西鉄バスジャック事件の犯人「谷口誠一」の現在は?その後の行方も紹介

退所後の行方は不明

酒鬼薔薇事件の犯行現場
出典:Wikipedia

結論から言えば、仮出所した谷口誠一の動向は不明です。後に犠牲者の塚本達子さんの遺族(長男)に土下座したという噂も流れましたが、週刊文春の取材の結果、それは否定されています。

神戸児童連続殺傷事件を起こした酒鬼薔聖斗をはじめ、多くの未成年犯罪者の出所後の動向はわかりません。支援者の庇護もありますし、名前を一部変更して社会に溶け込んでいる可能性が高いでしょう。

ただ谷口誠一が、反省の気持ちを持ち続けていた事は事実のようです。谷口誠一は出所後に、山口由美子さん宛に「事件を起こすに至った経緯」を書き綴った手紙を送ってるからです。

名前を変えようとも、再犯や自殺すれば噂になるのは間違いありません。出所してから15年以上が経過しても消息がわからないという事は、谷口誠一は更生していると考えて良いのではないでしょうか。

家族は遺族に賠償を続けている

事件はまだ終わっていない
出典:Wikipedia

ちなみに、谷口誠一の両親は今でも遺族に賠償を続けています。事件から1年後、両親は被害者22人に賠償金を支払う事が確定。内訳は死亡者が550万円、重傷者が350万円。そして残りが20万円から40万円で、総額は1380万円になりました。

事件を経て谷口誠一の父親は会社を退職し、家を売り払ってお金の補填に当てます。また母親も保健師を退職せざるを得ませんでした。そして両親は、塚本達子さんの3人の子どもに月1万〜2万円の賠償金を払い続けています。

被害者や加害者家族にとって、事件から20年が経過しても、事件は終わっていません。

犯人・谷口誠一(ネオ麦茶)が事件を起こすまでの経緯

西鉄バスジャック事件を起こした谷口誠一はどのような生い立ちを過ごしたのでしょうか。ここからは下記のターニングポイントをもとに、谷口誠一が事件を起こすまでの経緯を解説します。

  • 中学校でのいじめに遭う
  • 高校を中退する
  • 2ちゃんねるにハマる
  • 精神科病院に措置入院する

中学校でのいじめ

谷口誠一の出身中学である佐賀市立昭栄中学校
出典:スタディピア

谷口誠一は1982年3月に佐賀県で生まれました。父親は建設機械に勤めるサラリーマンで、母親は役所で保健師を務めるごく普通の一般家庭です。幼少期の谷口誠一は成績は良く、周囲から優秀な生徒と思われていました。

ただ協調性がなく、注意力散漫な傾向もあり、小学校中学校と進学するにつれて孤立を深めます。次第にいじめを受けるようになり、成績も下落し始めました。

いじめが激しくなるにつれ、谷口誠一は他者に攻撃的な態度も取り始めます。母親を「貴様」と呼び、「この家の跡取りは僕なんだ」と物を投げつける事もありました。

両親は学校にいじめを相談したものの、いじめの事実を認めてもらえなかったようです。

高校を中退

谷口誠一は窓から飛び降りて重傷を負う
出典:金町中央病院

1998年1月、谷口誠一は中学3年生の頃に腰椎圧迫骨折の重傷を負います。これは「2階の窓から飛び降りる」という、学校で流行っていた遊びを強要された為です。谷口誠一は着地に失敗して大怪我を負い、高校受験は病室で受ける事になりました。

結果的に志望校も、県下No1の進学校・佐賀西高校から別の高校に変更せざるを得なくなります。進学した高校も、県下で5本の指に入る進学校でしたが、挫折である事に変わりはありませんでした。

谷口誠一は、校風が自分に合わないという理由で入学間もなくして高校を中退。自宅で引きこもり生活を続けます。

2ちゃんねるにハマる

パソコンにのめり込む日々を送る
出典:Wikipedia

引きこもり生活となった谷口誠一は、親にパソコンを買ってもらうと「2ちゃんねる」に没頭。寝食を忘れる程に書き込みを続け、「キャットキラー」や「ネオむぎ茶」と名乗っていました。

ただ、人間関係がうまくいかないのはネットでも同じ。すぐに掲示板で馬鹿にされ始めます。現実でもネットでも居場所を失い、精神のバランスは崩壊。家族へのDVは更に悪化しました。

家族はそんな谷口誠一の為、最大限の努力をします。母親は警察や病院に状況を相談し、父親は土日に谷口誠一をドライブに連れて行きました。ただこのドライブは、母親や娘を安全に過ごさせるという目的もあったようです。

谷口誠一は父親の事を大切に思っていました。西鉄バスジャック事件の最中、ドライブ中に入手した領収書を「僕の宝物です」と見せびらかしています。

精神科病院に措置入院

谷口誠一が感化された豊川市主婦殺害事件
出典:アタマの引き出しは生きる力だ

そんな谷口誠一ですが、2000年3月5日頃に国立肥前療養所に措置入院しました。これは自室から犯行声明やナイフなどの武器が見つかった為です。当時は事件を起こす前の措置入院は難しく、著名な精神科医・町沢静夫の口利きで入院が決まった経緯がありました。

入院中は穏やかに過ごす谷口誠一ですが、強制的に入院を決めた両親に強い怒りを持っています。4月26日に1度目、5月3日に2度目の外泊許可が出て、一時帰宅。しかし、穏やかな姿は家族や医師を欺く為の仮の姿でした。

ちなみに谷口誠一が事件を起こすに至ったのは、5月1日に起きた「豊川市主婦殺人事件」。これは17歳の少年が老夫婦を襲い、老女を殺害した事件です。谷口誠一はこの事件を称賛する手記を残しています。

その後、谷口誠一は2ちゃんねるに「佐賀県佐賀市17歳 ネオむぎ茶」というスレッドを立てます。書き込みは、「ヒヒヒヒヒ」とだけ書かれた異様なもの。

谷口誠一はバスジャックではなく、母校の中学校を襲撃する予定でした。しかし世間はGWであり、谷口誠一は予定をバスジャック事件に変更。家族に「森林公園へ行ってくる」とだけ家族に言い残し、谷口誠一は犯行現場へ向かいました。

1 2 3

コメントを残す