この記事を書いた人
某週刊誌の元記者
Rekisiru編集部、東条りな(とうじょうりな)。新卒で某有名週刊誌を運営する出版社に入社。8年勤務したのち結婚を機に退社。芸能ネタとネットゴシップ収集が生き甲斐であり趣味であり仕事。現在はWeb系メディアを中心にメディア編集業に従事。
13位:田中聖二(プロボクサー)
田中聖二は、2004年に第29代スーパーフライ級王者になったプロボクサーです。彼は2005年4月15日に、急性硬膜下血腫で、28歳の若さで亡くなりました。同年4月3日、田中聖二は日本王座防衛戦で名城信男と対戦します。
試合は10回TKOで敗れ、控え室に戻るものの、意識を失い緊急入院となりました。原因は緊性硬膜下血腫であり、手術が行われたものの意識は戻らないまま、12日後に亡くなります。4月18日の告別式には200人が参列し、その死を偲んでいます。
試合当日、田中聖二は3ヶ月前に結婚した妻に「勝つ、勝つ、必ず勝って帰ってくる」とメモを残していました。しかし、その願いは叶いませんでした。
対戦相手の名城信男は深い後悔に襲われるものの、田中聖二の父親に「息子の事は気にせず、これからも頑張って」と声をかけられています。田中聖二と名城信男は出稽古をする仲であり、試合の後も互いの強さを讃え合っていました。
ボクシングは命をかけた真剣勝負。戦いで何かがあっても、それは合意の上での事。田中聖二も父親も、そして妻もまた名城信男を責める事はありません。名城信男は奮起し、2005年にWBA世界ランキング1位になります。
名城信男は現在は現役を引退し、近畿大学ボクシング部監督に就任しています。ただ、今でも田中聖二の墓前で手を合わせているそうです。
12位:柳田泰己(騎馬)
柳田泰己は、ニュージーランドで活躍した騎馬選手です。2022年にG2ウェストバリークラシックで重賞初制覇を果たすなど、将来を期待されていましたが、2022年8月9日に28歳の若さで亡くなりました。
それは、8月3日にニュージーランドで行われたケンブリッジジョッキークラブでの第9レースの事。レースの最中、柳田泰己は落馬で頚椎を損傷。更に後続の馬に頭部を蹴られ、頭部外傷の重傷を負いました。
懸命な治療が行われるものの、医師はこれ以上の回復の見込みはないと判断。既に意識はない中、家族の同意を得て、生命維持は外されました。
柳田泰己は競馬学校を受験するものの、身長や体重が大きいゆえに、中央競馬のジョッキーを断念しています。彼は体格の制限のない海外へ飛び、日本人離れした手足を使い、技術を学んでいきました。そんな彼を慕う者は多く、告別式には多くの人たちが集まっています。
同じくニュージーランドで活躍する浅野一哉は、柳田泰己の死を忍びました。同月に行われたリカルトンパーク競馬場のレースで勝利した時、鞭を持った右手で天を指差していますが、この行動は天国にいる柳田泰己に向けたもの。世界各地から称賛の声と、柳田泰己に対する追悼の声が上がりました。