウ法」という悪の法律で決められていました。
この頃起きた悲惨な事件にエメット・ティル殺害事件があります。

1955年8月シカゴからミシシッピーに遊びに来た14歳の黒人少年エメット・ティルが、白人女性に口笛を吹いただけでその夫や友人たちに誘拐され、残酷なリンチを受けて殺されていまいました。しかし、白人である犯人たちは無罪となりました。

1955年 – 27歳「バスボイコット運動を指揮」

ついにキング牧師が動き出す

パークスが逮捕されたバス

1955年12月モントゴメリーで黒人女性のローザ・パークスが、バス内で白人に席を譲らなかったために逮捕されたということに激しく怒った黒人たちとキング牧師は事件に抗議するため、「どこへ行くにもバスには乗らない」というバスボイコット運動を行いました。

モントゴメリー市長のゲイルは「人種差別主義団体」に加盟し、白人たちと一緒にキング牧師の運動をあらゆる手段で妨害しようとしました。 しかし黒人たちの結束は固く、ボイコット運動は381日間続きます。

ボイコット運動を始めた翌年、白人の人種差別主義者によってキング牧師の自宅が爆破される事件がありました。幸いキング牧師や家族は留守だったため被害に合いませんでした。

1960年 – 33歳「モントゴメリーからアトランタへ」

モントゴメリー教会を辞任、次はアトランタへ

1960年1月モントゴメリー教会を辞任し、アトランタのエベニーザ教会のそばに引っ越しました。この頃のキング牧師は、ジョージア州オールバニの解放運動、アラバマ州のバーミンガムの解放運動と続けてリーダーとして活躍します。特に、バーミンガムは人口の7割が黒人にも関わらず、南部の中で最も人種差別の激しい場所でした。

警察署長のブル・コナーはバーミンガムでのデモ隊に対し、警察犬をけしかけ、警棒で打ち、高圧ホースで水をかけたり様々な暴力をふるいます。 このような警官や白人暴徒による暴力は、たちまちテレビや新聞で全米中、世界中に広まり、人々にショックを与えました。アメリカ南部で何が起きているのか、その真実が世界に広まったのです。このことで、著名人をはじめ多くの白人も黒人たちへの暴力に対し反対の立場にたつようになります。

1963年 – 36歳「ワシントン大行進」

I have a dream

1963年8月、リンカーンの奴隷解放宣言100年を記念する大集会が開かれます。この時のワシントン大行進には、著名人をはじめ20万人を超える人々が参加しました。まさに、公民権運動はピークを迎えます。この集会でキング牧師は、リンカーン記念堂の前で有名な「I have a dream」の演説をおこないました。

暗殺されたケネディ大統領

1963年11月22日、人種差別反対であり、キング牧師を支持していたケネディ大統領が暗殺されます。差別廃止運動を支えてくれた家メディ大統領を失ったものの、ケネディの後に就任したジョンソン大統領も人種差別撤廃運動に理解を示し、ジョンソン政権下で公民権法が成立します。長い間苦しんできた黒人たちが、やっとスタートラインに立てたのです。

1964年 – 37歳「ノーベル平和賞受賞」

非暴力運動の功績が認められたものの…

1964年、キング牧師にノーベル平和賞が授与されました。非暴力で人種差別撤回に立ち向かってきた功績が認められたのです。アメリカの黒人として3人目の受賞となります。

しかし、公民権法が成立しても依然と残る人種差別、エスカレートする白人の暴力に、「キング牧師のり方は甘い」と過激な思想をもつ黒人たちも増え始めていきました。ストークリー・カーマイケルや黒人の武装蜂起を促すブラックパンサー党などが現れるようになります。

そのような中、ベトナム戦争の激化に伴い白人黒人問わず、若者たちが前線に送られていくようになると、アメリカ国内では反戦運動が本格化していきます。この頃からキング牧師もベトナム反戦運動に本格的に関与していきました。

1968年 – 39歳「暗殺」

志半ばで…

キング牧師の墓

1968年4月、キング牧師はテネシー州メンフィスを訪れていました。宿泊先であるロレイン・モーテルでその日の夜の演説について打ち合わせをしていた際、バルコニーに出てところを白人男性で脱獄犯でああるジェームズ・アール・レイに撃たれました。弾丸は致命傷となり、病院に搬送されるも間もなく死亡してしまいました。

キング牧師の死は黒人だけでなく、多くのアメリカ人が悲しみ葬儀に参列しました。暗殺現場となったロレイン・モーテルは、現在国立公民権博物館となっています。

キング牧師の関連作品

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キング牧師―人種の平等と人間愛を求めて

キング牧師の功績だけでなく、人間キング牧師はどのような人物だったのかに触れている本です。キング牧師の思想を知ることで、キング牧師が訴えた愛、平和が今の世界にも必要であることを改めて実感します。

マーティン・ルーサー・キング――非暴力の闘士

キング牧師の非暴力による運動はどうして成功したのか、他の多くの黒人リーダーたちと何が違ったのかが分かります。その時その時のキング牧師の葛藤がリアルに描かれています。

キング牧師の力づよいことば―マーティン・ルーサー・キングの生涯

いまだに、暴力や戦争がなくならない今の世を率いる世界のリーダーたちにこそ呼んで欲しい一冊です。そして、これからの時代を生きていく子供達におすすめしたい本です。

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ドキュメント=キング牧師の黒人差別反対のたたかい、その生涯

キング牧師について、当時を知る人や家族が語っています。また、キング牧師が生きた時代のアメリカ社会を知ることができる貴重な映像がたくさん映っています。

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グローリー/明日への行進

キング牧師が生きた時代、キング牧師の活動が描かれています。エンターテインメント性はありませんが、キング牧師の偉大さや人物像が分かります。

関連外部リンク

キング牧師についてのまとめ

キング牧師についてご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。

自らの意志ではなく奴隷として無理やりアメリカに連れてこられた黒人たちは、長い間言葉では言い表せないほどの差別に苦しみました。そんな苦しみを終わらせよう、差別を終わらせよう、と立ち上がったキング牧師。

長年の苦しみを考えれば、非暴力を貫くのは並大抵のものではなかったでしょう。しかし、キング牧師の非暴力をモットーとする運動は、ついに公民権法の成立を勝ち取ります。キング牧師はまさに黒人たちの希望であり、いまを生きる私たちの希望にもなりえるのです。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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