現存する世界で最古の国は日本って本当?古い国・王朝ランキングも紹介

紀元前1900年頃:夏 | 中国

夏があった場所
出典:Wikipedia

紀元前1900〜1600年の中国最古の王朝で、史書によると初代帝・禹から14世17代471年続いたといわれています。夏王朝最初の帝「禹」は、黄河の治水工事にあたり功績を残しました。その後、人望の厚かった禹が即位し、陽城(現在の登封市)を都に定め「夏」を建国しています。

また夏は中国史上初の、帝王が世襲された国ともいわれており、世襲時に従わなかった諸侯を討伐しました。夏王朝の末期は暴君が続いたといい、人民の心が離れていったといいます。夏王朝最後の帝・桀は、武力で諸侯たちを押さえつけ贅沢三昧な政治をとったために、国力が大きく傾いたそうです。

夏王朝の創始者・禹帝
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そして次の王朝「殷」の初代帝・天乙の元に諸侯が集まっていき、鳴条の戦いで天乙が桀を撃破し夏は滅亡。紀元前17世紀頃に、夏の代わりに殷が誕生しました。

紀元前2600年頃:プント王国 | エジプトの南東

プント王国は現在のソマリアはジブチなど場所に諸説がある
出典:Wikipedia

古代エジプトの貿易国として記録が残っている王国です。当時エジプトから見て東にあったために「神の国」と呼ばれていたといい、エジプトと金や香料・象牙などを取引していたといいます。プントの正確な位置は不明ですが、有力な説はエジプトの南東に位置し、現在のソマリア・ジブチ・エリトリア辺が有力視されています。

エジプトに記録されたプントの住居と香木のレリーフ
出典:Wikipedia

エジプトとの交易は紀元前14世紀にも記録が残っており、王の名前はプラフといい、住居は高床式だったといいます。その後紀元前11世紀頃にエジプト新王朝時代が終わると、プント王国との貿易は途絶えてしまい、以降の記録は残っていません。そして「神話と伝説の国」として語られるようになったといいます。

紀元前800年頃:古代ギリシャ | ギリシャ

古代ギリシャはアテナイを中心にポリスが形成された
出典:外務省公式HP

古代ギリシャでは、紀元前8世紀頃からギリシャ各地で政治共同体のポリス(都市国家)が成立しました。ポリス社会は紀元前5世紀頃に海上貿易の拡大や通貨制度も導入され、直接民主制も採用されています。そのために、「世界最古の民主主義」とも呼ばれています。

紀元前510年にクレイステネスという人物がアテナイ(現在のアテナ)の実権を握り、民主主義的な改革を推進しました。旧来の血縁での政治を廃止し、部族による「五百人評議会」を設置し民主制を推し進めています。

アテナイのアクロポリス
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しかし紀元前403年にスパルタに破れたためにアテナイは没落し、北方のマケドニア王国の支配を受けていきました。マケドニアの支配を受けていてもポリスは健在でしたが、紀元前3世紀頃にはアイトリア連邦・アカイア連邦を作り集団化していきます。しかし前146年までに両連邦ともローマに敗北し、ギリシャの独立は終わりました。

紀元前660年頃:古代日本 | 日本

1806年に書かれた日本地図
出典:Wikipedia

日本国は紀元前660年に初代・神武天皇が建国した国です。ただしこの時代は神話伝承が主であり、史書に出てくるのは紀元2世紀頃、中国の記録によると日本は「倭国」と呼ばれ、100前後の国が中国と通交していたといいます。そして倭国大乱があった後、邪馬台国の卑弥呼が倭国王となりました。

そして3世紀中ごろから前方後円墳が各地に見られるようになり、畿内(ヤマト)・九州北部(筑紫)・北関東(毛野)・山陽(吉備)・山陰(出雲)に並立していた諸国が合体して、ヤマト王権が誕生したと考えられています。

3世紀ころから前方後円墳が多く作られた
出典:Wikipedia

4世紀には鉄資源を求めて朝鮮半島に進出し、新羅や高句麗と戦っていました。5世紀になるとヤマト王権の「倭の五王」は中国に朝貢し位をもらっていましたが、478年に朝貢を打ち切っています。その後、中国の臣下としての「王」から自らを「大王」へと呼称を変え、中華帝国から距離を取り独自の国家を作る方向に路線変更していきました。そして紆余曲折がありながらも現在も日本国は続いています。

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紀元前600年頃:十六大国 | インド

紀元前5世紀頃の十六大国の領域
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十六大国とは、紀元前6〜5世紀頃に形成された多くの国の総称です。ただし実際に政府と呼べるような政治機能まで達していなかったことから、「国家」と呼ぶかは今も議論が続けられています。主にガンジス川流域に位置する国が多く、部族共和制をとる国や王政をとる国もありました。

十六国の中では、マガダ・コーサラ・ヴァンサ・アヴァンティの4国が強大だったといいます。特にこの中でもマンガ国とコーサラ国が大きな勢力を持っており、コーサラ国は仏教の開祖・釈迦の出身国として有名です。

マガダ国で使用されていた通貨
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しかしコーサラ国はマガタ国との戦争により弱体化し、紀元前4世紀頃にはマガタ国に併合されてしまいました。そしてマガタ国はガンジス川流域の諸国を平定し、インド初の帝国を築いています。

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