世界で起きた最悪な立てこもり事件5選
1996年:ペルー日本大使館公邸人質立てこもり事件
1996年にペルーの駐ペルー日本国大使公邸が襲撃され占拠された事件です。犯人はネストル・セルパが率いるトゥパク・アマル革命運動の構成員14名で、そこにいた72名を人質にとりました。そしてセルパは「拘留している構成員全員の釈放・国外に退避するための安全・フジモリ大統領の経済政策の転換・身代金の支払」を要求しています。
結局4か月にわたり占拠が続いていましたが、ペルー政府は武力突入を決断。特殊部隊140人が突入し、犯人14名を射殺しました。この事件により、大使公邸は日本の領土にもかかわらず事件解決に日本はほとんど関与できなかったことや、4か月と長期化したことなどが問題提起されています。
2014年:シドニー人質立てこもり事件
2014年にオーストラリアのシドニーのマーティン地区で起こった立てこもり事件で、16時間に渡ってイラン人のマン・ハロン・モリスが17人を人質にし、2名が死亡しました。犯人はカフェに銃を持って乱入し、人質を取りカフェにイスラム信仰の象徴「信仰告白の旗」を掲げさせています。
立てこもりが16時間を経過した頃、警察が突入し生き残った人質を救出し、モリスを射殺しました。犯人はイスラム過激原理主義の思想を持ち、オーストラリア政府のアフガニスタン紛争への介入に反発していたといわれています。
2007年:パキスタン・モスク立てこもり事件
2007年にパキスタンの首都イスラマバードでイスラム教の神学生が、治安部隊と衝突して人質を取りモスクに立てこもった事件です。学生らはモスク周辺の政府施設を攻撃し、施設を守っていた治安部隊の一部を人質に取り立てこもりました。
そして学生らは。隣国アフガニスタンが支持するターリバーンのような厳格な社会的価値を要求しています。立てこもりの翌日指導者のアズィーズが逃走中に逮捕され、政府は残った生徒らに投降を呼びかけました。この呼びかけで1200人程度が投降しましたが、数十人が残り立てこもりを続けています。最終的には突入し、神学生側は75名・治安部隊側は10名の犠牲となりました。
2004年:ベスラン学校占拠事件
2004年にロシアの北オセチア共和国ベスラン市の中等学校で、チェチェン共和国独立派を中心とする多国籍の武装集団32名が占拠した事件です。占拠により7歳から18歳の子どもと保護者1181名が人質となり、3日後に特殊部隊が制圧したものの、死者386名以上(うち子ども186名)・負傷者は700名以上となりました。
首謀者はチェチェン人のシャミル・バサエフで、独立強硬派グループ・コーカサス戦線の指導者でした。犯人は32名でイスラム原理主義過激派のメンバーであり、人質解放の条件として、「イングーシ共和国に逮捕されている同胞の解放」「チェチェン共和国からのロシア軍撤退」「北オセチア共和国及びイングーシ共和国の大統領との対話」を求めての犯行だったといいます。
2022年:テキサス銃乱射事件
2022年にアメリカのテキサス州で、シナゴーグ(ユダヤ教礼拝堂)に人質をとって立てこもった事件です。立てこもりは10時間に及びましたが、最後は警察により犯人は射殺されました。シナゴーグに立てこもったのはイギリス国籍のマリク・ファイサル・アクラムという人物で、テキサス州の刑務所に収監されている囚人の釈放を求めたものでした。
解放しようとした人物は、アフガニスタンで米兵を銃殺しようとした殺人未遂で、禁固86年の実刑を受けた人物だったそうです。この事件を受けて、アメリカのバイデン大統領は「テロであり反ユダヤ主義だ」と指摘し、イギリスのトラス外相は「アメリカと共に闘う」と述べています。
立てこもり事件に関するまとめ
いかがでしたでしょうか?この記事では日本と海外の立てこもり事件を紹介しましたが、傾向として政治的な案件も多く、色々と考えさせられる執筆となりました。特に海外は現在も紛争を抱えている問題が多くあり、人類の大きな問題の一部を見たように感じています。難しい事ではありますが、これらのような事件が起こらないようになることを、願わずにはいられません。最後までお読みいただきありがとうございました。