1900年 -33歳「帰国」
和歌山市・円珠院に暮らし始める
仕送りを止められてからも熊楠は2年ほどイギリスに滞在していたのですが、1900年10月、14年ぶりに帰国します。大阪に少し暮らした後、故郷・和歌山市の円珠院に住み始めました。翌年には孫文が訪れ、再会を喜び合っています。
田辺に引っ越す
1902年に和歌山県田辺市を訪れた熊楠は、ここに生涯暮らし続けることを決めています。転居したのはその2年後のことです。熊野信仰のお膝元である田辺市は、神社に保全されている自然も豊かだったことから熊楠はこの土地に惹かれたのでしょう。
1906年 -40歳「結婚」
12歳年下の松枝と結婚
1906年、南方熊楠は40歳のときに結婚しました。妻の松枝は12歳年下の28歳です。1907年には長男が、1911年には長女が生まれました。
神社合祀反対運動を起こす
1906年ごろから政府の神社合祀政策が始まり、南方熊楠は反対運動を始めました。民俗学者・柳田国男と手紙を交換し始めたのもこの頃です。熊楠が神社合祀反対運動に際して柳田に送った手紙は『南方二書』として出版されました。
その甲斐あって、1912年に田辺湾にある神島は保安林に指定されています。1913年にはそれまで手紙だけの付き合いだった柳田と面会しました。このとき熊楠は8歳年下の柳田にとても緊張し、ほぐすためにお酒を飲みすぎて酩酊状態で対面したそうです。
1916年 -49歳「新属粘菌を発見」
自宅の柿の木に粘菌を発見
1916年に、熊楠は弟・常楠の名義で田辺に家を買いました。その家にあった柿の木で発見されたのが後に「ミナカテラ・ロンギフィラ」と名付けられる新属粘菌です。命名したのはロンドン自然史博物館の粘菌学者で、「長い糸の南方の粘菌」という意味があります。
研究所設立のための資金を集める
1921年から熊楠の名を冠した研究所を設立しようという動きが始まりました。発起人として原敬など総勢28名の名前が当時の新聞に掲載されています。1922年には、資金を集めるために熊楠自ら上京しています。
11月に研究所設立のための資金は集まったのですが、常楠からもらい続けていた仕送りを止められてしまいました。常楠は、定職につかずに研究ばかりしている熊楠を心よく思っていなかったのです。2人はこのとき絶縁し、顔を合わせることはありませんでした。
1929年 -62歳「昭和天皇に御進講」
紀南行幸をしていた昭和天皇に御進講
1929年6月、南方熊楠は和歌山に行幸していた昭和天皇に田辺湾・神島沖に停めた戦艦長門の船上で御進講をしています。このとき粘菌の標本の110種類献上したのですが、従来献上品は最高級の桐の箱などに収められるところを熊楠はダンボール製のキャラメル箱に入れて献上しました。標本を取り出しやすいように、という配慮のもとだったと考えられています。
昭和天皇は皇太子時代から生物学に関心が強く、この御進講も25分間のところを天皇の希望で5分延長されています。熊楠が献上した標本は現在筑波実験植物園に保管されています。昭和天皇は1962年にも和歌山を訪れていて、白浜で神島を見て熊楠に思いを馳せ、「雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」という歌を残しました。
1941年 -74歳「自宅にて死去」
萎縮腎で死去
1941年12月29日、南方熊楠は74歳のときに自宅で亡くなりました。死因は萎縮腎という腎臓の病気です。亡くなるとき、医者を呼ぶかと聞かれた熊楠は「医者は呼ぶな。天井に見える紫の花が消えてしまうから」と断ったといいます。
南方熊楠の関連作品
おすすめ書籍・本・漫画
南方熊楠 (小学館版学習まんが人物館)
「小学館版学習まんが」シリーズの1冊です。小中学校の図書室などによく置かれているシリーズですが、この漫画で南方熊楠のことを知ったという人も多いのではないでしょうか?今でも多くの子ども達に衝撃を与え続けている本です。
南方マンダラ
「南方熊楠コレクション」の第一弾のこの書籍は、熊楠の中心思想である「南方マンダラ」を解き明かすものです。編集した中沢新一は宗教史学者で、熊楠についての研究も多数あります。熊楠が土宜法龍にだけ伝えた思想を、詳細に解説している本です。
怪人熊楠、妖怪を語る
熊楠は民俗学の一分野として、「妖怪学」も研究しました。この書籍は、熊楠の人物像と彼が見出した「妖怪」「怪奇現象」について紹介している本です。熊楠の研究した分野は幅広いので、まずは誰もが興味を持ちやすい妖怪から取り掛かってみるのはいかがでしょうか。
猫楠 南方熊楠の生涯
『ゲゲゲの鬼太郎』でおなじみ、水木しげるが熊楠の生涯を描いた漫画です。人間の言葉を理解する熊楠の飼い猫・猫楠を語り部に、水木しげるならではの幻想的なシーンも取り入れながら熊楠の伝記を描き出しています。
おすすめの動画
学ぶ「孫文と南方熊楠(前編)」jiotv
ジーオインターネット放送局が制作した、孫文と南方熊楠の友情に関する動画です。どのような状況で2人が出会ったか、どういう関係であったかなどを分かりやすい言葉で解説してくれます。記念館や顕彰館に保管されている熊楠のノートなどの史料も豊富に見られるので、短い動画ですしできたら後編まで見てみるのがおすすめです。
顕微鏡の彼方に “Tanabe, Kii, Japan”
南方熊楠顕彰館が制作した、熊楠の田辺での自然保護活動や世界各国の学者との交流についての動画です。淡々とした動画ですが、自然保護活動家としての熊楠の一端を知ることができます。
おすすめの映画
熊楠 ―KUMAGUSU-
1991年に撮影が始まったのですが、資金が足りなくなってしまって未完に終わってしまった熊楠の伝記的映画です。今でも映画祭などでたまに見ることができます。30分に満たない短い映像ですが、町田町蔵(町田康)演じる熊楠を見ていると「熊楠はこんな人だっただろうなぁ…」と感じられます。
熊野の森の圧倒的な緑の中をヒラヒラと駆ける町田町蔵の熊楠っぷりが見事すぎて、それだけで泣きそうになる。キツい関西弁でまくし立てるのは町蔵のキャラそのものなんだけど、と同時に熊楠そのものでもあるという。
Filmarks映画
関連外部リンク
南方熊楠についてのまとめ
南方熊楠について、その人物像や生涯、功績をご紹介してきました。いかがでしたでしょうか?
この記事を書くにあたって筆者は改めて熊楠について調べたのですが、細かなエピソードを知れば知るほど身近に感じ、また惹かれていきました。大きな功績をなした偉い学者さんというよりも、実は凄いらしい近所の変わったおじさんのような雰囲気を感じます。
この記事を読んだみなさんに、南方熊楠に親しみをもってもらえたらとても嬉しいです。
haroo