特攻隊が死ぬ瞬間の様子とは?即死だった?証言を元に徹底調査

特攻隊員のご遺体はどうなった?

爆弾を抱えた飛行機が特攻する
出典:Wikipedia

国と家族のために命を犠牲にした特攻隊員ですが、亡くなった後のご遺体がどうなったのか気になるものです。無事に遺族の元に帰っているのか、そうではないのか解説していきます。

多くは残っていない

体当たりされ炎上する米軍空母
出典:わたしの意見

結論からいえば多くは残っていません。特攻が成功した場合は、搭載されている爆弾と共に爆発するために、ご遺体は残りません。そして突入まで至らず米軍に撃墜された場合も、多くは海に落ちそのまま見つかっていないためです。

米軍が写真を残しているものも

米軍が撮影した特攻機の残骸
出典:私の意見

特攻隊員のご遺体は米軍の写真に残っているものもあり、爆発の衝撃によりかなり損傷していたようです。アメリカ側の資料を読むと、こういったご遺体は海に落とされていたといいます。インターネットで検索すると写真が出てきますが、損傷の激しいご遺体の写真ばかりなので興味本位での閲覧はおすすめできません。

米軍が水葬した話も残っている

ミズーリの水葬式の様子
出典:Yahoo!知恵袋

非常に珍しいケースですが、米兵に水葬されたケースもあります。1945年4月11日に米軍の戦艦ミズーリ号の右舵甲板へ特攻機が突入しました。この時にミズーリ号は表面に軽微な損傷を受けていますが、突入した特攻隊員の一部がちぎれて飛び込んできたそうです。

当初乗組員はご遺体を海に戻そうとしていたそうですが、ウィリアム・キャラハン艦長が「この搭乗員は名誉を持って自らの使命を全うした」として水葬を決めています。乗組員の中には反対の意見もあったといいますが、艦長の命により翌日「水葬式」が行われました。

ミズーリに突入する特攻機
出典:Wikipedia

この搭乗員の身元は長らく不明でしたが、ミズーリ記念館の調査の結果、鹿島航空基地を出撃した第5建武隊の石野節雄二等兵曹機であったといいます(もしくは同じ第5建武隊の石井兼吉二等兵曹機の可能性もあり)。なお、米軍によって水葬式が行われた記録はこの1回だけです。

特攻隊の死ぬ瞬間に関するまとめ

この度特攻隊の記事を執筆する機会を頂き「神風特別攻撃隊」について改めて調査し記事を作成しましたが、何度見ても隊員の方の遺書を見ては泣き、「なぜ彼らは死ななければならなかったのか」と答えが出ない考えを繰り返した執筆となりました。

この記事を読んで少しでも「特攻隊」の方々の現実を知って頂き、戦争の悲惨さを感じて頂けたら嬉しく思います。最後までお読みいただきありがとうございました。

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2 COMMENTS

匿名

こりゃひどいw
せめてもう少し勉強してから書いてください。

特攻隊が死ぬ瞬間の様子とは?即死だった?→そもそも特攻を語るのに視点がこれですかw

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