世界で行われたスカフィズム以外の恐ろしい拷問・処刑方法
世界には恐ろしい拷問方法で溢れているのが現実です。如何に苦痛を与え処刑を与えるかに特化した恐ろしい方法の、代表的な方法を紹介していきます。
鉄の処女
「鉄の処女」とは女性型をした高さ2メートルほどの、中が空洞になっている人形です。前面は左右に開くようになっており、ドアの部分と背中の部分には釘が打ち付けられていました。そして中に人を閉じ込め扉を閉めると、体中に釘が刺さる仕組みとなっています。
処刑にも使用されたという文献が残っており、釘が刺さった状態で犠牲者は2日間生きていたと記されているのです。長時間苦しませたうえでの失血死だったと想定され、「長く苦しめる」という点においても恐ろしい処刑法といえます。
鉄の処女とはどんな拷問道具?使い方や名前の由来をわかりやすく解説
ファラリスの牡牛
「ファラリスの牡牛」とは、古代ギリシアのシチリア島アグリジェントの僭主(せんしゅ)だったファラリスが、新たな処刑法としてぺロリスという人物に考案させた処刑法です。ローマ帝国中期に、キリスト教徒の迫害に対しても使用されたと記録に残っています。
犠牲者は金属で出来た牛に入れられ、腹側から熱であぶられます。金属は黄金色になるまで熱せられたといい、中にいる犠牲者はあぶり殺されてしまうのです。この道具には外に繋がる管があり、中で油れている人の叫び声が「雄牛がうなっているよう」だったといわれています。
串刺し
現在のルーマニア南部のワラキア公国の君主・ヴラド3世が行っていた処刑法です。ヴラド3世は個の処刑法を好んで使用したために、「串刺し公」と呼ばれました。串刺しは敵国の捕虜や、自国民の静粛にも使用されたといいます。
方法は先のとがった木製の杭を準備し、地面で固定した後持ち上げた犠牲者の肛門から貫くというものです。自分の体重の重みにより、直腸を通って酷いときは喉まで通ったといいます。しかし肺や心臓は損傷をうけないために、大半は即死できずに数日経って死亡したそうです。
陵遅刑
古代中国から清王朝末期まで使用されていた中国の処刑法です。方法は致命傷を避けながらナイフで少しづつ体を削っていき、肉が無くなれば耳や鼻をそぎ落とし、目をくりぬいた後に首を切ったと伝えられています。
1510年に処刑された劉瑾(りゅうきん)という宦官は、初日におよそ3000刀切り取られ、翌日におよそ400刀削られ合計3577刀で絶命したといわれています。初日は日が暮れたために一度獄舎に戻されたといい、差し入れられた夕食おかゆ2杯食べたそうです。即死は叶わず日をまたいでの処刑となりました。
八つ裂き刑
「八つ裂き刑」は、手足それぞれに馬を結びつけ、4方向から引っ張らせ四肢を胴体から切断させ死に至らしめる刑です。世界中で行われた処刑法で、日本では馬ではなく牛を使用したといわれています。馬や牛の力で四肢は中々切断されないので、あらかじめ刃物で切り目をいれていたそうです。
最も有名なのはフランスで15世紀国王殺しを企てたロベール=フランソア・ダミアンという人物で、八つ裂き刑で公開処刑されました。馬に3回ひかせたそうですが、中々ちぎれなかったために、四肢の腱を切断しています。そして4回目で左右足と右腕がもぎ取られ、左手を残した状態でダミアンは絶命しました。処刑開始から1時間以上経っていたといいます。
鋸挽き刑
「鋸挽き刑」は刃こぼれした鋸で、受刑者を長時間鋸で引いていく処刑です。古代ローマや中世ヨーロッパ・江戸時代までの日本でも行われた処刑法でした。日本の場合は主殺しにのみ適用され、死罪の中でも最も重いものとされました。
またフランスでは悪魔の子を孕んだ魔女に、ドイツでは農民一揆の首謀者に行われたといいます。ヨーロッパでは苦痛を長引かせるために犠牲者を逆さづりにし、時間かけて鋸を引いていきました。逆さづりにすることで血が下に下がるために出血が少なく、死まで時間がかかったといわれている残酷な処刑法です。
スカフィズムに関するまとめ
今回スカフィズムを中心に世界の拷問も紹介しましたが、筆者の感想としては「人間はどこまでも残酷になれる生き物なんだな」と思った次第です。如何に苦しめるかを考え抜いた方法に驚くとともに、よくこんな事が考えついたなと感じています。現在はこのような拷問はされなくなりましたが、見せしめの刑といったものが今後も再開されないことを祈る次第です。最後までお読みいただきありがとうございました。