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キング牧師とは何した人?生涯・年表まとめ【演説や功績、暗殺された理由も紹介】

「キング牧師ってどんな人?」
「キング牧師の演説やその背景が知りたいな」
「キング牧師ってなんで暗殺されたの?」

この記事を読んでいるあなたは、このようなことを思っているのではないでしょうか。マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(以下、キング牧師)は、1950年代後半から活躍した公民権運動のリーダーです。

ガンディーの「非暴力・不服従」の理念に感銘を受け、同じ手段で人種差別の撤廃を求めて活動しました。

特にワシントンDCで行われた「I have a Dream」演説は公民権法成立に大きく貢献し、黒人たちに対する法的な差別をなくしたのです。

キング牧師、伝説のスピーチ

そんなキング牧師の人生や思想・演説について、彼の演説に感動してさまざま本を読破し、映像を視聴して理解を深めただけでは満足できず、キング牧師の足跡をたどるためにアメリカ南部を旅してきた筆者が解説します。

キング牧師が生きた時代背景や名言についてもご紹介しますので、ぜひ参考にしてください。

キング牧師とは?生涯をダイジェスト

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名前マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
誕生日1929年1月15日
生地アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ
没日1968年4月4日 
没地テネシー州メンフィス ロレイン・モーテルの2階バルコニー
配偶者コレッタ・スコット・キング
埋葬場所ジョージア州アトランタ

キング牧師、通称マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは1929年1月15日にアメリカ・ジョージア州の三人兄弟の長男として生を受けました。当時のアメリカでは黒人がひどい差別に晒されており、キング牧師も例にもれず6歳のときに経験しています。

特にキング牧師の心に残ったのが、高校時代の弁論大会の帰り道でした。キング牧師はバスの中で白人から席を譲れと強制され、渋々譲ります。

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア

当時のアメリカには黒人が白人にバスの座席を譲ることを定めた法律があったからです。あまりにも悔しい出来事にキング牧師はこのとき、差別を認める法律をなくそうと決意しました。

1944年に大学を卒業したキング牧師は、父と同じ聖職者の道を選びペンシルバニア州の神学校へ入学。卒業後はボストン大学の神学部へ進学し、26歳のときにアラバマ州モントゴメリーの教会の牧師に就任しました。

牧師として差別に悩む人々の声を聞く日々を送ること一年。モントゴメリーで、黒人女性ローザがバス内で白人に席を譲らなかったことを理由に逮捕されるという事件がおきました。

バスを利用せず、黒人たちは徒歩で移動した

これに激怒した黒人たちとキング牧師は事件に講義するため、バスの利用を一切しないバス・ボイコット運動を行います。この運動は381日間続きました。運動が終わるとキング牧師はさらに別の運動を起こし、リーダーとして活躍します。

活動を続ける中、転機が訪れました。アラバマ州バーミンガムは人口の七割が黒人にも関わらず、最も人種差別の激しい地域でした。警察の運動への対処も過激で、警棒や高圧ホースで無抵抗な黒人たちに暴行を加えました。

警察の過激な行為はテレビや新聞でアメリカを含めた世界中に広まり、人々にショックを与えます。これがきっかけとなり、多くの白人たちが黒人への暴力に反対の立場を取りました。人種差別撤廃へ大きく前進し、その後も風潮はキング牧師の味方をします。

公民権法に署名するジョンソン大統領

1963年リンカーンの奴隷解放宣言100年を記念する大集会がワシントンDCで開かれ、20万人を超える人々が黒人解放を求めるワシントン大行進に参加。キング牧師はこの集会で「I have a Dream」演説を行い、多くの人々の共感を得ます。

そして同年11月22日に、ようやく白人も黒人も平等であると定義した公民権法が成立したのです。翌年、キング牧師は非暴力で人種差別撤回の活動を行ったことが評価され、ノーベル平和賞を受賞します。

公民権法が成立したとはいえ、差別意識は根強くそう簡単には消えません。キング牧師は以降も活動を続けます。しかし1968年4月、キング牧師は白人男性のジェームズに暗殺され、志半ばでこの世を去りました。

キング牧師が行ったスピーチや運動、死因

キング牧師のスピーチの魅力

ワシントン大行進で演説するキング牧師

絶賛されることが多いキング牧師のスピーチですが、その魅力はどこにあるのでしょうか。大きく分けると次の三つに分けられます。

  • みんなが思っていたことを言葉にした
  • 現状を誰よりも的確に説明した
  • 未来への希望をイメージさせた

キング牧師は誰もが現状に抱いていた、言葉に出せない思いを言葉にしました。また黒人たちに、黒人たちが今どのような問題を抱えているのか、そしてそれは現在どうなっているのかを、彼らに馴染みのある詩や聖書を引用して伝えました。

キング牧師のスピーチに集まった人々はこれらを聞き、共感や危機感を抱いたのではないでしょうか。そして、キング牧師のスピーチは思いや状況を言葉にしただけでなく、今の問題を解決した後には輝かしい未来があると大衆にイメージさせたのです。

共感と問題意識、そして未来への希望。この三つと差別をなくすという強い意志がそろっていたからこそ、キング牧師は公民権運動に強い影響力を持てたと言えます。

キング牧師が行った公民権運動とは?

ワシントン大行進

公民権運動とは、1950年代~1960年代にかけて黒人によって展開された、人種差別の撤廃と平等、自由と権利を求める社会運動のことを言います。

公民権運動は、1955年のモントゴメリーバスボイコット運動から始まり、1963年8月のワシントン大行進でピークを迎えます。

1964年7月にジョンソン政権下で、識字テスト禁止、公共施設や教育機関での人種統合を促進のための連邦政府の権限強化、雇用における差別の禁止などを盛り込んだ「公民権法」が成立しました。

1967年、最高裁判所で異人種間の結婚を禁じる州法が禁止となり、さらに1968年には不動産取引における差別を禁止する公民権法が成立しました。

1969年には、ミシシッピ--州で初の黒人市長が誕生します。また、就職や入学の際に歴史的な差別を考慮するという「アファーマティブアクション」により、黒人の大学進学も進みました。しかし、ベトナム戦争の激化と反戦運動の高まりとともに、公民権運動は次第に収束へ向かいました。

アメリカの祝日となったキング牧師の誕生日

キング牧師の誕生日は1929年1月15日。そのため一月の第三月曜日が祝日として設定された

キング牧師はアメリカの歴史上、奴隷解放以来最大の社会変革を起こした公民権運動に貢献しました。アメリカの社会に与えた思想的影響は大きく、その意義は途方もないものです。

そんなキング牧師の功績が具体的な形になったのがM=L=キング記念国民祝日です。この祝日はキングの死後、各地でキング牧師の誕生日を祝福しようという企画がきっかけとなり1983年に国会で成立しました。

個人の名前が入った国民祝日の名誉を与えられたアメリカ人はキング牧師を除けば初代大統領ジョージ・ワシントン以外にいません。その事実だけでも、キング牧師が成した偉業の大きさがわかりますね。

キング牧師のマルコムXとの関係性は?

キング牧師について語る際、その対極として名前がでてくるのがマルコムXです。キング牧師と同様、1960年代公民権運動のリーダーとして活躍した人物です。キング牧師とマルコムXは、「暴力」と「非暴力」という対立する見方をされてきました。

実際に、マルコムXはキング牧師と支持者たちを「アンクル・トムのような連中」と侮蔑していた時期もあり、同様にキング牧師も、マルコムXの思想を否定する発言をしていたようです。しかし、キング牧師とマルコムXはスタイルは違っても目的は同じであり、互いを認め尊敬していたとのことです。

互いに歩み寄り、キング牧師とマルコムXの対談が実現しようとした矢先の1965年2月、マルコムXは暗殺されてしまいました。キング牧師との対談の二日前でした。

キング牧師はなぜ暗殺されてしまったのか?

キング牧師はライフルに撃たれて暗殺された

1968年4月4日、キング牧師はテネシー州メンフィスで宿泊先のモーテルのバルコニーで、ライフルに撃たれて暗殺されました。銃から採取された指紋により、犯人はイリノイ州生まれの白人ジェームス・アール・レイだと判明し、暗殺の動機は白人至上主義によるものだとされています。

しかし、なかなか無くならない人種差別にいら立つ黒人の中には、非暴力を貫くキング牧師に対し「黒人の敵」という過激な見方をする者もいたと言われています。実際にライフルを撃った犯人はこの白人レイではありますが、単独犯なのか、共犯者がいたのかなどについては不明のままとなっています。

キング牧師の名言

「Love is the only force capable of transforming an enemy into a friend.」
「愛だけが、敵を友人に変えられる唯一の力だ。」

「I have a dream that one day on the red hills of Georgia, the sons of former slaves and the sons of former slave owners will be able to sit down together at the table of brotherhood」
「私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。」

「I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character.」
「私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。」

キング牧師の名言10選!発言に込められた意図や背景も解説【英語&和訳付】

キング牧師の演説・スピーチまとめ

日本語字幕版の演説

リンカーンの奴隷解放宣言から100年が経った1963年8月28日、「ワシントン大行進」で20万人近い人々が人種差別即時撤廃を求めワシン トン記念塔からリンカーン記念堂まで行進しました。
この時キング牧師の「I Have a Dream」の演説は、独立宣言にある「すべての人間は平等に作られている」という理念を訴えています。

死の前日のスピーチ

このスピーチは1968年4月3日テネシー州メンフィスのメイソン・テンプルで行われました。このスピーチの翌日4月4日、宿泊先モーテルの2Fバルコニーで銃で撃たれ亡くなります。公民権運動のリーダーとして活動してきたキング牧師は、家を焼かれたり、刺されたりと何度もその命を狙われてきました。そのような中、メンフィスで行われたこのスピーチには、自らの死を予感していたのではないかとも思える一節があると言われています。

演説の全文はこちら

1963年8月28日、25万人もの人々がワシントン大行進のためにワシントンDCに集まりました。そこでは出身や皮膚の色に関係なく、全ての人々に平等を求めるため、キング牧師は演説へと臨みました。

その演説のタイトルは「私には夢がある」(I Have a Dream)。あらゆる人々の差別をなくし、自由を訴える彼のメッセージは多くの人々が感動したのです。

下記はそのうちの一部で、全文を読みたい方はこちらよりご覧ください。


私には夢がある。それは、いつの日か、この国が立ち上がり、「すべての人間は平等に作られているということは、自明の真実であると考える」というこの国の信条を、真の意味で実現させるという夢である。

私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。

私には夢がある。それは、いつの日か、不正と抑圧の炎熱で焼けつかんばかりのミシシッピ州でさえ、自由と正義のオアシスに変身するという夢である。

私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。

今日、私には夢がある。

私には夢がある。それは、邪悪な人種差別主義者たちのいる、州権優位や連邦法実施拒否を主張する州知事のいるアラバマ州でさえも、いつの日か、そのアラバマでさえ、黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手をつなげるようになるという夢である。

今日、私には夢がある。

私には夢がある。それは、いつの日か、あらゆる谷が高められ、あらゆる丘と山は低められ、でこぼこした所は平らにならされ、曲がった道がまっすぐにされ、そして神の栄光が啓示され、生きとし生けるものがその栄光を共に見ることになるという夢である。

これがわれわれの希望である。この信念を抱いて、私は南部へ戻って行く。この信念があれば、われわれは、絶望の山から希望の石を切り出すことができ るだろう。この信念があれば、われわれは、この国の騒然たる不協和音を、兄弟愛の美しい交響曲に変えることができるだろう。この信念があれば、われわれ は、いつの日か自由になると信じて、共に働き、共に祈り、共に闘い、共に牢獄に入り、共に自由のために立ち上がることができるだろう。

引用元:「私には夢がある」(1963年)|About THE USA|アメリカンセンターJAPAN
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