ブルースリーは、1960年代から1970年代にかけて活躍した武術家・アクションスターです。「アチョ―」の掛声とともに戦う姿は、多くの人に中国武術やカンフーの存在を知らしめました。
そんなブルースリーですが、1973年7月20日に32歳の若さで急死しています。死因は「脳腫瘍」と公表されたものの、不可解な点が多くさまざまな憶測や噂が飛び交いました。
そのため、結局ブルースリーの死因が一体何だったのか、真相が気になる人も多くいますよね。そこで今回は、ブルースリーの死因にまつわる考察や都市伝説を紹介しつつ、彼がこの世を去った真相に迫ります。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
公式上でのブルースリーの死因は脳腫瘍
1973年7月に亡くなったブルースリーの死因は、脳浮腫と公式発表されています。死亡時のブルースリーの脳は、1400gから1575gまで膨らんでいました。そして、脳浮腫となった原因は、ブルースリーが頭痛の症状を訴えた際に飲んだ鎮痛剤とされています。
この鎮痛剤は、ブルースリーの愛人であるベティ・ティン・ペイが処方されていたもので、鎮痛剤のアレルギー反応が脳に影響を及ぼしたと結論付けられました。
しかし、ブルースリーの遺体には皮膚の荒れや蕁麻疹といった外傷がありませんでした。アレルギー反応であれば、起きるはずの発疹が起きていなかったことが死因に関する疑問として残りました。そのため、鎮痛剤によって起きたてんかんが死因となった説も提唱されています。
また、死亡当時には脳浮腫が死因となったことに納得がいかず、香港政庁は1973年9月に死因究明裁判を起こします。しかし、脳浮腫が起きた原因は特定されませんでした。その結果により、死因究明裁判の判決は死因不明で幕を閉じました。
ブルースリーの死因にまつわる4つの考察
いまだに、ブルースリーの死因に関しては不可解な点が多く残されています。そのため、当時はブルースリーの死因に関する多くの考察が飛び交いました。
ここでは、当時から話題にあがっていたブルースリーの死因にまつわる下記4つの考察を紹介します。
- 考察①:薬物による中毒死
- 考察②:てんかんによる急死
- 考察③:ヤクザによる暗殺
- 考察④:中国武術家による暗殺
考察①:薬物による中毒死
ブルースリーの友人のチャック・ノリスは、ブルースリーが筋弛緩剤を飲んでいたことを明かします。さらに、チャック・ノリスは筋弛緩剤がブルースリーの死に追いやったことを発言したことで大きな話題を呼びました。
それにより、ブルースリーが健康維持のために飲んでいたハーブのサプリメントが死に至らしめた説から、体形維持のために覚せい剤を服用していたことで亡くなった説といった過激な憶測を呼んでしまいました。
しかし、ブルースリーの体内から微量の大麻が発見されたことが司法解剖により判明しています。そのことから考えて、ブルースリーの死因は大麻による薬物中毒の説が出てきてもおかしくはありません。ただ、致死量の大麻が体内から検出されませんでした。
そのため、ブルースリーの死因を薬物中毒と裏付けるには難しいです。
考察②:てんかんによる急死
ブルースリーが亡くなって22年後の1995年以降になると、てんかんによる死因説が提唱されました。これは、鎮痛剤の副作用によるアレルギー反応が外傷に現れなかったことで考察されました。
ちなみに、この説を提唱した人物は、シカゴのクック群医療検査事務所に所属していたジェームズ・フィルキンス。医療の観点から考察したので、非常に有力な死亡原因でもあります。