「今、西鉄バスジャック事件の犯人は何をしてるの?」
「そもそもどうしてあんな事件を起こしたのだろう?」
西鉄バスジャック事件を起こした「ネオ麦茶」こと谷口誠一。事件当時、彼はまだ17歳の少年でした。1名の死亡者と2名の負傷者を出した西鉄バスジャック事件は未成年の犯行という事もあり、世間に大きな衝撃と反響を呼びました。
犯人の谷口誠一は逮捕されましたが、事件が起きた2000年5月から彼が現在何をしているのか、知りたい人も多くいますよね。
そこで、今回は西鉄バスジャック事件の犯人、谷口誠一の現在をわかりやすく解説します。また、逮捕後の様子や事件を起こした背景も紹介するので、ぜひ参考にしてください。
この記事を書いた人
Webライター
Webライター、吉本大輝(よしもとだいき)。幕末の日本を描いた名作「風雲児たち」に夢中になり、日本史全般へ興味を持つ。日本史の研究歴は16年で、これまで80本以上の歴史にまつわる記事を執筆。現在は本業や育児の傍ら、週2冊のペースで歴史の本を読みつつ、歴史メディアのライターや歴史系YouTubeの構成者として活動中。
西鉄バスジャック事件とは
西鉄バスジャック事件は、2003年5月3日に福岡・天神行きの西鉄高速バス「わかくす号」で起きたバスジャック事件です。13時35分ごろ、九州自動車道の太宰府IC付近で、刃渡り40cmの牛刀を持った谷口誠一(17歳)がバスを乗っ取りました。
谷口誠一は乗客としてバスに乗車しており、乗客をバスの後方に移動させます。この時に、疲れて寝ていてバスジャックに気づかなかった乗客の1人を牛刀で斬りつけます。バスには6歳の少女も乗っていましたが、谷口誠一はバスから降りる事を許していません。
14時半頃にトイレ休憩が行われた際に、乗客の1人が逃走し事件は発覚。対策本部も設置されました。最初に逃げた乗客以外に、窓から飛び降りる、接近した警察車両に救出される等して2名が脱出。谷口誠一は激昂し、2人を牛刀で刺して1人を殺害しました。
21時37分頃にバスは小谷サービスエリアに給油のために停車。事件から21時間後の翌午前5時に、特殊部隊SAT15名がバスに侵入し、谷口誠一は確保されました。この事件で2人が負傷し、1名が死亡。日本のバスジャック事件で初めて死者が発生しました。
なお、事件前に谷口誠一は2ちゃんねるで「ネオ麦茶」を名乗り、犯行声明を出しています。この事から、谷口誠一をネオ麦茶、西鉄バスジャック事件をネオ麦茶事件とも呼びます。
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犯人・谷口誠一(ネオ麦茶)の現在
事件を経て谷口誠一は逮捕されましたが、現在は何をしているのでしょうか。残念ながら、逮捕された時の谷口誠一は未成年という事もあり、詳細な情報などは得る事はできません。それらを踏まえた上で、現在わかっている谷口誠一の動向は以下の通りです。
- 京都医療少年院に収容される
- 退所後の行方は不明
- 家族は遺族に賠償を続けている
京都医療少年院に収容される
谷口誠一は、銃砲刀剣類所持等取締法と人質による強要行為等の処罰に関する法律違反で逮捕されます。佐賀家裁は谷口誠一の責任能力を認めたものの、精神鑑定で「解離性障害や行為障害の症状」も指摘されており、精神科医の観察が必要と判断されました。
結果的に谷口誠一は、5年以上の医療少年院送致とする保護処分が下され、2000年10月に京都医療少年院に収容されます。そこで、心の立て直しを図る為の「更生プログラム」が行われました。
ちなみに事件から4年後、谷口誠一の元に山口由美子さんという方が何度も面会に訪れています。彼女は事件で殺害された塚本達子さんの友人で、彼女も谷口誠一に傷つけられて負傷しました。谷口誠一と山口由美子さんの間には、以下のやり取りがありました。
「私は彼の背中をさすり、『これまで誰にも理解されずつらかったね』と言いました。そして、『だけど、あなたの罪を許したわけではない。許すのはこれからです。これからの生き方を見ているから』と伝えながら、彼のつらさを肌で感じて涙が溢れてきました」
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一連のやり取りを経て、谷口誠一は山口由美子さんに深々と頭を下げたとの事。その後も何度か2人は面会しています。やがて、谷口誠一は2006年1月に京都医療少年院を仮出所しました。
谷口誠一よ俺は貴様を絶対に許さない
名前を変えていようが必ず復讐してやるからな