「ヤクザと暴力団は何が違うの?」
「『極道』や『半グレ』みたいな言葉もあるけど、いまいち違いがわからない…」
映画やニュースで、暴力団という言葉を耳にする機会はあるものの、ヤクザとの具体的な違いがわからない人は多くいますよね。また、「極道」や「半グレ」など、他にある似た言葉と区別がつかない人は多いはず。
そこで、今回は暴力団とヤクザの違いを、それぞれの意味や語源も交えわかりやすく解説します。加えて、ヤクザや暴力団と似た言葉との違いや、それぞれの現状も解説するので、ぜひ参考にしてください。
この記事を書いた人
Webライター
Webライター、吉本大輝(よしもとだいき)。幕末の日本を描いた名作「風雲児たち」に夢中になり、日本史全般へ興味を持つ。日本史の研究歴は16年で、これまで80本以上の歴史にまつわる記事を執筆。現在は本業や育児の傍ら、週2冊のペースで歴史の本を読みつつ、歴史メディアのライターや歴史系YouTubeの構成者として活動中。
ヤクザと暴力団の違いとは?
結論から言えば、ヤクザも暴力団も「暴力を背景に収入を得ている反社会勢力」であり、近年での意味はほとんど同じです。ヤクザという「個人」が、集団で犯罪行為を行い、私的な目的を達成するのが「暴力団」となります。
両者の大きな違いは、山口組のように「暴力団の指定を受けているか否か」ですが、本来の意味や語源は違います。ヤクザは平安時代、暴力団は戦後に生まれた言葉です。時代が流れるにつれ、ヤクザのあり方は大きく変化し、現在の暴力団に近い存在になりました。
両者の語源や意味について、分かりやすく解説していきますね。
ヤクザの意味や語源
ヤクザの語源は花札です。花札を3枚引き、下の数の大小を競う「三枚」という博奕があります。1枚目が8、2枚目が9なら合計値は17で、下の数は7。勝てる可能性は高いのですが、もう一枚引いて3を出し、合計値が20となり、最弱の目を引く賭博破綻者もいました。
この8、9、3を続けて読むと「ヤクザ」となり、「反社会勢力として賭博に生きる者」を指すようになりました。元々のヤクザは、正業を持たない博徒であり、その中には反社会勢力として弱き者を助ける者がいたのも事実です。
戦前や戦後間もない頃のヤクザの中には、田舎の祭りを取り仕切り、夜の街の酔っ払いの喧嘩の仲裁を務めた者もいました。闇市の経営もヤクザが行い、政府の配給では物資が足りない庶民にとっては大いに助かる存在だった為、政府や警察も黙認していたのです。
しかし、高度経済成長を経て、ヤクザの生きる道は狭まっていきます。遂には違法薬物、違法賭博の開帳に手を染める末端のヤクザも増えていき、警察も本格的に取り締まりを始めます。ヤクザは時代が下るにつれ、犯罪集団の意味合いが強くなったのでした。
暴力団の意味や語源
暴力団は戦後に警察が作った言葉です。ヤクザの中には任侠精神を重んじる者がいて、警察もヤクザを黙認していた事は先程述べました。しかし戦後の混乱でヤクザが増加の一途を辿り、治安が悪化したのは事実。
警察やマスコミは、戦後の早い段階からヤクザに対して暴力団という言葉を使用しました。これは暴力という言葉を盛り込む事で、ヤクザに悪い印象を持たせる目的があったのです。
バブル景気の頃に暴力団は更に増加。1992年に暴力団対策法が施行され、暴力団は「組織ぐるみで資金を獲得している」「一定の構成員に前科がある」「階層的に組織を構成している」の3つを満たす存在とされました。暴力団と判断されれば、彼らはさまざまな場面で制約を受ける事になります。
ちなみに2021年時点の全暴力団は12300人。そのうち指定暴力団の構成員は95.9%の11800人。ほとんどの暴力団員は、犯罪に手を染めた反社会勢力と見なされています。
ヤクザや暴力団と似た用語の違い
前述したように、ヤクザと暴力団に厳密な意味の違いはありません。しかし、ヤクザや暴力団と似た言葉は他にも存在します。
そこで、ここからはヤクザや暴力団と似た下記4つの言葉との違いを紹介します。
- 任侠
- 極道
- 半グレ
- 愚連隊
「任侠」との違い
任侠とは「仁義を重んじ、弱きを守るために体を張る自己犠牲的精神」や、「その任侠精神を持つ人」の事です。江戸時代には、幕府から弱者を守る反社会勢力を侠客と呼びましたが、次第にヤクザ者を指す言葉に代わっていきました。
歴史上の侠客としては、国定忠治や清水次郎長などが挙げられます。彼らは芝居やドラマなどでも題材にされており、現在でも根強い人気があるのです。
近年のヤクザ、暴力団達との違いは、任侠精神を持ち合わせているか否かです。任侠とは弱きを守る存在であり、違法薬物などで一般人に危害を加える暴力団とは真逆の存在です。
「極道」との違い
極道は本来は仏教用語で、「仏法の道を極めた者」の事を言います。江戸時代には侠客を極めた者を極道と呼ぶようになり、やがて狭義の博徒であるヤクザの事も極道と呼ぶようになりました。極道もヤクザも現在では暴力団ですが、その精神は異なります。
暴力団員は自分の事を暴力団と呼ぶ事を嫌い、極道と名乗る事もあります。それは、侠客に憧れを抱いている事への表れと言えるでしょう。任侠を持ち合わせた極道は、現在ではかなり少なくなっているのではないでしょうか。