7位:消息不明となった天方直美

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天方直美さんはdosのオーディションには落ちるも、久保コージさんのプロデュースでデビューしたシンガーソングライター。彼女の歌は小室氏がプロデュースしていないものの、小室ファミリーとしてシングルCDを10枚発売しています。

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武田徹さんからは「張りと甘さが適度にバランスよく溶け込んだ歌声」と評され、バラエティー番組のテーマ曲やCMソングとして起用されました。しかし小室ファミリーの中では全くヒットせず、2000年には渡米してしまいます。

渡米後はニューヨークでジャズやゴスペルを学び、アポロシアターなどで活躍。帰国後はシンガーソングライターとして活動していました。自身の楽曲を発表するほか、ゲームのキャラクターCDに曲を提供したりしていたようです。2004年に入籍を発表、相手の素性は発表されていません。

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さらに2004年には雨上がり決死隊の宮迫博之さんとユニットを組み、メディアの注目を浴びた時期もありました。しかし2014年にはTwitterの更新も止まっており、現在はアーティスト活動をしていないと思われます。
6位:全く売れなかったH.A.N.D

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H.A.N.Dは小室哲哉氏が手がけていたレゲエ・ヒップホップユニット。小室氏が手がけたアーティストの中で唯一ラップのみの楽曲だったグループでした。小室ファミリー全盛期の1995年頃にデビューした彼らですが、リーダーのnisi-pさんは、「おそらく小室ファミリーで最も売れなかった」と話しています。

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小室氏はレゲエとヒップホップを融合させるというさらなる音楽の可能性を追求していました。そして渋谷区でレゲエパフォーマンスしているところをスカウトし、指導したのがH.A.N.Dだったそうです。しかし思うように話題にならず、小室ファミリーでもマイナーな存在で終わってしまいました。

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しかしセールス以外にも、4名がヤンチャしすぎてしまったために活動が終わってしまったとリーダーが回想しています。ファーストシングルのPVはいきなりハリウッドであり、ドレッドヘアの子供が4人ファーストクラスに座っていたためCAも驚いていたのだとか。

力を入れていたグループでしたが半年後には解散。それぞれのメンバーは今も音楽活動やダンス活動を続けている人もいれば、舞台俳優として活躍したりもしているようです。リーダーのnisi-pさんは、また小室さんと組んで新たにコラボしたいという気持ちをインタビューで話しています。