カート・コバーンとはどんな人?激動の生涯まとめ【死因や性格、音楽性も紹介】

カートコバーンは、ロックバンド「ニルヴァーナド」のギターボーカルです。1967年にアメリカ合衆国で生まれ、「ネバーマインド」という2枚目のアルバムで爆発的ヒットを記録しました。

歌うカートコバーン

カートコバーンというと「ロックスター」というイメージを持つ方が多いかもしれませんが、実際の彼は気弱で繊細な一面も持っていました。そして、それは彼の暗い少年時代をルーツとしていたのです。

カートの人生をダイジェストにすると、以下のようになります。

  • 8歳の時の両親の離婚がきっかけで、心に深い傷を負う
  • 荒れた生活を送るカートは高校を中退し、1年間のホームレス生活を経験
  • ニルヴァーナというバンドを結成
  • 「ネバーマインド」で空前の大ヒットを記録するも、薬物中毒が深刻に
  • 薬物による昏睡や警察沙汰を繰り返し、27歳という若さで自殺

このように、カートコバーンの人生はまさに波乱万丈に満ちたものでした。しかし、それは彼自身が望んだことではなく、カートはいつも苦悩や孤独感を抱えていました。

この記事では、バンド歴10年、ニルヴァーナのアルバムはCDが擦り切れるほど聴き倒し、カートコバーン関連の本や映画も収集している筆者が知識の限りを尽くして彼の人生をご紹介します。ぜひご一読ください!

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

カートコバーンとはどんな人物か

名前Kurt Donald Cobain
カート・ドナルド・コバーン
誕生日1967年2月20日
没日1994年4月8日
(遺体の発見日)
生地アメリカ合衆国ワシントン州
アバディーン
没地アメリカ合衆国ワシントン州
シアトル(自宅の駐車場の上にある部屋)
配偶者Courtney Love
コートニー・ラブ

カートコバーンの生涯をハイライト

1967年に自動車整備工の父親とウェイトレスの母親の間に生まれたカートコバーンは、ビートルズが大好きで絵を描くのが上手な子供でした。しかし8歳の時に両親が離婚したことが原因で、少年だったカートコバーンは心に深い傷を負ってしまいます。

ビートルズと絵を描くことが好きだったカート

母親と離れて父親と暮らす疎外感や虚無感を感じながらブラック・サバスやレッド・ツェッペリン、エアロスミスなどを聞いて育ちました。ハイスクール在学中にパンクバンドであるメルヴィンズのバズ・オズボーンに出会ったことで、パンクロックにのめり込みギターを始めます。

1985年にメルヴィンズのデイル・クローヴァーらと共にフィーカル・マターというバンドを結成し音楽活動をスタートさせますが、1年足らずでバンドは解散してしまいました。そんな中出会ったクリス・ノヴォセリックと意気投合し、のちにニルヴァーナを結成します。

クリス・ノヴォセリック

1991年年に発表されたニルヴァーナの2枚目のアルバム「ネヴァー・マインド」は当時のロックシーンを一変させる程の衝撃的なアルバムでした。全米チャートで第1位に輝き、4000万枚以上を売り上げたことでグランジ・オルタナティブロックを世界に広めました。

少年の頃に負った精神的ダメージによるうつ病と原因不明の胃痛に悩まされていたカートコバーンは、ドラッグに手を出し依存症に苦しみました。そして1994年4月5日にショットガンで頭部を撃ち抜き、自らの手でこの世を去ってしまいました。

カートコバーンの生い立ち

アバディーンの地図

カートコバーンが生まれたのは、ワシントン州にある林業と製材業の街、アバディーンです。彼が生まれたころ、アメリカは戦後の好景気で物が溢れており、多くの人が豊かな生活を送れるような状況でした。

父であるドナルド・コバーンはガソリンスタンドで働く自動車整備工、母のウェンディ・オコナーは専業主婦。そんな二人の間に生まれたカートコバーンは、ギターと絵が好きな明るい少年でした。当時の状況を物語るホームビデオには、あどけない笑顔で微笑むカートの姿が収められています。

しかし、彼の幼少期の家庭生活は決して順風満帆というわけではありませんでした。一時も休まず動き回っているカートコバーンのことを心配したウェンディは、彼を小児科に連れて行きます。そこでの診断結果は「ADHD」。

母ウェンディは、当時のことを「ドン(注:父ドナルドの愛称)は途方に暮れており、カートをバカにした」と振り返っています。そして、カートはそんな父親の態度に深く傷つけられることになりました。

カートコバーンの家庭環境

幼少期のカートコバーン

カートコバーンの作る音楽は、鬱屈とした個人的感情を吐き出すかのようなサウンドや歌詞が特徴です。そして、それこそがカートが「若い世代のスポークスマン(=代弁者)」として熱狂的な支持を得た要因のひとつでした。というのは、当時のミュージックシーンにそこまで直情的に、そして繊細に個人的な感情を歌ったバンドが他にいなかったからです。そして、そんな彼の音楽性には、少年時代の暗い家庭環境が大きく影響していました。

まず、彼に最も大きな影響を及ぼしたのが両親の離婚です。カートが8歳のとき、父のドナルドと母のウェンディが離婚し、別居することになりました。母のウェンディによると、「当時離婚する夫婦は珍しく、周囲には誰もいなかった」と言います。そのため、両親の離婚はカートにとっては死ぬほど恥ずかしい出来事だったようです。

父、ドナルドコバーンとカート

当初カートは母に引き取られますが、家中の電球を外したり、子守と妹を外に締め出したりするカートの素行に手を焼いた母は、父のドナルドのところに連れて行きます。しかし、父の家でもカートは義母とうまく馴染めず、義理の弟や妹に悪さをするようになります。耐えかねた義母はカートを見限り、カートはまた追い出されることになりました。

その後、カートは祖父母のところで暮らしたり、父母の家で暮らしたりと、親戚の家を転々とするようになります。当時、カートはそのような状況にひどく苦しみ、「家族から拒絶され、自分に価値がない」と感じていたようです。

誰よりも「家族から愛されること」を願っていた彼がそれを撥ねつけられ、結果的に生まれた音楽で大成功を収めたというのは、まさに運命の皮肉としか言いようがありません。

カートコバーンの性格や人格

繊細な一面があった

カートコバーンの性格を一言で表すとすれば、「二面性」という言葉に尽きます。攻撃的なステージングや突飛な言動と裏腹に、いつも心の奥底には「繊細で気弱なカート」がうごめいていました。彼自身はメディアからそう評されることを嫌っていたようですが、客観的事実を追うとやはりそう表現せざるを得ないのです。

たとえば、彼は女性関係において非常に不器用な人間でした。実際、後に妻となるコートニーと出会った時には、「片手で数えられるぐらいしか女性と付き合ったことがなかった」と言います。

その理由について、『カートコバーン/heaven』の作者であるチャールズ・R・クロス氏は、「カートが女性との関係に求めていたものは、子供時代に味わうことが出来なかった家族的な親密感だった」(p222)と述べています。つまり、カートは心のどこかで、「母親の代わりに自分を愛してくれる女性」を求めていたのだと言えるでしょう。その結果、いくつかの恋愛は上手くいかず、カートは自分を狂おしいまでに責め、それを音楽として昇華させていくことになるのです。

カートコバーン(右)と妻のコートニー(左)

また、彼が気弱であったことを示すエピソードとしては、傷害事件を起こした筋骨隆々のメンバーをクビにする時、怖くて直接伝えられなかったという話があります。カートコバーンは当時のドラマーに対して「脱退してほしい」という旨の言い訳がましい手紙を書いたものの、それを投函することすらできませんでした。結局カートは雑誌に「ドラム募集」という広告を掲載することで、当時のドラマーとの関係に終止符を打ったそうです。

このように、彼の繊細さや気弱さを示すエピソードはいくつもあります。しかし、それと同時にグロテスクで破滅的なものを好む傾向もありました。このような二面性を持つきっかけとなった要因は、紛れもなく彼が幼少期に受けたトラウマだったと言えるでしょう。

カートコバーンが影響を受けたバンド

メルヴィンズ

カートコバーンが最も影響を受けたバンドのひとつが、「メルヴィンズ」というバンドです。

10代のカートは、もともと地元のバンドであるメルヴィンズの大ファンでした。メルヴィンズに熱中するがあまり、次第にカートはツアーバスの運転や機材運搬などいわゆる「ローディ」と呼ばれる仕事をこなすようになります。本人曰く「彼らのリハーサルには200回以上立ち会った」というほど、カートは青年期の長い時間をメルヴィンズと過ごしていました。

そんなメルヴィンズのリーダーであるバズ・オズボーンは、カートのかけがえのない友人のひとり。後にニルヴァーナのメンバーとなるクリス・ノヴォセリックやデイヴ・グロールをカートに紹介したのも彼でした。つまり、バズ・オズボーンがいなければカートコバーンは「ニルヴァーナ」というバンドを結成することすらなかったのです。

また、初期のニルヴァーナの重低音寄りのサウンドメイクも、メルヴィンズに少なからず影響を受けています。実際、ファーストアルバムである「ブリーチ」に収録されている曲のうち数曲は、メルヴィンズのデイヴ・クローヴァーという人物とスタジオ入りして製作されたものです。

このように、メルヴィンズはカートコバーンの生涯に大きな影響を及ぼしたバンドのひとつだったと言えるでしょう。

カートコバーンの死因

椅子に座るカートコバーン

死因は自殺

カートコバーンの死因は、ショットガンによる自殺です。ジャニス・ジョプリンやジミ・ヘンドリクスなどの数々の天才ミュージシャンと同じく、カートは27歳という若さでこの世を去りました。そして、そのドラマチックな死や残された遺書が、皮肉にもカートが嫌っていた「ロック・スター」という烙印を永遠に焼き付けることになったのです。

カートの死亡が発見されたのは、1994年の4月8日、午前9時ごろ。第一発見者は、セキュリティ・システムの設置にやってきた電気工のギャリー・スミスという人物でした。カートコバーンはその死体が発見される6日ほどから行方不明になっていました。

ここで脳裏に浮かぶ疑問は、「カートコバーンはどうして自殺したのか」ということです。よく「ヘロインの常用が自殺の引き金になった」と言われますが、それが全ての原因だというのはあまりにも短絡的です。

ギターを弾くカートコバーン

実際、ヘロインは妻であるコートニー・ラブも常用していましたし、バンドメンバーのクリス・ノヴォセリックは「ヘロインはあいつの人生のわずかな一部でしかなかった」と述べています。自殺した本当の原因はカート自身にしかわからないことですが、ここでは彼の遺書に書かれた文章をいくつかご紹介しましょう。

ぼくはここ何年も、音楽を聴くことにも、創ることにも、曲を書くことにも興奮を覚えたことはなかったたまに、タイムカードを押して出勤するようにステージに出ていければいいと思ったことも会った。

『カートコバーン/トリビュート』

ぼくは受けとめようと力の限りをつくした。本当なんだ。すごく頑張ってみたんだ。でもだめだった

『カートコバーン/トリビュート』

遺書の内容を見ればわかるように、晩年のカートコバーンは音楽に無関心になりつつありました。それには、メディアからの過度な賛美や批判が彼を悩ませ続けていたことも決して無関係とは言えません。

カートコバーンの死因とは?他殺説やその真相、関連映画も紹介

みんなバカの一つ覚えのように「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」を聞きたがること、「繊細で気難し屋な性格の自分」が偶像化されること、ロックスターであることを強要されること・・・そんなすべてのことにカートコバーンはうんざりしていたのです。少し強い言い方をすれば、「カートコバーンはメディアに殺された」ということもできるでしょう。

カートコバーンの遺書の原文や日本語訳は?自殺に至った経緯まで解説

遺灰の行方

遺灰は1ヶ所にはまとめられなかった

カートコバーンの死後、遺灰は木の下に埋められたり、娘のフランシスによってマクレーン川に撒かれたりしました。そのため、埋葬場所は一箇所というわけではありません。ただ、自宅付近のヴィレッタ・パークにはカートゆかりのベンチがあり、多くのファンはそこを彼の墓跡として訪れているようです。

また、一部の遺灰については、妻のコートニー・ラブが彼の遺髪とともに保管していました。2008年には音楽メディアBARKSにてその遺灰が盗難に遭ったことが報じられていますが、現在どうなっているかは定かではありません。

カートコバーンが使用したギター

Jaguar ’65/FENDER

ジャガーを演奏するカートコバーン

彼の代名詞となっているフェンダーの65年製のジャガー。アルバム「ネヴァー・マインド」のレコーディングにも使用され、次作の「イン・ユーテロ」ではメインのギターとして使用されました。

カートコバーンが手にした時にはすでに改良が施されていて、オリジナルのジャガーとは仕様が異なっていていました。

2011年には「ネヴァーマインド」のリリース20年を記念して、カートコバーンモデルのジャガーが発売されています。

Mustang ’69/FENDER

ムスタングを演奏するカートコバーン

ジャガーに並んでカートコバーンが愛用していたギターです。何本か所有していたムスタングの中でも一番のお気に入りが69年製でした。このムスタングはシングル「スメルズ・ライク・ティーンスピリット」のミュージック・ビデオでも使用されています。

以前はカートコバーンが使用していたフェンダー・ジャパンのムスタングを再現したモデルが発売されていましたが、現在では販売が終了しています。

D-18E ’59/MARTIN

マーティン「D-18E」を演奏するカートコバーン

1959年製のマーティン「D-18E」は、カートコバーンがアメリカの音楽番組「MTVアンプラグド」に出演した際に演奏したアコースティックギターです。

このライブが収録されたアルバムが1994年に発売され、ローリング・ストーン誌が選んだ「オールタイム・ベスト・ライヴ・アルバム50」で10位に選ばれました。

2020年の6月に行われたオークションにカート・コバーンが演奏した「D-18E」が出品され、約6億4200万円で落札されました。この価格はこれまで販売されたギターとしては最高額だといいます。

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