キング牧師の具体年表
1929年 – 0歳「ジョージア州アトランタに生まれる」
ジョージア州アトランタに生まれる
キング牧師は1929年1月15日アメリカジョージア州アトランタに、バプテスト派の牧師である父マイケル・ルーサー・キングと母のアルバータ・クリスティーンのもとに生まれました。2歳年上の姉のウィリー・クリスティーン、1歳年下の弟のアルフレッド・ダニエルの3人兄弟です。
家族構成は以下の通りです。
- 父:マイケル・ルーサー・キング(のちにマーティンと改名)
- 母:アルバータ・クリスティーン
- 姉:ウィリー・クリスティーン
- 弟:アルフレッド・ダニエル
父マイケル・ルーサー・キングは息子にも同じ名前を付け、後にマーティンと改名した際に息子も同様に改名し、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアとなりました。
幼少期のキング牧師は教会が大好きで、母の弾くピアノに合わせてよく賛美歌を歌っていたようです。キング牧師が生まれた家は、現在ナショナルヒストリックパークの一部となっており、見学もできます。
1935年 – 6歳「初めて人種差別を経験する」
仲良しの友達と同じ学校に行かれない
キング牧師は、幼少の頃隣の家に住む白人家庭の息子たちと仲良しでよく遊んでいました。当然同じ小学校に行くものだと思っていたキング牧師ですが、彼らは白人だけの小学校に入ります。キング牧師はかれらの母親に理由を尋ねると「もう黒人とは一緒に遊べない」と言われてしまいます。
これが、キング牧師が受けたはじめての人種差別だといわれています。その後も何度も人種差別を経験していきました。当時のアメリカは人種差別が残っており、キング牧師が育ったアメリカ南部は特に人種差別が強く、バス、レストラン、映画館などの公共施設では黒人と白人の席は分けられ、教育の場でも黒人と白人は同じ学校に行かれませんでした。
そのような中、子供の頃のキング牧師は大変優秀で、中学、高校を飛び級して大学に進学します。
1951年 – 23歳「ボストン大学神学部に入学」
ボストンで南部と北部の違いに驚く!
当初キング牧師は法律家と聖職者、どちらの道を進むか迷っていましたが、父と同じ聖職者になることを決心し、1948年ペンシルバニア州の神学校に入学し、卒業後さらにボストン大学神学部に入学しました。
ボストン大学在学中、ボストンのレストランで白人の店員がキング牧師が黒人であることを理由に注文を取りに来ない、という事がありました。しかし、ボストン北部ではこのような行為は禁止されていたため、この店員は人種差別ですぐに逮捕されました。
酷い人種差別が当たり前であった南部で育ったキング牧師は、この出来事に大変驚いたと言われています。 また、ボストン在学中に妻となるコレッタ・スコットと出会います。
1954年 – 26歳「牧師に就任」
キング牧師の誕生
ボストン大学を卒業したキング牧師は、妻とともにアラバマ州モントゴメリーに移り、教会の牧師に就任しました。キング牧師の誕生です。このモントゴメリーの地から、キング牧師の公民権運動は始まりました。
最初の1年間は平穏な生活をおくりながらNAACPのモントゴメリー支部に属し、差別に苦しむ人々の悩みなどを聞いていました。しかし、将来公民権運動のリーダーとして歴史に名を残すとは、この時のキング牧師は想像もしていなかったでしょう。
モントゴメリーの街の4割は黒人でしたが、黒人に許される仕事はわずかで多くの黒人家庭は大変貧しいものでした。そして、いじめのような差別は「ジムクロウ法」という悪の法律で決められていました。
この頃起きた悲惨な事件にエメット・ティル殺害事件があります。
1955年8月シカゴからミシシッピーに遊びに来た14歳の黒人少年エメット・ティルが、白人女性に口笛を吹いただけでその夫や友人たちに誘拐され、残酷なリンチを受けて殺されていまいました。しかし、白人である犯人たちは無罪となりました。
1955年 – 26歳「ボストン大学の神学部で博士号を取得」
キング牧師は大学で、運動の手段として貫くことになる思想に出会います。インド独立の指導者ガンジーが掲げた「非暴力・不服従」です。
暴力を用いず、相手の良心に訴えかけることにより差別をなくそうとするこの思想は、キング牧師にとても合っていました。これこそ、黒人解放に必要な思想だと確信したキング牧師は、後の公民権運動でこの姿勢を貫きました。
また、黒人解放には教養も必要になると考えていたためキング牧師は神学部で博士号を取得しました。
1955年 – 27歳「バスボイコット運動を指揮」
ついにキング牧師が動き出す
1955年12月モントゴメリーで黒人女性のローザ・パークスが、バス内で白人に席を譲らなかったために逮捕されたということに激しく怒った黒人たちとキング牧師は事件に抗議するため、「どこへ行くにもバスには乗らない」というバスボイコット運動を行いました。
モントゴメリー市長のゲイルは「人種差別主義団体」に加盟し、白人たちと一緒にキング牧師の運動をあらゆる手段で妨害しようとしました。 しかし黒人たちの結束は固く、ボイコット運動は381日間続きます。
ボイコット運動を始めた翌年、白人の人種差別主義者によってキング牧師の自宅が爆破される事件がありました。幸いキング牧師や家族は留守だったため被害に合いませんでした。
1960年 – 33歳「モントゴメリーからアトランタへ」
モントゴメリー教会を辞任、次はアトランタへ
1960年1月モントゴメリー教会を辞任し、アトランタのエベニーザ教会のそばに引っ越しました。この頃のキング牧師は、ジョージア州オールバニの解放運動、アラバマ州のバーミンガムの解放運動と続けてリーダーとして活躍します。特に、バーミンガムは人口の7割が黒人にも関わらず、南部の中で最も人種差別の激しい場所でした。
警察署長のブル・コナーはバーミンガムでのデモ隊に対し、警察犬をけしかけ、警棒で打ち、高圧ホースで水をかけたり様々な暴力をふるいます。 このような警官や白人暴徒による暴力は、たちまちテレビや新聞で全米中、世界中に広まり、人々にショックを与えました。
アメリカ南部で何が起きているのか、その真実が世界に広まったのです。このことで、著名人をはじめ多くの白人も黒人たちへの暴力に対し反対の立場にたつようになります。
1963年 – 36歳「ワシントン大行進」
I have a dream
1963年8月、リンカーンの奴隷解放宣言100年を記念する大集会が開かれます。この時のワシントン大行進には、著名人をはじめ20万人を超える人々が参加しました。まさに、公民権運動はピークを迎えます。この集会でキング牧師は、リンカーン記念堂の前で有名な「I have a dream」の演説をおこないました。
1963年11月22日、人種差別反対であり、キング牧師を支持していたケネディ大統領が暗殺されます。差別廃止運動を支えてくれた家メディ大統領を失ったものの、ケネディの後に就任したジョンソン大統領も人種差別撤廃運動に理解を示し、ジョンソン政権下で公民権法が成立します。長い間苦しんできた黒人たちが、やっとスタートラインに立てたのです。
1964年 – 37歳「ノーベル平和賞受賞」
非暴力運動の功績が認められたものの…
1964年、キング牧師にノーベル平和賞が授与されました。非暴力で人種差別撤回に立ち向かってきた功績が認められたのです。アメリカの黒人として3人目の受賞となります。
しかし、公民権法が成立しても依然と残る人種差別、エスカレートする白人の暴力に、「キング牧師のり方は甘い」と過激な思想をもつ黒人たちも増え始めていきました。ストークリー・カーマイケルや黒人の武装蜂起を促すブラックパンサー党などが現れるようになります。
そのような中、ベトナム戦争の激化に伴い白人黒人問わず、若者たちが前線に送られていくようになると、アメリカ国内では反戦運動が本格化していきます。この頃からキング牧師もベトナム反戦運動に本格的に関与していきました。
1968年 – 39歳「暗殺」
志半ばで…
1968年4月、キング牧師はテネシー州メンフィスを訪れていました。宿泊先であるロレイン・モーテルでその日の夜の演説について打ち合わせをしていた際、バルコニーに出てところを白人男性で脱獄犯でああるジェームズ・アール・レイに撃たれました。弾丸は致命傷となり、病院に搬送されるも間もなく死亡してしまいました。
キング牧師の死は黒人だけでなく、多くのアメリカ人が悲しみ葬儀に参列しました。暗殺現場となったロレイン・モーテルは、現在国立公民権博物館となっています。
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関連外部リンク
キング牧師についてのまとめ
キング牧師についてご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。
自らの意志ではなく奴隷として無理やりアメリカに連れてこられた黒人たちは、長い間言葉では言い表せないほどの差別に苦しみました。そんな苦しみを終わらせよう、差別を終わらせよう、と立ち上がったキング牧師。
長年の苦しみを考えれば、非暴力を貫くのは並大抵のものではなかったでしょう。しかし、キング牧師の非暴力をモットーとする運動は、ついに公民権法の成立を勝ち取ります。キング牧師はまさに黒人たちの希望であり、いまを生きる私たちの希望にもなりえるのです。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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