蕪村×冬の俳句
狐火や髑髏に雨のたまる夜に
季語
狐火(三冬)
鑑賞
「狐火」とは、冬の夜に山野や墓地でみられる怪しい火を指しています。たて続けに「髑髏」が登場し、おどろおどろしいことこの上ありません。しかも雨がたまっている髑髏です。
とにかく尋常な光景ではありません。冬の夜、しかも雨が降っている中ですから、視界はよいわけがありません。なぜこんなにも恐怖を詰め込んだ句を詠んだのでしょうか。
あるいは、蕪村幼少期の記憶と繋がっているのではないか……と勘ぐりたくなるような俳句です。
古池に草履沈ミてみぞれ哉
季語
みぞれ(三冬)
鑑賞
「古池」の句ということで、芭蕉「古池や蛙飛こむ水のをと」と対比される句です。「古池や」と切った芭蕉に対し、蕪村は「哉」を用いて一気に詠みあげる句法を選びました。
みぞれの降る中、池に沈んでいる草履がふと目にとまります。古池ですから、水底までは濁って見えないでしょう。草履は、池の縁のあたりに半没していたのかと思われます。
その草履を沈めるかのようにみぞれは降るのです。微かに、その音まで聞こえてくるような句です。
繋ぎ馬雪一双の鐙かな
季語
雪(晩冬)
鑑賞
雪の日、戸外に繋がれた馬を目にした蕪村です。印象的なのは「雪一双」です。一双とはなんでしょうか。その後に登場する「鎧」です。
鐙なのですから「一双」でなければおかしいですね。もちろん単に「鐙」だけでもよかったわけです。しかし、あえて「一双」と書いたことにより、鐙がひときわクローズアップされました。
馬は従順な性格なのでしょう、その瞼やまつ毛、はく息の白さまでもが浮かんでくるようです。
化さうな傘かす寺の時雨かな
季語
時雨(初冬)
鑑賞
これもまた、おどろおどろしい俳句ですが「狐火」の句よりは滑稽な雰囲気になっています。
寺を訪れた日の帰り際、運悪く時雨に見舞われ、寺の人が「お困りでしょう」と傘をかしてくれた……というシーンです。ただ、その傘が非常に年代物で、ところどころ穴の開いた唐笠でした。落語のような滑稽味が効いていますね。
街灯もないこの時代、雨の夜道はまっ暗闇だったことでしょう。傘を手に「化けないでくれよ」とつぶやき歩く姿が浮かんできます。
真がねはむ鼠の牙の音寒し
季語
寒し(三冬)
鑑賞
この句をみても、蕪村は動物と距離を置いている感じがあります。このあたり、絵師としての習性なのか、蕪村個人の性格なのか難しいところです。
「真がね」とは鉄のことです。その鉄をかじる鼠ですから、冬場の餌が少ない季節で腹を空かせているのかもしれません。
鉄ですから、どれだけかじろうが、ねぶろうが腹がふくれることはないのですが、その音だけが寒々と響いている様子です。
逢ぬ恋おもひ切ル夜やふくと汁
季語
ふくと汁(三冬)
鑑賞
締めくくりは、ちょっと珍しい恋の句です。しかも悲恋であることが「逢わぬ恋」「おもひ切ル」ににじんでいます。妻子ある身で若い恋人もいた蕪村の諧謔があふれる一句です。
「ふくと汁」は、漢字で書くと「河豚汁」です。寒い季節に熱々のふくと汁。それをもって恋を諦めるといっているわけですから、蕪村の好物だったのでしょう。じっさい蕪村には、ふくと汁を詠んだ句がたくさんあります。
立ちのぼるゆげや香りまでも漂ってくるような、剽軽な一句です。
与謝蕪村の俳句に関するまとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は、与謝蕪村の俳句の中から、特徴的な句を季節ごとに6句ずつ選んでご紹介しました。
蕪村の俳句は「写実性・抒情性に富む」と評価されています。芭蕉の死後、廃れてしまった蕉風俳句の復興をめざす蕪村は、あらたに俳句の境地(=天明調)を切り拓きました。
私は、もう一歩踏込んで、蕪村の俳句を「江戸のVR(=バーチャル・リアリティー)」と呼んでいます。技術も機材もない江戸時代。蕪村の俳句は、現代のVRに勝るとも劣らないほどの「実感の高度な再現性」を備え、人々を魅了したに違いありません。
そういった目線で、今回の24句をいまいちど読んでいただけたらと思います。そして、与謝蕪村の俳句の世界に親しんでいただけたら幸いです。最後までお読みいただき、ありがとうございました!
もう少し、簡潔にまとめてほしい。
狐火の俳句の考察が面白かったです。参考になりました、ありがとうございます。