インダス文明とは?なぜ滅亡した?川や場所の特徴、文明の謎を全て解説

インダス文明にまつわる4つの謎

インダス川

インダス文明は計画的な都市建設が行われ、高度な文明を持っていたとされる一方で、滅亡の原因もはっきりとわかっていない不可解な文明です。そんなインダス文明には滅亡の原因だけでなく、現在も解明されていない謎が多くあります。

謎1:「インダス文明の都市遺跡は誰が建設したのか」

都市建設のリーダーは不明

インダス文明の特徴である理路整然とした都市は誰が建設したのでしょうか。実は現在もはっきりしたことは判明していません。

都市建設を行うにあたって、作業を指揮するリーダー的な立場の人間がいたと考えるのは自然なことですが、そのリーダーが誰だったのか不明なのです。

インダス文明において奴隷は確認されていないため、おそらくは都市に住む住民たちが力を合わせて都市を築いたのでしょうが、都市建設の記録は一切発見されていないため、真実はベールに包まれたままとなっています。

謎2:「インダス文明は大河文明ではない」

遺跡『ドーラビーラ』

これまで文明の側には必ず大河がありました。エジプト文明にはナイル川、黄河文明には黄河といった大河に支えられて人々の生活は豊かになっていったのです。

もちろんインダス文明にもインダス川という大河がありました。しかし発掘調査が進んだことで、インダス文明が大河に支えられて大きくなったわけではないことがわかってきたのです。

インダス文明における遺跡は2600と非常に多く、そのうちインダス川流域に造られた遺跡もあれば、丘陵地帯のような川とは無縁の地域に造られた遺跡もありました。またインダス文明で行われていた農耕はインダス川に依存する生産システムではなく、モンスーンによる雨を利用した生産システムであったことがわかってきたのです。

これらのことからインダス文明は大河文明ではなく、「モンスーン文明」だと考えている研究者もいます。

謎3:「インダス文明では女性が優位だった」

遺跡から出土した女性像

近年の発掘調査によって浮き彫りになってきた事実があります。インダス文明においては女性が優位であったとする説です。

これはアメリカにあるウィスコンシン大学マディソン校のマーク・ケノイヤー氏を中心とした研究グループが発表した仮説になります。彼らはハラッパ―遺跡に対象を絞り、発掘調査で発見された出土品、人骨や歯の成分を細かく分析しました。

その結果、各地からハラッパ―を訪れた男性がハラッパ―に住む女性の元に婿入りしているという構図が浮かび上がってきました。女性を模した土偶が見つかっていることからも、他の文明で見られるような、女性が男性に従属する立場ではないことが分かります。

有用な調査結果の一つとして広く認められており、ハラッパ―以外の遺跡ではどうだったのか、更なる調査が進められています。

謎4:「どうして突然滅亡したのか」

非常に栄えていたインダス文明ですが、突如滅亡を迎えます。これには多くの説が唱えられておりますが、今回は以下の3つの説についてご紹介していきます。

  1. 砂漠化説
  2. 気候変動説
  3. アーリア人侵攻説

では、それぞれの説について詳しく解説していきます。

滅亡理由1. 砂漠化説

タール砂漠

インダス文明があった地域は、現在砂漠となっています。紀元前2000年前後に発生したとされる気候変動によるものですが、インダス文明の滅亡の時期と被るため、この砂漠化説が唱えられるようになりました。

かつて大西洋にあった低気圧帯が、北アフリカやアラビア半島、ペルシアと徐々に移動し、大量の雨をもたらして、インダス川流域を緑豊かな土地としていました。しかし紀元前2000年頃にこの低気圧帯がさらに北上し、雨が減少することで、次第に土地が砂漠化していきました。

インダス文明が繁栄していた時期に周囲の森林を伐採したことが、砂漠化の原因だと考えている学者もいますが、出土品やインダス文明の遺跡などから木はそこまで多用しなかったのではないかと推測されており、決定的な要因とはなっていません。

滅亡理由2. 気候変動説

大洪水により滅亡した?

インダス文明はインダス川流域を中心としており、遺跡は東西1500km、南北1800kmに渡って分布し、その数2600にも及びます。まだ調査できていない遺跡も多く、研究は続けられています。

砂漠化説は乾燥により文明が滅亡したとする説ですが、こちらの気候変動説は大洪水により滅亡したとする説になります。

紀元前1900年~紀元前1700年頃にかけて気候変動により、夏モンスーンという季節風が激化します。これにより雨量が増加し、インダス川流域に大洪水をもたらし、文明が滅亡したと考えられているのです。

この洪水によってモヘンジョ=ダロに代表される都市は捨て去られ、生き延びた人々は各地に移住していったとされています。

滅亡理由3. アーリア人侵攻説

聖典『リグ・ヴェーダ』

インダス文明の都市遺跡周辺には埋葬もされていないおびただしい人骨が発掘されています。インダス文明では埋葬の習慣があったことから、他部族からの侵攻により殺戮された跡ではないかと考えられ、この説が提唱されました。

特にアーリア人が浮かび上がった要因として、『リグ・ヴェーダ』による聖典に争ったことが記載されていたためです。

しかしよくよく調べてみると、発掘された人骨から争った形跡がないことやアーリア人の侵攻時期と、インダス文明滅亡の時期に相違があることが判明し、現在では支持者の少ない説となっています。

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