「コンクリート事件の加害者の親はどんな人?」
「加害者たちの家庭環境は悪かったのかな?」
凶悪な少年犯罪として知られる女子高生コンクリート詰め事件。本事件は加害者の残忍さだけでなく、加害者4人を取り巻く家庭環境にも注目が集まりました。
彼らは皆、家庭環境に恵まれず、虐待やネグレクトが当たり前に行われていました。彼らが残忍な事件を起こす背景には、間違いなく家庭環境が関係しています。今回は、女子高生コンクリート詰め事件を起こした加害者の親たちを、家庭環境も交え詳しく解説します。
この記事を書いた人
Webライター
Webライター、吉本大輝(よしもとだいき)。幕末の日本を描いた名作「風雲児たち」に夢中になり、日本史全般へ興味を持つ。日本史の研究歴は16年で、これまで80本以上の歴史にまつわる記事を執筆。現在は本業や育児の傍ら、週2冊のペースで歴史の本を読みつつ、歴史メディアのライターや歴史系YouTubeの構成者として活動中。
女子高生コンクリート詰め殺人事件とは?
女子高生コンクリート詰め事件は、1989年3月29日に発覚した殺人事件です。加害者の4人は、通りすがりの女子高生を拉致して輪姦。40日間にわたり、監禁して暴行や強姦を繰り返しました。
監禁から40日後に女子高生は死亡。加害者たちは遺体をコンクリート詰めにし、東京湾に遺棄しました。加害者の4人は全員が未成年。本事件は非常に残忍な凶悪事件として、日本社会に大きな影響を与えました。
コンクリート事件の被害者は妊娠していた?悲惨すぎる事件の真相
女子高生コンクリート詰め殺人事件の加害者4人
ここからは、人柄や育ちなども交え、女子高生コンクリート詰め殺人事件の加害者4人について詳しく解説します。なお、当時女子高生が拉致されていた部屋には、何人かの未成年が出入りしており、彼らも罪に問われています。
- 宮野裕史(横山裕史)
- 小倉譲(神作譲)
- 湊伸治
- 渡邊恭史
宮野裕史(横山裕史)
宮野裕史は事件当時18歳。1987年3月に高校を中退し、1988年8月頃からタイル工場を辞め、暴力団関係者と関わりを深めました。
この事件で宮野裕史は、湊伸治に通りすがりの女子高生の自転車を倒すよう命じます。その後で善人のフリをして女子高生に近づき、倉庫に連れ込んだ後で強姦しました。女子高生を湊伸治の家に拉致した後は、暴行や陵辱の限りを尽くしました。
1989年1月4日には、2時間にわたる暴行を加えて女子高生を殺害。かつての仕事場から運搬用のトラックを借りてセメントをもらい、盗んだドラム缶に遺体を入れてコンクリートを流し込みます。その後、江東区内の工事現場横の空き地にドラム缶を遺棄しました。
後に事件が発覚した時、宮野裕史には最終的に懲役20年の判決が下ります。2007年に出所した際には、養子縁組をして「横山」という名前になりました。2013年には、振り込め詐欺容疑で逮捕されたものの、不起訴処分となりました。
小倉譲(神作譲)
小倉譲は事件当時17歳。高校中退後は、同じく暴力団関係者と関わりを深め、宮野裕史たちと不良行為を繰り返していました。
小倉譲が事件に関与し始めたのは、宮野裕史と湊伸治が女子高生を部屋に監禁した頃から。彼は殴る蹴るの暴行だけでなく、陰毛の毛を剃る、自慰行為の強要。更には、身体にオイルを垂らして火をつけるなどの悪魔のような所業を繰り返しました。
後に小倉譲には「懲役5年以上10年以下」の判決が下り、1999年に出所。更生保護司の女性と養子縁組し、「神作」という苗字になりました。2004年には三郷市逮捕監禁致傷事件を起こし、4年の実刑判決を受けています。
現在の消息は不明ですが、大阪に潜伏している、結婚して子供がいるなどの噂があります。
湊伸治
湊伸治は事件当時15歳〜16歳。当時、湊伸治の家は不良の溜まり場となっていました。湊伸治は宮野裕史と共謀し、女子高生を自宅に連れ込み、40日間も拉致監禁しました。
暴行や陵辱にも積極的に加担し、自宅には兄や母親もいましたが、湊伸治に暴力を振るわれる事を恐れ、見て見ぬフリをしています。後に「懲役5年以上9年以下の不定期刑」を受け、時期は不明ですが出所しました。
出所後は東京都大田区のアパートに住みますが、騒音トラブルの末に退去します。2018年8月には殺人未遂事件を起こし、2019年11月に懲役1年6ヶ月、執行猶予3年の判決が下りました。現在の状況は不明です。
渡邊恭史
渡邊恭史は事件当時16歳〜17歳。彼は他の3人と比べて積極的に事件に関与はしていません。しかし、女子高生が死亡する決定的要因となった暴行に関与しているため、主犯の1人となりました。
ただ渡邊恭史は遺体を処理する際に「ミンチにした方がよい」と発言するなど、積極的に事件に関与したフシもあります。更に4人の中で唯一「上告」をして罪の減刑を図るなど、本当に従犯であったのかは疑問が残ります。
最終的に渡邊恭史は、「懲役3年以上4年以下の不定期刑」となりました。1996年に出所した後は、2001年ごろまで母親と同居しています。いくつか仕事を転々とした後、目の病気を患い、現在は生活保護を受けながら生活しています。4人の中で唯一、再犯はしていません。
私凶悪犯罪者が生まれる家庭の特徴フルコンプしてるけど凶悪犯罪起こしてない。兄は脅迫やったけどあくまで自分を虐待した親相手のみ。
家庭環境が悪かったからを理由にしないでほしいわ、女性だって家庭環境が悪かった人はたくさんいるのにこういう犯罪を起こすのはいつも男性。育った環境は言い訳にならないし自分がそこで育ったからこそ言い訳にするカスは容赦なく抹殺したい。
やばいよね…
私生まれてなかったから全然知らなかったけど
こんな凶悪な事件があったなんて…
そのお亡くなりになられた高校生さん?
かわいそう…