附属池田小事件の犯人「宅間守」の生い立ち
宅間守はなぜ凄惨な事件を起こしたのでしょう。彼の生い立ちを掘り下げると、彼が事件を起こしたきっかけが見えてきます。主なターニングポイントは以下の通りです。
- 幼少期は兵庫県で過ごす
- 高校中退後、職を転々とする
- 数度の結婚
- 15回もの逮捕歴
幼少期は兵庫県で過ごす
宅間守は1963年11月23日に兵庫県伊丹市で、行員として働く父親の次男として生まれます。妊娠を知った母親は、「あかんわ、これ、堕ろしたいねん、私。 あかんねん絶対」と言いました。その理由は不明ですが、本能的に宅間守の異常性を感じたのかもしれません。
母親は出産後も宅間守の事を邪険に扱い、母乳をあげる事も嫌がっています。かといって父親が優しいわけではなく、父親は家族全員に暴力を振るっていました。母親からネグレクト、父親から暴力を受けた結果、宅間守の人格は歪められていきました。
幼少期の宅間守は、三輪車で国道を走って渋滞させる、線路に置き石や石を投げる等の問題行動を起こしています。小学校の頃には犬や猫に火をつけて殺害し、中学校の頃には女子生徒の弁当に体液をかけています。
更に周囲との協調性は一切なく、不良と徒党を組む事はできず、孤立しながら一連の行動を起こしていたのです。
高校中退後、職を転々とする
そんな宅間守が憧れていたのは自衛隊でした。附属池田小学校の受験を希望した事もありましたが、両親に突き放されて受験を諦めています。結局、宅間守は市内の中学校、尼崎市の工業高校に進学しました。
高校時代の宅間守は、「将来は自衛隊に入るぞ〜」と叫んだり、一人で軍歌を歌うなどの特異な行動も起こします。1981年2月に宅間守は2年生で高校を中退し、定時制高校に通うものの、これもすぐに中退。その後はアルバイトを転々とする生活を続けました。
1981年末には航空自衛隊に入るものの、1983年1月に除隊処分を受けています。理由は「家出した少女を下宿させて、性交渉をした」というものでした。除隊後の宅間守は、数ヶ月から半年で様々な職を退職。家族に暴力を振るうなど、次第に荒れていきました。
数度の結婚
宅間守は事件を起こす前に、4回も結婚をしています。1990年6月に宅間守は、医者と偽り19歳年上の看護師と結婚するものの、程なく離婚。10月に19歳年上の女性と結婚しますが、1993年に強姦事件を起こして離婚しています。
更に、お見合いパーティで知り合った2歳上の女性に結婚を迫り、1997年3月に結婚しました。ただこの女性も、宅間守の粗暴さに愛想を尽かして離婚しています。
1998年10月には、2歳年下の女性と4度目の結婚しています。この頃の宅間守は、池尻小学校の用務員を務めていましたが、教員の飲むお茶に精神安定剤を混入する事件を起こしました。その事を理由に、妻とは離婚しています。
なぜか結婚に縁のある宅間守ですが、一連の結婚は宅間守が強引に迫ったものがほとんど。程なく、妻たちは宅間守の暴力性を恐れて、彼の元から去っていきました。
15回もの逮捕歴
宅間守は15回もの逮捕歴がありました。最初の事件は1984年で、家賃の集金と嘘をつき女性の部屋に入り、強姦事件を起こしています。更に宅間守は、被害女性が警察に告訴した事を察知し、精神疾患のフリをして閉鎖病棟に入院。事件を有耶無耶にしています。
それ以降、宅間守は通り魔的な傷害事件や器物損害事件を何度も起こしました。1999年には、前述した薬物混入事件を起こし、その時に書類送検もされています。
妻からも逃げられ職場も長続きせず、消費者金融から借金もしている現状に絶望し、宅間守は自殺する事を考えました。しかし、程なくして「大量に人を殺害すれば、元妻は自分と知り合った事を後悔するだろう」と心変わりをしています。
宅間守の脳裏に浮かんだのは、学生時代に受験したいと考えていた附属池田小学校の生徒を襲う事。事件当日、宅間守はアパートの自室の布団に火をつけ(すぐ自然鎮火する)、乗用車に乗って刃物店で刃物を購入。そのまま、附属池田小学校に侵入したのでした。
死刑確定後の宅間守
死刑判決が確定した宅間守ですが、実際に刑が執行されるまでの間をどのように過ごしたのでしょうか。この項目では、死刑判決後の宅間守の様子を解説します。主な動向は以下の通りです。
- 早期の死刑を望む
- 獄中結婚する
- 2004年9月14日に刑が執行される
- 宅間守の最期の言葉
早期の死刑を望む
宅間守の死刑判決が言い渡されたのは2003年8月28日です。宅間守は控訴するつもりはなかったものの、弁護団の説得により9月10日付で控訴をしています。ただ、9月26日に控訴を自ら取り下げた為、宅間守の死刑が確定しました。
刑事訴訟法では、死刑囚は死刑確定後6ヶ月以内に刑が執行される事が定められています。ただ、実際に6ヶ月以内で刑が執行される事はまずありません。
宅間守は現状を知っており、主任弁護士に「半年以内、できれば3ヶ月以内の死刑の執行を望みます」と述べています。更に、6ヶ月以内に死刑が行われなかった場合、国家賠償請求訴訟を起こす準備も行っていました。
獄中結婚する
そんな宅間守ですが、12月上旬に獄中結婚をしています。相手は支援者の女性であり、死刑反対論者でした。「自分が宅間さんを何とかしたい」と考え、結婚に踏み切ったものの、両親は結婚に猛反対しています。
女性は両親に迷惑をかけないようにする為、一度支援者の養子縁組をして苗字を変えて結婚。宅間守は結婚を経て「吉岡」に改姓しています。
宅間守は妻に「君のスタンスが合わなくなれば、籍を抜いても良い」と面会の時に述べています。しかし妻は、「籍は抜かないし、面会にもいく」と夫を支える姿勢を貫きました。宅間守は弁護士に「胸のつかえが取れた」と述べる等、心境の変化が見られ始めます。
ただ、これらの夫婦のあり方は見せかけのもの。二人のやり取りは常にアクリル板を挟んで行われています。仮に宅間守が自らの思いを妻にぶつければ、それは暴力として跳ね返った可能性も否めません。
ただ、そのアクリル板があるからこそ、二人は夫婦であり続ける事ができたのです。
上級国民56して、それに賛同する集団。
そらJOKERもパクるわな。
何も反省してないよね・・遺族からは一人で死んでくれて言われたんだよね。私もそう思う、まだ幼い尊い命を奪うのは本当に最低だと思う。だけど犯人も死にたいって言ってたから人が死にたいって思わないような世の中だったら犯人も人を殺したりしなかったのかな、
どうかん
どうかん
いわしパフェ
パフェいわし