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クレオパトラとはどんな人?生涯・年表まとめ【性格から逸話、功績や死因も紹介】

クレオパトラは、古代エジプト王国の最後の女王です。「絶世の美女」とうたわれるほどの美貌と9か国語を操る知性の高さを兼ね備えた女王クレオパトラ。自らの命と共にエジプト王国の歴史を終わらせたことから「悲劇の女王」とも呼ばれていますね。

古代エジプト王国最後の女王

そんなクレオパトラですが、外見に着目される一方で実際にどんな人だったのかを詳しく知らない人は多くいますよね。

そこでこの記事では、クレオパトラの生涯を性格や功績、名言も交えて紹介します。クレオパトラの妖艶さに魅了され、彼女にまつわる伝記や研究書籍を読み尽くした著者とともにクレオパトラの生涯に迫っていきましょう。

クレオパトラとは?生涯をダイジェスト

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名前クレオパトラ7世フィロパトル
誕生日紀元前69年
没日紀元前30年8月12日
生地エジプト、アレクサンドリア
没地エジプト、アレクサンドリア
配偶者プトレマイオス13世、プトレマイオス14世
埋葬場所タップ・オシリス・マグナ神殿

エジプト王プトレマイオス12世の娘として生まれたクレオパトラは、不安定な情勢下にあった王都アレクサンドリアで育ちました。しかし、18歳の頃に父が死去。クレオパトラは父の遺言に従って、8歳下の弟であるプトレマイオス13世と共同統治を開始します。

その後、近隣の大国であるローマに接近する政策をとり、ローマからの独立を志す幼きプトレマイオス13世の側近らと対立しました。そして、彼女はクーデターを起こされて辺境へ追放されてしまいます。

クレオパトラの愛人となったユリウス・カエサル

そこへ現れ、両派閥の仲介役を果たしたのがユリウス・カエサルでした。実は、この時にクレオパトラはカエサルを魅了して愛人関係を築いていました。そして、それを知ったプトレマイオス13世は激怒してカエサルを攻撃しましたが、返り討ちに遭います。その結果、エジプトにはカエサルの傀儡政権が誕生したのです。

その後、カエサルが暗殺されると、ローマではアントニウスとオクタウィアヌスの権力争いが勃発します。クレオパトラはアントニウスを魅了して愛人関係となり、オクタウィアヌスと対立。

その結果、クレオパトラはアクティウムの海戦で敗北し、ローマの捕虜となってしまいました。そして、オクタウィアヌスに屈服することを拒んだ彼女は自らの命を絶ったのです。

クレオパトラの幼少期から愛人関係、死因や子孫

クレオパトラは最高峰の教育を受けていた

クレオパトラは高度な教育を受けていた

18歳でプトレマイオス朝の女王となったクレオパトラは、当時のエジプトにおける最高峰の教育を受けていました。そして、彼女は幼い頃より身に付けた知性を武器として大国を支配し、カエサルなどの有名な政治家を次々と虜にしていったのです。

クレオパトラが王位を継いだ頃、エジプトの学校教育が第一に力を入れていた分野は文学の授業でした。そして、彼女も当時の生徒の1人として勉強し、ホメロスの詩やヘロドトス、トゥキュディデスの歴史書などを活用し、多くの教養を身に付けていたのです。

また、クレオパトラは肉体的な鍛錬も怠らず、優れた馬術を身に付けて乗馬の名手にもなりました。その他にも、科学や数学、弁論術など様々な分野において素晴らしい教育を受けていたのです。

クレオパトラのメイク・髪型は現代にも影響を与えている

クレオパトラの特徴的なメイクや髪型は今でも人気

クレオパトラのメイクや髪型は、現代にも強い影響を残しています。絶世の美女とされる彼女のスタイルは、絵画や映画などで描かれるようなエキゾチックなイメージが魅力であり、今も人気があります。

クレオパトラ風のメイクは、暗めのベースメイクとはっきりとした目元を表現するための濃い色を使ったアイラインによって再現することができます。また、青色のアイシャドウを使って目元を強調することも効果的です。

そして、クレオパトラ風の髪型における特徴は、綺麗に切り揃えられた前髪にあります。その他には、黒髪であることや、全体の長さはロングかボブにしている人が多いようです。

クレオパトラのカエサルとの出会い、関係とは

クレオパトラとカエサル

クレオパトラはかの有名なカエサルとも深い愛人関係にあったことでも知られています。その発端となったのは、弟であり夫でもあったプトレマイオス13世との対立にありました。

先王の遺言により姉弟による共同統治をおこなっていた2人ですが、クレオパトラの政策に危機を感じたプトレマイオス13世とその側近はクレオパトラを追放してしまいます。

エジプトの同盟国であったローマの権力者であったカエサルは、治安を正そうとエジプトを訪れます。国を追放されていたクレオパトラは、人目を盗んで王宮に戻るために絨毯にくるまって運び込まれるという奇策をとりますが、これがカエサルの気を惹いたことをきっかけに2人の仲は愛人関係に発展しました。

カエサルとクレオパトラの関係は?子供はいた?出会いから結末までを紹介

クレオパトラのアントニウスとの出会い、関係とは

クレオパトラとアントニウス

クレオパトラはカエサルが暗殺された後、カエサルの部下であったアントニウスと愛人関係になります。カエサルの暗殺前にプトレマイオス13世をナイル川の戦いで亡くしたクレオパトラは、この頃にはもうひとりの弟、プトレマイオス14世と夫婦になっていました。

カエサルの死後、アントニウスはカエサルの後継者・オクタウィアヌスと対立関係にありました。ローマの助力を求めるクレオパトラと、エジプトの財力や資源を望むアントニウスはお互いの利益のために会うことになりますが、アントニウスはあっという間にクレオパトラの虜になり、2人は仲睦まじい愛人関係になったといいます。

クレオパトラの死因は自殺

クレオパトラの死

クレオパトラはアクティウムの海戦で敗れ、オクタウィアヌスに監禁されてしまいます。カエサルやアントニウスと同様に誘惑しようとしましたが、オクタウィアヌスは応じませんでした。

このまま生きて恥をかくくらいならば、と誇り高きクレオパトラは牢の中で自害し、その生涯を終えたといいます。クレオパトラの死因は「胸を毒蛇に咬ませた」のが最も有名であり、多くの書籍や絵画に残されています。

ですが近年では、その場に蛇がいなかったと思われる描写がいくつかあることや、蛇毒で醜い死に方を選ぶのはクレオパトラらしくない、という理由で、服毒自殺だったのではないかとの説も浮上しているようです。

クレオパトラの死因は?自殺だった?文献からわかる衝撃の事実とは

クレオパトラに子孫はいるのか

クレオパトラとカエサルの息子であり、プトレマイオス朝最後のファラオとなったカエサリオン

クレオパトラには愛人であるカエサルとの間に1人、アントニウスとの間に3人の子供がいました。しかし、彼らの子孫が現在も生存しているという話は残っていません。

カエサルとの間に生まれたカエサリオンは、クレオパトラの死後にローマのオクタウィアヌスによって殺害されてしまいました。その理由は、カエサリオンがカエサルの後継者として、オクタウィアヌスの前に立ちはだかる可能性があったからであると言われています。

また、アントニウスとの間に生まれた3人の子供のうちの1人であるクレオパトラ・セレネは、北アフリカにあったマウレタニア王国のユバ2世と結婚し、プトレマイオスとドルシッラを出産しました。

しかし、マウレタニアの王位を継いだプトレマイオスは、ローマ皇帝カリグラによって殺害されてしまいます。その後、マウレタニアはローマの属州となり、ドルシッラの行方も分からなくなってしまったのです。

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