このような疑問をお持ちの方にぜひお読みいただきたいのが今回の記事です。与謝蕪村の大ファンである筆者が、江戸時代の画家にして俳人・与謝蕪村の俳句たちをご紹介します。
ご紹介する俳句は、春夏秋冬の季節ごとに6句を厳選しました。また、それぞれ季語(季節)とかんたんな鑑賞をそえています。
※蕪村の時代では「俳諧」「発句」と呼ばれていましたが、便宜上本記事では「俳句」と表記します。
なお、与謝蕪村ってどんな人だったの?という疑問をお持ちの方は、ぜひこちらの記事(与謝蕪村の生涯・年表まとめ【名言や俳句、作品など歴史】)をお読みいただければと思います。
それでは、さっそく「春」「夏」「秋」「冬」の順でご紹介してまいります。
この記事を書いた人
蕪村×春の俳句
白梅や墨芳しき鴻鸕館
季語
白梅(初春)
鑑賞
「白梅や」はそのまま「白梅だなぁ」という感動をあらわします。さらに「墨芳しき鴻鸕館」とつづきます。
鴻臚館は、来日した外国人のための外交施設です。「墨芳しき」というのは応接での筆談か、歓待の詩歌でしょうか。とにかく墨で字を書く場面、または書かれた文字が連想されます。
白梅の白と紙の白、そこに瑞々しい墨筆による文字が踊っています。
公達に狐化たり宵の春
季語
宵の春(三春)
鑑賞
季語「春の宵」は、暮れて間もない春の夜をさしています。日がのびてゆく春ですから、どこか浮足立つような感覚があります。
有名な蘇東坡の詩に「春宵一刻値千金」とあるように、この時間には魅力があったのでしょう。その浮かれ心を読んでか、狐が公達にばけているよ、という句です。
あなたも、春の宵には化かされないようご用心くださいね。
指南車を故地に引去ル霞哉
季語
霞(三春)
鑑賞
「指南」という語は、この「指南車」が語源とされています。指南車とは古代中国の黄帝が異民族を討つために用意した文字通り「南を指す車」です。
台車の上の仙人の人形が指さす方角が南です。その指南車をも故地(異民族の領地)に引き去るほどの霞だ、というわけです。
霧の中の緊迫した戦いのシーンは、非常にリアルです。
帰る雁田ごとの月の曇る夜に
季語
帰る雁(仲春)
鑑賞
たんに「雁」だと秋の季語ですが、「帰る雁」「雁帰る」だと春の季語に入ります。雁が帰ってゆく姿は、春ながら寂しい情景のひとつです。
さらに「田ごとの月の曇る夜に」とつづきます。「田ごと」は信州・姥捨山の棚田に映る月をさすとされています。
本当に棚田の田ごとに月が映るのかどうかはともかく、その空を往く雁たちの姿が印象的な俳句です。
かくれ住て花に真田が謡かな
季語
花(晩春)
鑑賞
「かくれ住て」「真田が謡」からもわかるとおり、この俳句は関ケ原の合戦後、紀州・九度山に幽閉された真田昌幸・幸村親子のことをモチーフとしています。
NHKの大河ドラマ「真田丸」を記憶されている方も多いのではないでしょうか。徳川の見張りの目も、花見には緩かったのかもしれません。
蕪村は、その後のこの父子の運命をはかない桜に例えたのではないか……とも感じられます。
菜の花や鯨もよらず海暮れぬ
季語
菜の花(晩春)
解説
蕪村と菜の花、とくれば「菜の花や月は東に日は西に」一択という空気を感じつつ、敢えてこちらの句を選びました。海の見渡せる場所に広がる菜の花畑です。
鯨もよらず、というのでこの海には時々現れるのでしょう。鯨をみようと待っていた蕪村ですが、とうとう鯨は姿を見せてはくれませんでした。そしてついには海も暮れてしまいました。
蕪村は落胆したかもしれませんが、菜の花はかわらず風に揺れていたのでした。
もう少し、簡潔にまとめてほしい。
狐火の俳句の考察が面白かったです。参考になりました、ありがとうございます。