最後の食事は覚せい剤入りチョコレート?
特攻隊員が出撃する時には失神する人も多く、失禁する人もいたと伝わっています。これは至極当然のことであり、気持ちを紛らわせるために覚せい剤入りのチョコレートを食べて出撃していたという話もあるのです。ここでは特攻隊員と覚せい剤について解説していきます。
覚醒剤「ヒロポン」が入っていたという噂
当時女学生で兵隊の食料工場に勤務していた女性が、工場でチョコレートを食べたときに体が熱くなり普通のチョコレートではなかったと証言しています。女性はこの話を家に帰って父親に話すと、
「ヒロポン(覚せい剤)でも入っているんだろうな」
と話していたといいます。工場で作るチョコレートは兵隊さんが食べるチョコレートだ」と説明を受けていたといい、上級生からは「特攻隊員が死ぬ前に食べていくんだよ」と話していたのだそう。チョコレートには菊の御紋が押してあり、「天皇からの贈り物」として作られていたといいます。
チョコレートは15センチ程度の円柱だったといいますが、覚せい剤入りのチョコレートが本当に作られていたかは記録が残っていないといいます。
当時は栄養剤代わりだった
ヒロポンは中枢神経刺激薬でいわゆる覚せい剤ですが、戦時中の認識は「効果抜群の栄養ドリンク」といったものだったといい、薬局に行けばすぐに購入できたそうです。広告を見てみると、「強力な中枢性興奮作用を有し、倦怠感・憂鬱感を除去して爽快活発となし、又眠気や眠気の除去に偉効がある」
と書かれています。
しかしヒロポンの実態は「倦怠感・憂鬱感が取り除かれる」と錯覚しているだけであり、長期間使用すれば幻覚症状や人格の崩壊に繋がる危険な薬でした。この薬に軍部は目をつけ、夜間監視や夜間飛行の兵に飲ませたといい「特攻錠」「猫目錠」と呼ばれていたといいます。
ヒロポンの検挙者数がピークを迎えたのは昭和29年で、この年の使用者は年間55万人、中毒者20万人、使用経験者数は200万人と凄まじい有様でした。1枚目は、場所は不明ですが製造工場の摘発。2枚目は昭和33年、神戸の麻薬地帯を摘発した時のものです。 pic.twitter.com/Qdgnkl1cxg
— だっち (@zidaiokure_21th) January 31, 2017
戦時中から戦後にかけて日本の覚せい剤の代名詞的な存在だったといい、ヒロポン中毒の人は「ポン中」と呼ばれていたそうです。
出撃前の隊員に注射していた?
当時海軍の航空基地で軍医をしていた男性の証言によると、「出撃前の特攻隊員に覚せい剤を注射していた」と語っています。男性によると黒いケースに10本アンプルで入っており、「筋肉注射をしろ」「出発前にせよ」といった指示があったそうです。目的は「眠らないため」だったといい、興奮状態にして戦地に向かうためだと考えられます。
恐ろしい
めちゃくちゃ悲しい
一生忘れずに、戦争のないの日本になってほしい。
こりゃひどいw
せめてもう少し勉強してから書いてください。
特攻隊が死ぬ瞬間の様子とは?即死だった?→そもそも特攻を語るのに視点がこれですかw