蕪村×秋の俳句
四五人に月落ちかゝるおどり哉
季語
月(三秋)
鑑賞
四五人が踊っているのは、村の秋祭りでしょうか。そこへ月が落ちかかっている、という情景を詠んでいます。
ありえない「落ちかかる」という表現によって、その月の存在感がひときわ浮き上がって見えてきます。踊っているのが四五人だというのも、具体的な情景イメージの助けとなっています。
なお、「祭り」はそれ単体で夏の季語に属し、秋の祭りは別途「秋祭り」といいます。前者が主として疫病払いを目的とするのに対し、後者は収穫を祝う目的があります。
朝がほや一輪深き淵のいろ
季語
朝がほ(初秋)
鑑賞
朝顔は、子どもたちが夏休みに栽培することが多いですよね。そのため夏のイメージがありますが、本来は秋の訪れをつげる花です。
たくさんの花が朝にひらき、昼にはしぼんでしまいます。その花の中に一輪、深い色に染まった花がある、ということを詠んでいます。簡単に詠めそうな俳句ですが、実際には相当注意深く朝顔の花の「色くらべ」をしないと詠めない句です。
蕪村は、絵師としての習性から、ものの色彩に関心が高かったのでしょう。
鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分哉
季語
野分(仲秋)
鑑賞
野分は秋に吹くつよい風、とくに台風によって巻き起こる烈風をさします。厚く垂れこめた雨雲がしだいに広がり、風も次第に強まってゆくようなイメージです。
そのはげしい風をついて五六騎の早馬が駆けてゆきます。目的地である「鳥羽殿」とは、白河・鳥羽両上皇の院政時代を中心に栄えた離宮です。いったいどんな火急の用なのでしょうか。
馬の蹄の音、着物のばさばさと風にはためく音までも耳に聞こえてくるかのようです。
落穂拾ひ日あたる方へあゆみ行
季語
落穂(晩秋)
鑑賞
「落穂拾い」といえば、おおくの人が、フランスの画家ミレーの「落穂拾い」を連想されるのではないでしょうか。
蕪村(1716年-1784年)とミレー(1814年-1875年)とでは生きた時代が異なることや、ミレーが落穂拾いを完成させたのが1857年とされていることからも、両者の接点は伺えません。
この句をみても、ミレーの絵画と匹敵するほどに蕪村の俳句が写生的であることがわかります。むしろ「日あたる方」への動きがある分だけ蕪村に軍配が上がりそうです。
猿どのゝ夜寒訪ゆく兎かな
季語
夜寒(晩秋)
鑑賞
動物を詠んだ俳句といえば、小林一茶(1763年-1828年)が有名ですね。一茶の場合は、自己投影といっていいほどに動物たちに寄り添っています。
対して、蕪村の場合は、距離をおいて動物たちを眺め、活写しているように感じられます。「猿どの」というところから、猿と兎は旧知の仲なのでしょう。
秋も暮れようかという寒い夜に、兎はなぜ猿のもとを訪れたのでしょう。答えは、読むものの心に委ねられているかのようです。生き生きとした動物たちの姿を描いた「鳥獣戯画」のような俳句です。
獺の月になく音や崩れ簗
季語
崩れ簗(晩秋)
鑑賞
簗は鮎をとるための仕掛けで、ぱっと見は竹で組んだ滑り台のような外観をしています。上流に向けて設置し飛び込んできた鮎を捕まえるのです。
その簗も風雨にさらされるとそれほど長くはもちません。この句では、月夜に啼く獺(かわうそ)の声が響きわたる情景が描かれます。
月下の崩れた簗と相まって、去り行く秋のもの寂しさがつよく感じられる句になっています。
もう少し、簡潔にまとめてほしい。
狐火の俳句の考察が面白かったです。参考になりました、ありがとうございます。