カトリックとプロテスタントの違いをわかりやすく解説!特徴や歴史も紹介

カトリックとプロテスタントはなぜ分裂した?

ルターの批判がきっかけで宗教改革が起きた
出典:Wikipedia

カトリックとプロテスタントが何故分裂したのかは、16世紀に起きた「宗教改革」が発端です。カトリック教会の免罪符に対してマルティン・ルターが批判したことをきっかけに、以前から問題となっていた聖職者たちの汚職や不正に対する不満が爆発し、分離してしまいました。

プロテスタントの広がりは、当時の印刷技術にも影響もあるといいます。今までは教会に1冊しかなかった聖書が、印刷され1人1冊持てる時代に移行していた背景もあるのです。聖書が出回ることで、一般人も読めるようになり、教会を通さずに自ら信仰するスタンスを確立しました。

キリスト教の歴史を紹介

キリスト教の歴史を紹介
出典:Wikipedia

カトリックとプロテスタントの分裂の理解を深めるために、簡単にキリスト教の歴史を紹介していきます。

4世紀頃:キリスト教がローマ帝国の国教に

ローマ帝国でキリスト教を国教としたテオドシウス1世
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キリスト教が誕生してからしばらくは、ローマ帝国から迫害を受けていました。しかし迫害してもなお広がりを見せ313年に「ミラノ勅令」によりキリスト教が公認され、380年にローマ帝国の国教に定められます。392年には帝国内でキリスト教以外の信仰が禁止されました。

11世紀:西方教会と東方教会の分裂

カトリック教会と正教会が相互破門してしまった(画像は正教会の紋章)
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395年にローマ帝国が分裂するに伴い、キリスト教も東の「正教会」と西の「ローマ・カトリック教会」に分裂しました。東西の分裂はローマ帝国の政治的な理由ではあったものの、西ローマ帝国が476年に滅ぶと、両教会の交流は薄くなっていき違いも多くなっていきました。

そのため徐々に両者の関係も悪化していき、最終的に「こちらの方が正しいキリスト教だ」と1054年に完全に分裂してしまいます。以降は別々に発展していくこととなりました。

ローマ帝国とは?歴史年表とともに分裂や滅亡について簡単に紹介

16世紀頃:「免罪符」による腐敗

16世紀に発行された免罪符
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分裂により西側は「ローマ・カトリック」となり、ローマ教皇の元で発展していきます。そして聖書以外に儀式や教会の伝統を重んじるようになっていきました。しかし次第に体系の形骸化も生じていき、代表的なものが「免罪符」です。

免罪符で罪を神に赦しやすくしてもらうために課金するシステムで、これはカトリック教会の重要な資金源となっていきました。

免罪符の詳しい解説は以下をご参照下さい。

免罪符とは?意味や誕生のきっかけ、歴史を分かりやすく解説

16世紀:宗教改革が起こる

95箇条の論題を貼りだすルター
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1517年に修道士だったルターが「95箇条の論題」という文章をカトリック教会に提出。これが宗教改革の発端となりました。ルターが大きく掲げたのが「信仰主義」「聖書主義」「万人司祭」の3つです。これに賛同した人は、「プロテスタント(抗議するものの意)」と呼ばれました。

当初はカトリック教会の改革が目的だったものの、受け入れてもらえずルターは破門されてしまいます。その一方ルターを支持する人が集まっていきドイツを中心に広がりを見せ、ルター派としてプロテスタントが発足したのです。

カトリックとプロテスタントの違いに関するまとめ

いかがでしたでしょうか?今回はカトリックとプロテスタントの違いを解説しましたが、仏教にも色々な宗派があるように、キリスト教にも歴史があり、それぞれの信義を貫いて今があることがわかりました。世界の歴史にも大きく影響を及ぼした二つの教義の違いを知るのに役立てて頂けたら幸いです。最後までお読みいただきありがとうございました。

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