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聖徳太子とはどんな人?謎多き生涯を功績や死因を交えて解説

聖徳太子の名言

和をもって貴しとなす

聖徳太子が制定されたとされる、十七条憲法の第一条に記された有名な言葉です。

「協調を重んじることが大事である」という意味で使われることが多いですが、わだかまりなくみんなの意見を聞きながら物事を話し合うことは尊いことだ、という意味も含まれています。

我必ず聖に非ず。彼必ず愚に非ず。共に是れ凡夫ならくのみ。

十七条憲法の第十条の中の言葉です。意見が対立した時に持つべき、対話の心構えが書かれています。

凡夫とは仏教の言葉で、執着心にとらわれた人のことを指し、自分が正しい訳でも、相手が間違っている訳でもなく、お互いが執着心を持つ人間であるからこそ、許し合って生きていく大切さを書いています。

夫れ事独り断むべからず

第十七条の中の言葉で、なんでも一人の独断で決めてはいけない、大事な事は一人で決めると誤ることもあるから、みんなで話し合えば良い結論に繋がる、ということが書かれています。

十七条の憲法では、一貫して調和や議論について書かれているのが分かります。

聖徳太子の人物相関図

聖徳太子の関係図

聖徳太子にまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「10人の意見を一度に聞き分けられた?」

知性に溢れ聡明さを持ち合わせていた聖徳太子

聖徳太子が、一度に10人の意見を聞き分けることが出来た、というのはとても有名なエピソードです。

人々の願いを聞く機会に、我先にと10人もの人が一斉に話し出したところ、聖徳太子はその一語一句を正確に聞き取り、的確な答えを返したと言われています。このエピソードから、「豊聡耳」と呼ばれるようになった、という説もあるようです。仏教を厚く信仰していた聖徳太子は、様々な功績から後世の人々に信仰されるようになっていきます。聖徳太子を神格化されていく中で、聡明さを際立てたこのエピソードが、伝説として広まっていったのではないでしょうか。

都市伝説・武勇伝2「未来を予言できた聖徳太子」

日本書紀写本

日本書紀の記述に、「兼知未然」と聖徳太子に関する記述があります。「まだ起きていないことを、すでに知っていた」という意味の記述です。都の遷都や、自分の死についてまで、予言していたと言われています。

また、聖徳太子は「未来記」という未来に何が起きるのか予想した書物を残していたと言われていますが、この未来記は現存せず後世の書物の中に紹介さているに過ぎません。

かつての人々の中で残された聖徳太子の記述から様々な考察がなされていますが、真実は今も謎に包まれています。

都市伝説・武勇伝3「聖徳太子は架空の人物?」

歴史の教科書からは聖徳太子の記述が徐々に消えている

上記でも触れましたが、聖徳太子は存在しなかったのではないか?という説があります。最近では、教科書から聖徳太子の記述が消えた、とも言われています。

実際には、聖徳太子の功績についての記述が全てなくなったわけではありません。存在が不確かな聖徳太子という名前が、厩戸皇子(厩戸王)として記載されています。

また、教科書によっては十七条憲法なども聖徳太子が制定したと断言せず、制定者の1人として書かれているものもあるようです。

聖徳太子の年表

587年 – 14歳「父の死と氏族の対立」

現在の大阪府太子町にある用明天皇陵

幼いころに父の用明天皇を亡くす

聖徳太子の父である用明天皇が、587年に亡くなります。在位はわずか2年ほどで、死因は天然痘であったと言われています。

用明天皇は崇仏派の天皇で、それまで容認されていなかった仏教を、朝廷において公認した人物です。この用明天皇の死は、蘇我氏と物部氏の対立を浮き彫りにしました。

蘇我氏と物部氏は仏教の容認を巡り対立しており、その後の継承問題も絡み大きな争いへと発展していくのです。

丁未の乱が勃発し14歳で蘇我氏の勝利に貢献

用明天皇が亡くなったわずか数ヶ月、蘇我氏と物部氏の対立は丁未の乱へと発展します。この争いでは、聖徳太子も蘇我氏側につき戦いました。わずか、14歳での出来事です。

当時は、蘇我氏側につくものが多く有利な情勢でしたが、物部氏は長く軍事を担当していたため蘇我氏も苦戦を強いられます。前線で戦っていた物部守屋が討たれ、この戦は蘇我氏の勝利となりました。

その後、蘇我氏が擁立していた崇峻天皇が即位することになります。

593年 – 20歳「政務への参加」

推古天皇は聖徳太子の聡明さを見込み摂政に選出する

崇峻天皇の暗殺と推古天皇の即位

崇峻天皇は即位後、政治の実権を蘇我馬子が握っていることに不満を持っていました。それを知った馬子は、危機感から部下に暗殺を命じ、592年に崇峻天皇は暗殺されます。

後続の天皇として推古天皇が即位しますが、初の女帝であり、馬子の姪にあたる人物でありました。

推古天皇の摂政として政務へ参加

592年、推古天皇が即位し、20歳になる聖徳太子を政治に参加させます。この政治への参加については、聖徳太子を摂政とする説もありますが、現在では蘇我馬子とともに政治の協力者であったと言われています。

「日本書紀」によると聖徳太子が摂政になったとあります。ですが、近年の架空人物説や、厩戸皇子は推古朝で政治の中心的人物はなかったという所から、協力者という形に変わってきているようです。

604年 – 31歳「歴史的制度の制定」

冠位十二階の制定

聖徳太子が制定に関わったとされる冠位十二階は、600年に派遣された遣隋使の失敗から制定されたと言われています。聖徳太子だけでなく蘇我馬子などが関わり、高句麗や百済などの制度を参考に作られました。

それまでの氏姓制度から、有能な人材を採用することで天皇中心の国づくりに移行し、国際的にも通用する官位制度が完成したことになります。

十七条憲法の制定

冠位十二階と同じく、遣隋使派遣の失敗をきっかけに制定されました。対等な外交関係を結ぶためには、国を統制する法が必要であると、当時の人々は考えたと言われています。603年に冠位十二階、そこで採用された役人たちに向けて、604年に十七条憲法の制定と、聖徳太子も憲法の制定に大きく関わりました。

この憲法の制定後、派遣された遣隋使の中に小野妹子がいます。小野妹子らが派遣された607年の遣隋使は、隋との対等外交に大きな功績を残しています。

聖徳太子の死因とは?定説以外の陰謀説や嫉妬説も徹底解説

聖徳太子の関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

聖徳太子 本当は何がすごいのか

聖徳太子は存在しなかったという説に対して、様々な角度から「実在」を示す内容が書かれています。

歴史的な資料だけでなく、建築や仏像などからも聖徳太子が実在したという検証がなされているので、幅広い観点から聖徳太子の行った政治や、考え方について知ることが出来る1冊になっています。

聖徳太子

飛鳥時代という時代の中で、どのような聖徳太子が活躍をしたのか、時代背景と合わせながら知ることが出来ます。聖徳太子に関しての神話についても、なぜそう言われるようになったのか背景が書かれています。 また190ページと気軽に読みやすく、文章も分かりやすい記述になっているので、まず1冊目をお探しの方にぴったりです。

聖徳太子 1

聖徳太子はどのように日本を築いていこうとしたのか、国内だけでなく東アジア史も含め書かれています。

こちらは4部作となっており、1巻は導入部分になりますが、聖徳太子が近隣諸国からどのような影響を受け日本に反映させたのか、とても興味深い内容になっています。

聖徳太子に関するおすすめ書籍をこちらの記事でさらに詳しくまとめています!

【2022年6月】聖徳太子をよく知れるおすすめ本ランキングTOP12

おすすめの動画

推古天皇と聖徳太子

推古天皇目線で、ともに政治を行った聖徳太子についてアニメでまとめられている動画です。途中途中に詳細な説明が入り、時代背景を理解しながら見進めることが出来ます。推古天皇目線で話が進むので、客観的な目線で聖徳太子を知りたいという方にもおすすめです。

わかる歴史【飛鳥時代】聖徳太子

学校の授業のように黒板に書き進められるような動画と、分かりやすい言葉に言い換えられた解説内容がスッと頭に入ってくる動画です。 聖徳太子の相関図に沿って、各人物の説明や、各事項に誰がどのように関わってくるのかがとても詳しく説明されています。人物の整理がなかなかできない、という方はぜひ見て頂きたい動画です。

おすすめドラマ

聖徳太子

様々な伝説のある聖徳太子ですが、このドラマの中では理想と現実の中で苦悩しながらも戦っていく姿が描かれています。氏族同士の争い、国同士の争いに対して、平和を願う聖徳太子の姿が印象的です。

時代の流れとともに衣装なども変化しているなど、飛鳥時代の生活や習慣、宗教、文化の変化も見て取れるのも見どころです。主人公の聖徳太子は、本木雅弘さんが演じています。

関連外部リンク

聖徳太子についてのまとめ

この記事は、古代日本を生きた聖徳太子についてまとめてみました。

私は法隆寺など歴史的建造物から聖徳太子に興味を持ちましたが、今から約1400年も前の飛鳥時代については様々な見解があり、自分自身が想像していたよりも聖徳太子の存在は謎に包まれていました。謎多き人物ではあるものの、今の日本にも通じる思想や政治の基盤を作った人物であることは間違いないでしょう。

この記事をきっかけに、聖徳太子について興味を持っていただけたら幸いです。

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