宮野裕史の親はどんな人?
事件の主犯として、最も重い判決を受けた宮野裕史。ここからは、事件前と事件後の変化を交え、宮野裕史の親について解説します。
- 事件前:父親は愛人を作り家庭は崩壊
- 事件後:両親は仕事を辞め、母親は宗教にのめり込む
事件前:父親は愛人を作り家庭は崩壊
宮野裕史は、1970年4月30日に東京都足立区で生まれます。両親と妹の4人暮らしであり、父親は証券会社に勤め、母親はピアノ講師を務めていました。金銭的には裕福であったものの、父親は愛人の家に入り浸っていたため、家庭は崩壊状態でした。
母親はそんな父親を無視するように、夜遅くまで仕事をしています。ただ宮野裕史の教育には熱心であり、英会話や公文式などにも通わせました。一方で指導が行き過ぎて、宮野裕史をしつけと称して靴べらで叩くなどの行為も行っています。
また宮野裕史が小学1年生の頃に妹が生まれますが、両親は妹ばかりを可愛がりました。宮野裕史は家族で食事を摂った記憶がないそうです。過度のしつけと育児放棄という家庭環境で育ったためか、宮野裕史は小学校時代から非行に走りました。
宮野裕史は、小学校高学年〜高校1年生まで更生します。1987年3月に高校を中退し、しばらくはタイル工場で働くものの、1988年8月頃には再び非行に走りました。この頃には、両親も宮野裕史に手出しできなくなっていました。
事件後:両親は仕事を辞め、母親は宗教にのめり込む
事件後を経て両親は仕事を辞めました。更に、自宅を売却し、被害者遺族に5000万も支払っています。父親は証券会社を辞め、トラック運転手に転職。離婚して愛人と一緒に住んでいるという噂もありますが、実際のところは不明です。
母親は離婚を経て新興宗教に没頭している噂もありますが、こちらも真相は不明。妹は両親から愛情を受けて育ったため、特に事件を起こしたという話は聞きません。ただ兄が凶悪事件を起こしたため、就職や結婚には苦労している可能性はあります。
小倉譲の親はどんな人?
暴行から死体の遺棄まで積極的に犯行に加担した小倉譲。ここからは、事件前と事件後の変化を交え、小倉譲の親について解説します。
- 事件前:両親は離婚し、母親に引き取られる
- 事件後:母親はスナックを経営して贅沢三昧!被害者のお墓を壊した
事件前:両親は離婚し、母親に引き取られる
小倉譲は、1971年5月11日に東京都足立区で生まれました。父親は愛人の間に子どもを作り、両親は小学3年生の頃に離婚。小倉譲は姉と共に母親に引き取られています。母親は毎日夜遅くまで水商売で働いており、家には親がいない状況が続きました。
ただ小倉譲はすぐに非行に走ったわけではなく、高校の途中までは真面目に学業や部活に励んでいました。怪我が理由で部活を退部した頃から生活が荒れ始め、校内で暴力事件を起こして高校を退学。その後は宮野裕史らと関わり始め、暴力団関係者の元を出入りするようになりました。
事件後:母親はスナックを経営して贅沢三昧!被害者のお墓を壊した
父親の情報は詳しくわかりませんでしたが、息子のことは関係ないとばかりに取材を断ったことが判明しています。事件が起きた頃、父親は愛人と生活していましたが、母親と籍は抜いていません。戸籍上は小倉譲の父親ではあったものの、あまりにも無責任な行動です。
小倉譲の母親は、小倉譲が出所した2004年ごろには犯行現場近くでスナックを経営していたことが判明しています。母親は遺族に慰謝料を支払いましたが、金額はたったの50万円。その代わり、マンションを購入したり、出所後の小倉譲に高級車を買い与えていたため、批判が殺到します。
小倉譲が2度目の事件を起こした事で、母親は息子がコンクリート事件の犯人であることがバレました。経営していたスナックは閉店。「息子は被害者のせいで人生を狂わされた」として、女子高生のお墓を壊すという暴挙にも出ました。
まさに「この子にしてこの親あり」です。母親の現在の消息はわかりませんが、母親が購入したマンションは埼玉県八潮市にあります。そのため、マンションを売り払っていなければ、その周辺に住んでいる可能性が濃厚です。
湊伸治の親はどんな人?
40日もの間、女子高生を自宅に拉致監禁し続けた湊伸治。ここからは、事件前と事件後の変化を交え、湊伸治の親について解説します。
- 事件前:女子高生を監禁しても見て見ぬフリ
- 事件後:両親は共産党から除名され、父親は後に病死する
事件前:女子高生を監禁しても見て見ぬフリ
湊伸治は1972年12月16日に埼玉県川口市で生まれました。足立区に引っ越したのは、事件が起こる13年前の事です。父親は薬剤師、母親は看護師という裕福な家庭で育ち、兄もいました。また両親は、熱心な共産党の党員であったことも判明しています。
湊伸治と兄は、父親から日常的に虐待を受けていました。家庭内のルールを破ると、母親から報告が入り、寝ていても起こされることもしばしば。父親は酒が入ると暴力的となり、週に1回は暴力を受けていました。
やがて湊伸治は荒れるようになり、自宅は不良の溜まり場となります。母親は一度だけ女子高生を逃そうとしたものの、湊伸治から1時間にわたり暴行をうけたため、その後は見て見ぬフリをしました。
兄も、女子高生に食事を運んでいたものの、警察に通報はしていません。家族が早い段階で意を決して警察に通報していれば、女子高生は亡くならずに済んだでしょう。
事件後:両親は共産党から除名され、父親は後に病死する
事件を経て両親は共産党から除名されます。更に足立区から姿を消し、自宅は取り壊されました。兄は1999年ごろから独り立ちし、母親は埼玉県川口市で暮らしていることが判明しています。父親は2016年に病気で他界し、兄と母親の所在は不明です。
私凶悪犯罪者が生まれる家庭の特徴フルコンプしてるけど凶悪犯罪起こしてない。兄は脅迫やったけどあくまで自分を虐待した親相手のみ。
家庭環境が悪かったからを理由にしないでほしいわ、女性だって家庭環境が悪かった人はたくさんいるのにこういう犯罪を起こすのはいつも男性。育った環境は言い訳にならないし自分がそこで育ったからこそ言い訳にするカスは容赦なく抹殺したい。
やばいよね…
私生まれてなかったから全然知らなかったけど
こんな凶悪な事件があったなんて…
そのお亡くなりになられた高校生さん?
かわいそう…