【禁断】日本で有名なタブー事件ランキングTOP30

20位:三重小2女児失踪事件 – 1991年

加茂前家に届いた怪文書
出典:いつしかついて来た犬と浜辺にいる

この事件は1991年3月15日に三重県四日市市で当時8歳の加茂前ゆきちゃんが失踪した事件です。謎多き失踪事件として知られており、特に不気味なのは失踪から3年後に加茂前家に届いた怪文書でした。

ミゆキサンにツイテ
ミユキ カアイソウ カアイソウ
おっカアモカアイソウ お父もカアイソウ
コンナコとヲシタノハ トミダノ股割レ トオモイマス
股ワレハ 富田デ生レテ 学こうヲデテ シュンガノオモテノハンタイノ、パーラポウ ニツトめた
イつノ日か世帯ヲ持チ、ナンネンカシテ 裏口ニ立ツヨウニナッタ
イま(ゑ)ハー ケータショーノチカクデ 四ツアシヲアヤツツテイル
ツギニ
スズカケのケヲ蹴落シテ、荷の向側のトコロ
アヤメ一ッパイノ部ヤデ コーヒーヲ飲ミナガラ、ユキチヲニギラセタ、ニギッタノハ アサヤントオもう。
ヒル間カラ テルホニハイッテ 股を大きくワッテ 家ノ裏口ヲ忘レテ シガミツイタ。
モウ股割レハ人ヲコえて、一匹のメスにナッテイタ。
感激ノアマリアサヤンノイフトオリニ動いタ。ソレガ大きな事件トハシラズニ、
又カムチャッカノハクセツノ冷タサモシラズニ、ケッカハ ミユキヲハッカンジゴクニオトシタノデアル
モウ春、三回迎エタコトニナル
サカイノ クスリヤの居たトコロデハナイカ トオモウ
ダッタン海キョウヲ、テフがコエタ、コンナ 平和希求トハチガウ
ミユキノハハガカ弱イハネヲバタバタ ヒラヒラ サシテ ワガ子ヲサガシテ、
広いダッタンノ海ヲワタッテイルノデアル
股割れは平気なそぶり
時ニハ駅のタテカンバンニ眼ヲナガス コトモアル、
一片の良心ガアル、罪悪ヲカンズルニヂカイナイ
ソレヲ忘レタイタメニ股を割ってクレルオスヲ探しツヅケルマイニチ
股ワレワ ダレカ、ソレハ富田デ生レタコトハマチガイナイ
確証ヲ?ムマデ捜査機官に言フナ
キナガニ、トオマワシニカンサツスルコト
事件ガ大キイノデ、決シテイソグテバナイトオモウ。
ヤツザキニモシテヤリタイ 股割レ。ダ。ミユキガカアイソウ
我ガ股ヲ割ルトキハ命ガケ コレガ人ダ コノトキガ女ノ一番 トホトイトキダ

この手紙を書いた人はゆきちゃんを誘拐した犯人を知っている事がわかります。犯人は「トミダの股割れ=売春婦?」である事、ダッタン海峡=韃靼海峡や、カムチャッカノハクセツ等の地名が出てくる事から、執筆者が拉致の工作員の可能性も示唆されます。

また後に緒形達生という霊能力者がこの事件に協力したいと申し出がありました。しかし3日後には「妨害する別の霊が現れた為、捜査に協力できない」と申し出てきたのです。2003年には目撃情報と一致する男から電話がかかってきた事もあります。

不気味な怪文書からは売春婦やヤクザ、拉致などの日本の闇が隠されていますし、怪しげな霊能力者からの手紙、更には12年を経てかかってきた不思議な電話。この事件の背後には日本のタブーが存在する気がしてならないのです。

19位:悪魔の詩訳者殺人事件 – 1991年

事件のあった筑波大学筑波キャンパス
出典:Wikipedia

悪魔の詩訳者殺人事件は1991年7月11日に、筑波大学助教授の五十嵐一がキャンバス内で殺害された事件です。遺体の首には左に2カ所、右に1カ所の頸動脈まで達する傷があり、これはイスラム式の殺し方と言われています。

五十嵐は1990年にサルマン・ラシュディの小説・悪魔の詩を翻訳。本書はイギリスの作家がムハンマドの生涯を小説にしたもので、当時のイランの最高指導者・ルーホッラー・ホメイニーは本書に関わった者に死刑を宣告していました。

なお五十嵐の机の中から「壇ノ浦の戦い」にちなんだ四行詩が発見されています。壇ノ浦で殺されるというフレーズに五十嵐はフランス語で「階段の裏で殺される」と書いており、身の危険が迫っていた事を察知していたのかもしれません。

CIAは犯行を、イランの対外工作・テロ活動に従事するゴドス軍によるものと推測。事件は2006年に時効を迎えますが、その前から捜査は打ち切られています。これはイスラム諸国との関係悪化を恐れた日本政府の意向による可能性があり、タブーな事件と言えるでしょう。

18位:熊取町7人連続怪死事件 – 1992年

事件のあった熊取町
出典:Wikipedia

熊取町7人連続怪死事件は、1992年4月〜7月にかけて大阪府熊取町で発生した連続怪死事件です。18歳から22歳の男6人、女1人の若者が1週間おきに死亡。事件は水曜か木曜に集中しており、1件のみが金曜日。事件は全て半径1.2km以内で発生しています。

唯一の死者だった女性は女子大生で、男性達と接点はなかったようです。男性6人はそれぞれが交流を持っていた事も判明しています。彼らの中にはシンナーや暴走族に加入していた者もいて、7件中2件はシンナーによる事故死、残りの5件は自殺と判断されました。

ただ彼らが自殺する理由はなく、1人は結婚も控えていました。両手を後ろ手に縛った状態での首吊りなど、本来なら他殺と判断されても良い遺体もあり、一連の自殺断定には様々な疑惑もつきまといます。

ヤクザの娘をレイプした事による報復説、ヤクザの車と薬物を奪った事による報復など、様々な説が唱えられていますが真相は不明です。ヤクザが一連の事件を起こし、警察がそれをもみ消したとも推測されています。

17位:東電OL殺人事件 – 1997年

女性の遺体が見つかった安アパート
出典:Wikipedia

東電OL殺人事件は1997年3月9日未明に東京電力の幹部だった女性が、渋谷区の安アパートで何者かに殺害された事件です。女性は東電初の女性管理職でありながら、夜は売春婦として働いていた事が判明し、世間に大きな衝撃を与えました。

5月20日に不法滞在のネパール人が逮捕されるものの、冤罪である事が分かり2012年に無罪判決となります。彼は1審で無罪判決が出ていたものの、ネパールに出国され逃亡されると有罪確定時の刑の執行が出来ない為、警察は彼を勾留し続けたのです。

現在に至るまで犯人は不明です。売春の相手や巣鴨のヤクザという説がありますが、東電が関与しているという噂もあります。彼女は反原発を訴えて幾つかの報告書も作成していました。東電は彼女を危険視し、別の実行犯に暗殺を行わせたのかもしれません。

様々な謎を秘めた東電OL殺人事件ですが、事件解決の目処は未だに立っていません。

16位:山口連続放火殺人事件 – 2013年

犯人の家に貼られていた川柳
出典:FRIDAY

山口連続放火殺人事件は2013年7月21日に山口県洲南市金峰郷地区で、集落の住人・保見光成が同集落の住人5人を殺害し、民家2軒を放火した事件です。この集落は8世帯僅か14人しかいない限界集落で、携帯電話も利用出来ませんでした。

犯人の保見はこの集落で生まれましたが、後に神奈川に移住。実家の両親の介護の為に1994年に44歳で帰郷します。ただ保見は気難しい性格で、周囲と軋轢を起こすようになりました。彼の犯行は許されるものではなく、2016年に死刑判決が言い渡されています。

ただ保見は住民達から「数々の嫌がらせを受けていた」ともされます。保見によると草刈り機を無理やり購入させられ、燃料代も自費。住民達から一切の謝礼はなかったとの事です。

一方で保見は長年の介護による疲労で妄想性障害が進行していたとされ、もはや何が真実なのかは分かりません。ただ言えるのは田舎特有の閉鎖的なネットワークが事件の発端になったと言う事。日本の山奥には今でも様々なタブーが残されているのかもしれません。

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