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【年表付】クレオパトラとはどんな人?死因や名言、カエサルとの関係まとめ

クレオパトラは、古代エジプト王国の最後の女王です。「絶世の美女」としても知られるほどの美しさで、数多くの男性を魅了していたとされ、男性を味方につけることで女王としての地位を得ました。「悪女」のイメージを持つ人も少なくないでしょう。

同時にとても賢かったことでも知られており、9ヶ国語を操ることができた才女であったとも伝えられています。最後は自らの死によってエジプト王国の歴史を終わらせた張本人でもあり、その壮絶な人生から「悲劇の女王」とも呼ばれるようになりました。

古代エジプト王国最後の女王

クレオパトラという名前はプトレマイオス朝エジプトの王族の女性につけられる名前で、一般的に知られているクレオパトラはクレオパトラ7世のことを指します。ドイツ語の「皇帝(Kaiser/カイザー)」の語源としても知られるガイウス・ユリウス・カエサルと愛人関係にあったことでも有名ですね。

カエサルに対しては自ら贈り物の絨毯にくるまって驚かせてみせたり、アントニウスに対しては大粒の真珠を目の前で溶かすことで財力を見せつけたりと、大胆なアイデアで男性を虜にしてきたと伝えられています。

「絶世の美女」の代名詞ともいえるクレオパトラですが、彼女の美しさの本質は外見ではなくその聡明さにあったと言われています。その最期も毒蛇による自殺とされていますが、未だに墓が見つかっていないため死因が定かではないなど、多くの謎を残しているミステリアスな魅力をもった女性でもあります。

今回は、そんなクレオパトラの妖艶さに魅了され、彼女にまつわる伝記や研究書籍を読み尽くした私がお伝えします。

クレオパトラとはどんな人か

名前クレオパトラ7世フィロパトル
誕生日紀元前69年
没日紀元前30年8月12日
生地エジプト、アレクサンドリア
没地エジプト、アレクサンドリア
配偶者プトレマイオス13世、プトレマイオス14世
埋葬場所タップ・オシリス・マグナ神殿

クレオパトラの生まれは?

「絶世の美女」はどのようにして生まれたのか

クレオパトラは紀元前69年頃、エジプトの首都アレクサンドリアに生まれました。父親はプトレマイオス12世、母親はクレオパトラ5世。クレオパトラ6世とベレニケ4世という2人の姉、アルシノエ4世という妹、プトレマイオス13世と14世の2人の弟、の6人兄弟だったようです。

実はクレオパトラは純粋なエジプト人ではなく、マケドニア系ギリシャ人であったとも言われています。プトレマイオス朝の王家の血筋自体が、首都アレクサンドリアの名前の由来となったマケドニア人アレクサンダー大王から続くものだからです。クレオパトラのビジュアルがエジプト人寄りだったりギリシャ人寄りだったりと多種多様なのは、そのためかもしれませんね。

クレオパトラのカエサルとの出会い、関係は?

クレオパトラとカエサル

クレオパトラはかの有名なカエサルとも深い愛人関係にあったことでも知られています。その発端となったのは、弟であり夫でもあったプトレマイオス13世との対立にありました。

先王の遺言により姉弟による共同統治をおこなっていた2人ですが、クレオパトラの政策に危機を感じたプトレマイオス13世とその側近はクレオパトラを追放してしまいます。

エジプトの同盟国であったローマの権力者であったカエサルは、治安を正そうとエジプトを訪れます。国を追放されていたクレオパトラは、人目を盗んで王宮に戻るために絨毯にくるまって運び込まれるという奇策をとりますが、これがカエサルの気を惹いたことをきっかけに2人の仲は愛人関係に発展しました。

クレオパトラのアントニウスとの出会い、関係は?

クレオパトラとアントニウス

クレオパトラはカエサルが暗殺された後、カエサルの部下であったアントニウスと愛人関係になります。カエサルの暗殺前にプトレマイオス13世をナイル川の戦いで亡くしたクレオパトラは、この頃にはもうひとりの弟、プトレマイオス14世と夫婦になっていました。

カエサルの死後、アントニウスはカエサルの後継者・オクタウィアヌスと対立関係にありました。ローマの助力を求めるクレオパトラと、エジプトの財力や資源を望むアントニウスはお互いの利益のために会うことになりますが、アントニウスはあっという間にクレオパトラの虜になり、2人は仲睦まじい愛人関係になったといいます。

クレオパトラの死因は?

クレオパトラの死

クレオパトラはアクティウムの海戦で敗れ、オクタウィアヌスに監禁されてしまいます。カエサルやアントニウスと同様に誘惑しようとしましたが、オクタウィアヌスは応じませんでした。

このまま生きて恥をかくくらいならば、と誇り高きクレオパトラは牢の中で自害し、その生涯を終えたといいます。クレオパトラの死因は「胸を毒蛇に咬ませた」のが最も有名であり、多くの書籍や絵画に残されています。

ですが近年では、その場に蛇がいなかったと思われる描写がいくつかあることや、蛇毒で醜い死に方を選ぶのはクレオパトラらしくない、という理由で、服毒自殺だったのではないかとの説も浮上しているようです。

クレオパトラの功績

すごさ1「大胆なアプローチで男性を魅了!」

クレオパトラの登場にカエサルはびっくり

クレオパトラの有名なエピソードとして、絨毯にくるまって貢物として入国し、カエサルを虜にした話があります。当時エジプトから追放されていた身としては大胆な作戦だったといえるでしょう。

ただくるまるだけではなく、きちんと王族の衣装を身にまとっていたといいますから、自分がカエサルにどのように見えるのかを計算しての行動だったようです。

アントニウスを味方につけるときの真珠を溶かしたエピソードも有名です。カエサルの死後、クレオパトラを尋問しようとしたアントニウスを、彼女は逆に豪華絢爛な宴会に招待し、その宴会ですらもはした金といえるくらいの富を自分は使ってみせる、と言い張ります。そしてその場で高価な大粒の真珠を酢に溶かして飲み干してみせ、アントニウスもその大胆さに惚れ込んでしまいました。

すごさ2.「世界史初?!強大な国を動かした女王」

妖艶な美女クレオパトラ

クレオパトラが女王の位についたプトレマイオス朝エジプト王国は、250年続く大国です。当時のエジプトは豊富な資源と財力を持った大国で、快楽至上主義であったことから人々の生活も潤っていたでしょう。そんな大国を良くも悪くも大きく動かした女性は、人類史上クレオパトラが初めてと言われています。

また、クレオパトラは人類史上、艦隊を率いた最初の女性とも言われています。アントニウスがすっかりクレオパトラに心を許したことで、アントニウスはローマから敵視され、クレオパトラ共々戦いを挑まれることになります。

このとき、アントニウスの率いる艦隊とともに、クレオパトラもエジプトの軍艦を率いて戦いました。後にアクティウムの海戦と呼ばれる戦いです。

アクティウムの海戦とは?原因や海戦場所、覚え方もわかりやすく解説

すごさ3.「 知的探究心旺盛!学者レベルの知識で人々を動かす」

死刑囚をつかって毒を試したというクレオパトラ

クレオパトラはもともと移民だったプトレマイオス朝において初めてエジプト語を習得したという話もあり、言語に長けていたことで有名です。

言語に加え、数学、哲学、弁論学、天文学にも通じ、その豊富な知識を活用して民の前に出るときも服装にこだわり、印象操作していたそうです。彼女の美貌より知性に魅了された人が多かったとされるのはこのためでしょう。

毒物に対する知的探究心も持ち合わせていました。どんな毒物だったら苦しまずに死ねるか、死刑囚をつかって実験していたというエピソードも有名です。このエピソードが、後に毒蛇をつかって自害するときに役立ったと考えられています。

クレオパトラの名言

悲しさは世界共通。笑いは文化によって異なる。

国を支配しているのは男。その男たちを支配しているのは私。

お金では幸せは買えない。だが、お金は、あなたが不幸である間、何不自由ない生活をさせてくれる。

クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、大地の全表面が変わっていただろう(フランスの哲学者・パスカルの言葉)

クレオパトラの人物相関図

クレオパトラにまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「美への飽くなき追求!貝を絶滅に追いやる」

ヒメサラレイシ貝(貝紫)と染め物

クレオパトラの美への探究心が、貝を絶滅に追いやった?!ヒメサラレイシ貝という貝から採れる染料で染められた色を「貝紫」色といいます。

貝の中でも貴重な部位から採れるため、ごくわずかの人しか手にできなかったことやその高貴な色合いから、「力が宿る」として一般人には禁じられるようになり、「王族の色」として古代より王侯貴族に愛されてきました。

当時カエサルもマントに使っていたことで有名ですが、クレオパトラは船の帆をこの貝紫色に染めていたと言われています。いつしか王族の色は「ロイヤルブルー」に変わっていきますが、その背景には暇サラレイシ貝が乱獲で減少したことが囁かれています。

帆のように面積の広いものにまで染料を使っていたクレオパトラが、貝を絶滅に追いやった張本人かもしれないと言われています。

都市伝説・武勇伝2「1回の化粧で20万円?!」

メイクへのこだわり

クレオパトラというと、黒髪に切れ長の目、ゴージャスなアクセサリーを身につけたエキゾチックなイメージがありませんか?特に印象が強いのはその目元です。眼力を強調するアイライン、妖艶さをプラスするブルー系のアイシャドウは、見るものを圧倒させます。

当時、目元の美しさが男性を魅了すると言われ、クレオパトラはエメラルドなどの宝石を砕いた粉末をアイシャドウにつかっていたといいます。他にも毎日のようにバラの香水風呂に使ったり、貴重だった乳香を美肌を保つのに使ったりと、美への追求に余念のなかったクレオパトラ。その化粧に金額は1回あたり400デナリ、日本円で約20万円にもなるといわれています。

クレオパトラの簡単年表

紀元前51年 - 18歳
クレオパトラ、弟と共同統治の形で即位
女王クレオパトラのはじまり

クレオパトラが18歳のとき、父王の遺言によって弟プトレマイオス13世との共同統治がはじまります。当時エジプトは、先代の父王が遊び好きで政治に疎かったあまり、危機にさらされていました。反乱に乗じてローマに亡命したりして王朝の弱体化を招いたために、クレオパトラが生まれたときにはすでに身内で骨肉の争いがおきていました。

クレオパトラが弟との共同統治をはじめたときも情勢は不安定なまま。これを回復しようとクレオパトラは幼い弟の代わりに実権を握り、ローマとの同盟を提案しました。しかし彼女の政策を恐れる弟の側近たちとの間に亀裂が入り、ついには王国を追われてしまいます。

紀元前48年 - 21歳
カエサルとの運命的な出会い、ファラオに返り咲く

当時プトレマイオス13世とその一派とクレオパトラとの間には亀裂が入り、クレオパトラはエジプトを追放されていました。カエサルは先王の遺言に従い、プトレマイオス13世とクレオパトラとを和解させる場をつくるため、エジプトを訪れます。

召集をかけられたものの、クレオパトラは追放されているためエジプトへの入国も危険な状態でした。そこで、カエサルへの貢物として絨毯にくるまって入国するという大胆な手法をとります。もちろん、カエサルの目にどう映るかも意識して、きちんと王族衣装を身にまとった状態でくるまれていました。飛び出してきたクレオパトラの美しさ、その賢さに、カエサルはたちまち魅了されたといいます。

紀元前30年 - 39歳
自ら死を選び、王国そのものの歴史とともに生を終える
クレオパトラの死

紀元前31年、クレオパトラとアントニウスの連合軍とオクタウィヌスの軍とが戦ったアクティウムの海戦は、オクタウィヌス側の大勝利となりました。敗戦したアントニウスとクレオパトラはそれぞれ監禁されることになり、アントニウスはクレオパトラが死んだという嘘の情報を受けて自害してしまいます。

クレオパトラは監禁されても、これまでと同じようにオクタウィアヌスを誘惑し、なんとか味方につけようとします。しかし、オクタウィアヌスは決して応じませんでした

。諦めたクレオパトラは、このまま生き続けて恥をかくくらいなら、と隠し持っていた毒蛇に胸を咬ませて、自害したといわれています。実質クレオパトラの独裁政治だったプトレマイオス朝エジプトの歴史も、同時に幕を閉じることになったのです。

クレオパトラの具体年表

紀元前69年 – 0歳「クレオパトラ7世・フィロバトル誕生」

絶世の美女クレオパトラ

2男4女の1人として生まれる

クレオパトラは、2男4女の1人として生まれました。姉にクレオパトラ6世、ベレニケ4世、妹にアルシノエ4世、そしてプトレマイオス13世と14世の2人の弟です。クレオパトラという名前はエジプトの王族の娘が受け継ぐ名前で、「父の栄光」という意味を持っています。

とはいうものの、クレオパトラ7世の父王であったプトレマイオス12世は、娘にとってとても誇れる王とは言い難かったようです。正当な後継者でなかったために基盤が弱かったということもありますが、政治よりも遊びにうつつを抜かすことも多く、数々の失策から市民の反乱を引き起こしました。

一度は王の座を退き、娘のベレニケ4世が統治することになりますが、ローマのポンペイウスらの支援を受けて復位します。以後死ぬまで国を治めるもののそれも芳しくなく、結局在位4年でこの世を去りました。クレオパトラが生まれたのは、身内でも骨肉の争いが行われていた時代だったのです。

3女だったクレオパトラ7世が選ばれた謎の多い背景

「絶世の美女」として名高いクレオパトラ7世ですが、父王の遺言で共同統治するようにと指名されたのが、なぜ3女である彼女だったのでしょうか。まず、1番近い姉のベレニケ4世は、プトレマイオス12性が復位したときは国を統治していましたが、彼が再びファラオとなるために暗殺されてしまいます。

母親のクレオパトラ5世と6世は同一視されることも多く、今もまだ謎に包まれています。クレオパトラ6世は生まれてまもなく変死したという話もあれば、クレオパトラ5世がクレオパトラ6世として、ベレニケ4世の統治の頃に共同統治したという話もあります。

いずれにせよプトレマイオス12世が亡くなる頃には、自身の妻であったクレオパトラ5世(6世)よりもクレオパトラ7世に託したのは必然だったのかもしれません。

紀元前47年 – 22歳「ナイル川の戦い」

ナイル川の戦い

ファラオとなるも、ローマで日々を過ごす

カエサルが間に入って和解を試みるも、クレオパトラが奇策でカエサルと深い仲になったことは、再びプトレマイオス13世の機嫌を損ねることになりました。プトレマイオス13世の一派はポンペイウスを殺害し、カエサルはこれに応える形でエジプトに上陸。ローマ軍が勝利し、クレオパトラの弟プトレマイオス13世はナイル川に身を投げて自害したとされています。

クレオパトラはカエサルの進言に従い、もう1人の弟プトレマイオス14世と婚姻関係を結びました。そうして再びファラオとして君臨しましたが、クレオパトラはエジプトからローマに移り住み、カエサルとの時間を楽しみます。

カエサルとの子、カエサリオン誕生

クレオパトラはこの年、カエサルとの間にカエサリオンという子供を産んでいます。カエサルには妻がいて、クレオパトラとはあくまでも愛人関係にありました。とはいえ、カエサルはナイル川をクレオパトラと共に遊覧したり、ローマにクレオパトラと息子の住居を用意して住まわせたりと、彼女に愛を注いでいたエピソードがいくつも残されています。

クレオパトラ自身もカエサルの寵愛を受けていたことを誇りに思っていたようで、この頃ローマで自分はカエサルの妻だと自慢して回っていたといいます。しかしながらカエサルとの子を産んだことやこうした態度、またエジプトの快楽至上主義な文化がローマ人には受け入れがたく、後の反感を買ったようです。

紀元前44年 – 25歳「カエサル暗殺」

「ブルータス、お前もか」

ローマからエジプトへ

事実上、エジプトをも支配下においたことで、カエサルの地位はローマ国内でも圧倒的なものになりました。カエサルの名が後に「皇帝」を意味する単語の由来となったことからも、その影響力の大きさがわかるでしょう。その力の大きさを危険視されたカエサルは、ついに暗殺されてしまいます。

カエサルが暗殺されたことで、クレオパトラの立場も危ういものになりました。先述したようにローマでのクレオパトラの評判は決して良いものではなかったこともあり、彼女は息子のカエサリオンを連れてエジプトに戻ります。

弟を暗殺、息子と婚姻関係に

当時エジプトはクレオパトラ7世と弟プトレマイオス14世が婚姻関係を結んでいました。しかし、クレオパトラはカエサルの愛人で、実際にエジプトの実権を握っていたので、プトレマイオス14世は名前だけの統治者だったのです。

カエサルが暗殺されると、彼の暗殺に加担し、かつ時期勢力としてクレオパトラが見込んでいたブルータスも殺されてしまいますが、プトレマイオス14世も後を追うように亡くなりました。そしてクレオパトラは自分とカエサルの息子カエサリオンをプトレマイオス15世として、婚姻関係を結びます。

プトレマイオス14世の死は、一説によると息子を王位につかせるためにクレオパトラが毒殺したとされています。彼女の妹でプトレマイオス13世派だったアルシノエ4世もカエサルによって幽閉されていましたが、この後アントニウスが実権を握る頃には暗殺されていることを考えると、クレオパトラがプトレマイオス14世を暗殺したとしても不思議ではありません。

紀元前31年 – 38歳「アクティウムの海戦」

アクティウムの海戦

オクタウィアヌスがクレオパトラに宣戦布告

ローマの三頭政治の立役者であったレピドゥスが失脚すると、アントニウスとオクタウィアヌスが背力を争い対立する形になりました。オクタウィアヌスに勝つためにエジプトの助力を得ようとしていたアントニウスはクレオパトラの虜になり、東方専制君主としてオクタウィアヌスに戦いを挑もうとします。

いくら対立していても、オクタウィアヌスにとってアントニウスは同じローマの親族でした。親族に対して戦を仕掛けるわけにはいかないと気を効かせたオクタウィアヌスは、アントニウスがクレオパトラを組んだことをきっかけにクレオパトラに対して宣戦布告。アクティウムの海戦がはじまりました。

クレオパトラが撤退し、アントニウスも後を追う

クレオパトラとアントニウスが率いる連合軍の方が兵士の数は多く、土地の利もありました。艦隊を率いた女性は、おそらく人類史上クレオパトラが初めてだったと言われています。しかしいくら博識な彼女でも、実践の経験は乏しかったのでしょう。あっという間にローマ軍に押されてしまいます。

戦況不利と見るや、クレオパトラは早々に戦線を離脱します。名目上全体の指揮官であったはずのアントニウスも、クレオパトラを追って前線を離れてしまいました。指揮官を失った連合軍はまたたく間に鎮圧され、オクタウィアヌス側の勝利となったのです。

敗戦したアントニウスは監禁されますが、クレオパトラが死んだという嘘の情報を受けて自害してしまいます。クレオパトラに心酔していたことがよくわかるエピソードですが、一方でクレオパトラの方はアントニウスにはとっくに愛想をつかしていたようです。次の策としてオクタウィアヌスを誘惑しようとしましたがそれに失敗すると、監禁された牢の中で自害しました。

クレオパトラの関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

『プルタルコス英雄伝 下』(プルタルコス著・村川 堅太郎他訳/ちくま学芸文庫)

「最後のギリシア人」とされている最高神官・プルタルコスが、故国ローマに生きた英雄たちの生き様を描いた伝記です。アントニオとオクタウィアヌスの章にクレオパトラのことが詳しく記載されています。

クレオパトラの死について書かれたものとしては最古のものとされており、今ある多くのクレオパトラのイメージを作り上げた原点といっても過言ではありません。

クレオパトラの謎 (講談社/吉村作治 著)

クレオパトラについて知りたいという方におすすめです。史実に基づいて、クレオパトラがどのような野望を抱き、ローマの英雄たちを誘惑していったのかを、臨場感たっぷりに描いています。「あの名言はこの背景の中で生まれたのかもしれない」と想像を巡らせることが楽しくなりますよ。

クレオパトラ(文庫クセジュ/クリスティアン・ジョルジュ・シュエンツェ 著/北野 徹 訳)

クレオパトラがどのような女性だったのか、その実像を読み解いていく一冊です。一般的に知られている伝記はもちろん、パピルス文書や古銭、碑文などの考古学資料にも基づいて解明していきます。名言の背景にあった彼女の暮らしや人間関係を、歴史的事実から知ることができるでしょう。

おすすめの動画

究極悪女クレオパトラ7世 エジプト最後の女王をゆっくり歴史解説!

クレオパトラの人生を解説した動画です。クレオパトラをかなりの悪女と表現しているので賛否両論あるかもしれませんが、プトレマイオス朝の成り立ちや親族結婚の由来なども掘り下げて説明されているので、クレオパトラ自身のことを歴史的背景と一緒に学べます。

【再編集】しくじり一族 クレオパトラ知られざる争いの歴史【ゆっくり解説】【前編】

わかりやすく情報が入ってきやすいと評判の動画です。極端なたとえ話を交えているので、見終わるとクレオパトラや他の登場人物たちが紀元前の人とは思えないような、身近な存在になったような気になります。後編も併せてじっくり楽しんでみるといいでしょう。

おすすめの映画

映画『クレオパトラ』(監督:ジョセフ・L マンキーウィッツ/1963年公開)

映画史上最高額ともいわれる製作費約290億円、製作に4年もの月日をかけたことで、映画史上に名を残すことになった作品。

ゴールデングローブ賞で4部門、アカデミー賞でも4部門受賞しており、臨場感あふれる映像は非常に良く作り込まれているとして、高い評価を得ています。時間は長いですが、見終えたあとには深い感慨を覚えること間違いなしです。

おすすめドラマ

レジェンド・オブ・エジプト(監督・フランク・ロッダム/1999年)

120分で観られる、アメリカのテレビ映画です。主演のレオノール・ヴァレラのエキゾチックな演技と素晴らしいセットで、臨場感あふれる作品になっています。ローマとの関係も細かく表現されており、クレオパトラが歴史を動かしていく姿がより引き立っています。

関連外部リンク

クレオパトラについてのまとめ

クレオパトラが絶世の美女、悲劇の女王と評される理由が、少しでも伝わったでしょうか。私も詳しく知る前までは、数々の男性を籠絡させる美貌を持っていた、ことくらいしか認識していませんでした。

こうして紐解いてみると、エジプト王国を存続させるためにあらゆる努力をしていたことがわかりました。そのために知性を磨き、美を追求した彼女の姿は、現代の女性やビジネスパーソンにとっても心の拠り所となるのではないでしょうか。

この記事を読んで、またクレオパトラの虜になる人が増えたら幸いです。最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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