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インダス文明とは?なぜ滅亡した?川や場所の特徴、文明の謎を全て解説

「インダス文明って何?どんな特徴があるの?」
「そもそもどこで、どのように栄えて興ったの?」
「インダス文明の歴史や遺跡について教えて欲しい!」

このようなことを思っている方も多いでしょう。世界の大きな古代文明として「メソポタミア文明」、「エジプト文明」、「黄河文明」、そして「インダス文明」の4つが挙げられています。

その中でもインダス文明は非常に高度な技術と生活水準の高い都市を持っていました。しかしインダス文明は突然消滅してしまいます。

インダス文明の興った地域

原因を究明するため、これまで多くの学者たちが調査・研究してきましたが、いまだ原因は判明していません。インダス文明で用いられていたインダス文字が解読できていないことも、謎を深める要因の一つかもしれません。

この記事ではインダス文明の歴史や言語、宗教、身分制度などについて解説したあと、謎の多いインダス文明の秘密に迫っていきます。

インダス文明とは

インダス文明の概要や特徴を簡単に解説

文明の名称インダス文明
年月紀元前2600年から紀元前1800年まで
場所インド・パキスタン・アフガニスタンのインダス川、及びガッガル・ハークラー川周辺
文字インダス文字
人種ドラヴィダ人
インダス川の地図

インダス文明は紀元前2500年頃から紀元前1800年頃までにインダス川流域を中心に栄えた古代インドの文明です。インダス文明では他の文明に比べ、計画的な都市建設により排水溝や倉庫などの生活水準の高い都市が作られていました。

インダス文明ではモヘンジョ=ダロやハラッパーなどの有名な都市遺跡が建設されたほか、独自の言語や印章に代表される文化なども根付いていたと考えられています。

また身分制度も確立され、宗教的・政治的な面からも、非常に近代的な文明であったともいわれているのです。

さらに文明間での交流もあったとされており、特に距離の近いメソポタミア文明は重要な交易相手でした。この交流によってメソポタミアの宗教や文化がインダスに伝わり、逆にインダスの郷土品や技術はメソポタミアに伝わりました。

そもそも文明とはなにか

文明は時期や時代により姿をゆるやかに変えていく

ではそもそも文明とはなんなのでしょうか。

考古学者ゴードン・チャイルド(1892ー1957)によると、以下の9つの指標が文明と呼ぶ上で重要なポイントだと挙げています。

  • 効率的な食糧生産
  • 大きな人口
  • 職業と階級の分化
  • 都市
  • 治金術
  • 文字
  • 記念碑的公共建造物
  • 合理科学の発達
  • 支配的な芸術様式

この指標を満たしていれば、文明と呼んでも差し支えないでしょう。しかしこれら全てを満たさないといけないわけではありません。南アメリカで興ったアンデス文明やマヤ文明などは文字や治金術を持ちませんでした。

文明は時期や時代により、その姿をゆるやかに変えています。古代文明が人類の生活の基盤を作り、その子孫たちが更なる利便性を求め文明の9の指標を発展させていきました。

インダス川流域はどんな場所だったのか

写真下の川がインダス川
出典:Wikipedia

インダス川はチベットから始まり、中流域をパンジャーブ地方、下流域をシンド地方と言います。パンジャーブ地方にはハラッパー遺跡、シンド地方にはモヘンジョ・ダロ遺跡があることで知られています。

パンジャーブには5本の川の意味があり、全ての川はインダス川に合流しています。川に囲まれているため、土地が肥沃で農業に適していたこと、また、東西の文化の交流点だったことから、古くから人が住み、文明が発展したのでしょう。

パンジャーブ地方はシンド地方とともに、インドの歴史が始まった土地ですが、現在はそのほとんどがパキスタンになっています。

現在もインダス川はパキスタンの農業だけでなく重工業も支え、飲料水も供給しているのです。

インダス文明の特徴

解読が待ち遠しい!謎めいた『インダス文字』

インダス文字

インダス文明には独自の文字文化がありました。これらは「インダス文字」といわれ、印章などに使用されました。しかしインダス文字は現在も解読されておらず、いまだ謎の多い文字の一つです。

インダス文字が未解読の理由として、現在出土しているインダス文字のテキスト自体が少ないことや、他の言語との比較対象がないことが挙げられます。現在AIによる解析が進められていますが、現時点では解析の目途が立っていない状況です。

インダス文字とは?成り立ちや特徴、解読方法とその条件を解説

水と火、2つの特徴があるインダス文明の宗教

儀式で使用された陶器

インダス文明では都市ごとに侵攻や儀礼方法が違い、モヘンジョ=ダロなどの都市遺跡では、沐浴場などの水に関わる施設で豊穣と再生を祈念する儀式が行われていました。

一方、インダス川流域の都市ではなく、丘陵地帯などでは独特の火を用いた祭祀行事を行っていたと考えられる遺跡も発見されています。

モヘンジョ=ダロで発見されたような女性像や石製品が出土しないことからも、都市や集落ごとに執り行う儀式や祭礼行事は異なっていたと考えられており、インダス文明の宗教を解明するうえで大きな課題となっています。

権力者はいた?インダス文明の身分制度

モヘンジョ=ダロにある集会場

文明を築く上で大切なポイントである大きな人口。たくさん人が集まれば、それに伴って指導者として人々を先導する立場の人間が出てきます。次第にそれは貴族や王、聖職者と名を変えていくわけです。

インダス文明においても、こういった権力者はいたと考えられており、実際に都市遺跡からは貴族や有力の住んでいたとされる居住区も見つかっています。しかしながら王の彫像や王の墓などは発見されておらず、メソポタミアやエジプトのように王政ではなかったと推測されています。

インダス文明において行われていた政治の実態は不明ですが、宗教的な支配があったとする説や有力市民による共同統治であったとする説などが唱えられています。

生活の基本・農業は川から離れたところでも発展

インダス文明では牧畜も行われていた
出典:Wikipedia

川の水よりも土壌が大切だった

氾濫農耕は、農機具も肥料も発達していなかった当時の最新技術だった?

インダス文明での農業は、氾濫農耕と呼ばれるもので、水よりも土壌が大切でした。人々はインダス川の水を農業に使っただけでなく、川が氾濫して水が引いた後に出てくる肥沃な土壌を使ったのでした。

インダス川の周辺では毎年6月から8月にかけて、モンスーンという季節風が吹きます。このモンスーンが雨を降らし、川が増水、氾濫しました。毎年氾濫するために、人々は毎年新しい土壌を使うことができたのです。

インダス文明の人々は毎年冬、新しい土壌に種を蒔き、次の年のモンスーンが来る前に収穫していました。この方法を取っている限り、氾濫を予防するための大規模な工事は必要なく、氾濫の後はある程度の水が確保できたと考えられます。氾濫農耕は、当時の人々にとっては最小の手間で最大の収穫ができる方法だったのです。

川から離れていても、農業ができたわけとは

街を取り囲む城塞付近の貯水槽
出典:Wikipedia

インダス文明では、川から離れた場所に住む人々は、毎年モンスーンによって降る雨で増水した川の水を堰(地形を利用して作られていました)などに貯めて、水の中で沈殿した土壌を農業に使いました。これにより、川から離れた場所でも農業ができたのです。

実際にドーラビーラ遺跡では、街の南北に流れる川が増水したときの水を堰き止め、貯めるための貯水槽が残っています。それは標高の高い貯水槽から、低い貯水槽へ水が流れ落ちるように設計されており、ドーラビーラの街を取り巻くように設置されていました。

インダス文明の人々は高い技術力で農業に取り組んでいたことがわかります。

農業だけでなく商業や貿易も繁栄

小さな工芸品・ビーズの生産

これがカーネリアン(紅玉髄)
出典:Wikipedia

インダス文明で有名な工芸品はビーズです。中でもカーネリアンという赤い鉱物を使って作るビーズが有名でした。

カーネリアン製の赤いビーズに白い模様を入れる技術や、樽型のビーズを作る技術に優れていたため、ビーズはメソポタミアへの主要な輸出品になりました。

さらには極小のマイクロビーズも製造されていたことがわかっています。これは絹の糸で繋がれていたため、シルクロードよりも前に、絹が使われていた証拠になっています。

ビーズの生産のためには、ビーズを作る技術者だけでなく、原石の採掘、流通などにそれぞれ専門職の人たちが従事していたようです。皆が全体を把握していなくても、仕事が進むようにシステムが作られており、強力な指導者などはいなかったと思われます。

ビーズから始まった工芸の発展と貿易

貿易が盛んだった証拠・インダス式印章
出典:Wikipedia

インダス文明では商業も盛んに行われていました。インダス文明よりも500年ほど早く文明が始まったメソポタミアとは盛んに貿易をしていました。

インダス文明の人々が主に輸出したのは、先程紹介したビーズです。モヘンジョ・ダロの遺跡からは貿易に使われたと思われる石製や銅製の分銅や秤が見つかっています。また、メソポタミア地域やペルシャ湾からは、インダス式印章が発見されているため、盛んな貿易の様子が伝わってきます。

この頃からインダス川流域は中国と中東の国々を結びつける要となる場所だったのかもしれません。

インダス文明にまつわる4つの謎

インダス川

インダス文明は計画的な都市建設が行われ、高度な文明を持っていたとされる一方で、滅亡の原因もはっきりとわかっていない不可解な文明です。そんなインダス文明には滅亡の原因だけでなく、現在も解明されていない謎が多くあります。

謎1:「インダス文明の都市遺跡は誰が建設したのか」

都市建設のリーダーは不明

インダス文明の特徴である理路整然とした都市は誰が建設したのでしょうか。実は現在もはっきりしたことは判明していません。

都市建設を行うにあたって、作業を指揮するリーダー的な立場の人間がいたと考えるのは自然なことですが、そのリーダーが誰だったのか不明なのです。

インダス文明において奴隷は確認されていないため、おそらくは都市に住む住民たちが力を合わせて都市を築いたのでしょうが、都市建設の記録は一切発見されていないため、真実はベールに包まれたままとなっています。

謎2:「インダス文明は大河文明ではない」

遺跡『ドーラビーラ』

これまで文明の側には必ず大河がありました。エジプト文明にはナイル川、黄河文明には黄河といった大河に支えられて人々の生活は豊かになっていったのです。

もちろんインダス文明にもインダス川という大河がありました。しかし発掘調査が進んだことで、インダス文明が大河に支えられて大きくなったわけではないことがわかってきたのです。

インダス文明における遺跡は2600と非常に多く、そのうちインダス川流域に造られた遺跡もあれば、丘陵地帯のような川とは無縁の地域に造られた遺跡もありました。またインダス文明で行われていた農耕はインダス川に依存する生産システムではなく、モンスーンによる雨を利用した生産システムであったことがわかってきたのです。

これらのことからインダス文明は大河文明ではなく、「モンスーン文明」だと考えている研究者もいます。

謎3:「インダス文明では女性が優位だった」

遺跡から出土した女性像

近年の発掘調査によって浮き彫りになってきた事実があります。インダス文明においては女性が優位であったとする説です。

これはアメリカにあるウィスコンシン大学マディソン校のマーク・ケノイヤー氏を中心とした研究グループが発表した仮説になります。彼らはハラッパ―遺跡に対象を絞り、発掘調査で発見された出土品、人骨や歯の成分を細かく分析しました。

その結果、各地からハラッパ―を訪れた男性がハラッパ―に住む女性の元に婿入りしているという構図が浮かび上がってきました。女性を模した土偶が見つかっていることからも、他の文明で見られるような、女性が男性に従属する立場ではないことが分かります。

有用な調査結果の一つとして広く認められており、ハラッパ―以外の遺跡ではどうだったのか、更なる調査が進められています。

謎4:「どうして突然滅亡したのか」

非常に栄えていたインダス文明ですが、突如滅亡を迎えます。これには多くの説が唱えられておりますが、今回は以下の3つの説についてご紹介していきます。

  1. 砂漠化説
  2. 気候変動説
  3. アーリア人侵攻説

では、それぞれの説について詳しく解説していきます。

滅亡理由1. 砂漠化説

タール砂漠

インダス文明があった地域は、現在砂漠となっています。紀元前2000年前後に発生したとされる気候変動によるものですが、インダス文明の滅亡の時期と被るため、この砂漠化説が唱えられるようになりました。

かつて大西洋にあった低気圧帯が、北アフリカやアラビア半島、ペルシアと徐々に移動し、大量の雨をもたらして、インダス川流域を緑豊かな土地としていました。しかし紀元前2000年頃にこの低気圧帯がさらに北上し、雨が減少することで、次第に土地が砂漠化していきました。

インダス文明が繁栄していた時期に周囲の森林を伐採したことが、砂漠化の原因だと考えている学者もいますが、出土品やインダス文明の遺跡などから木はそこまで多用しなかったのではないかと推測されており、決定的な要因とはなっていません。

滅亡理由2. 気候変動説

大洪水により滅亡した?

インダス文明はインダス川流域を中心としており、遺跡は東西1500km、南北1800kmに渡って分布し、その数2600にも及びます。まだ調査できていない遺跡も多く、研究は続けられています。

砂漠化説は乾燥により文明が滅亡したとする説ですが、こちらの気候変動説は大洪水により滅亡したとする説になります。

紀元前1900年~紀元前1700年頃にかけて気候変動により、夏モンスーンという季節風が激化します。これにより雨量が増加し、インダス川流域に大洪水をもたらし、文明が滅亡したと考えられているのです。

この洪水によってモヘンジョ=ダロに代表される都市は捨て去られ、生き延びた人々は各地に移住していったとされています。

滅亡理由3. アーリア人侵攻説

聖典『リグ・ヴェーダ』

インダス文明の都市遺跡周辺には埋葬もされていないおびただしい人骨が発掘されています。インダス文明では埋葬の習慣があったことから、他部族からの侵攻により殺戮された跡ではないかと考えられ、この説が提唱されました。

特にアーリア人が浮かび上がった要因として、『リグ・ヴェーダ』による聖典に争ったことが記載されていたためです。

しかしよくよく調べてみると、発掘された人骨から争った形跡がないことやアーリア人の侵攻時期と、インダス文明滅亡の時期に相違があることが判明し、現在では支持者の少ない説となっています。

インダス文明の2大都市遺跡

インダス文明では多くの遺跡が発見・発掘されていますが、今回は2つの都市遺跡に的を絞り、ご紹介していきます。

モヘンジョ=ダロ

モヘンジョ=ダロ

インダス川流域、現在でいうパキスタン南部の位置にある都市遺跡です。モヘンジョ=ダロには「死者の丘」という意味もあり、インダス文明最大の計画都市でした。

モヘンジョ=ダロには約3万人の人々が暮らしていたとされています。またインダス川に接していたため、船を使っての水上交易で栄えていました。

遺跡は高台にある「城砦部」と住居の並ぶ「市街地」に分かれています。城砦部には学校や沐浴場、集会堂、倉庫などが造られており、祭祀を執り行う司祭や軍人などはこの周辺に住んでいました。

対して市街地の方は地区ごとに居住区が分かれ、庶民や農民の住居が中心となっているHR地区、職人の居住区であるVS地区、上流階級や貴族の居住区であるDK地区で構成されています。特にDK地区からは銀行も発見されており、非常に裕福な人々が住んでいたと考えられています。

そんなモヘンジョ=ダロですが、現在深刻な塩害に悩まされています。この地域特有の灼熱の気候と乾燥により地中の水分が蒸発し、塩が地表へ噴き出してしまうのです。塩が噴き出すことによって煉瓦にヒビが入り、遺跡は崩壊しつつあります。現在パキスタン政府やユネスコなどが、保存に向けて動いていますが、完全な状態での保存は難しい状況となっています。

ハラッパー

ハラッパー

現在のパキスタン中部に位置し、モヘンジョ=ダロと双璧をなす都市遺跡です。ハラッパ―には「食べられちゃった」という意味があり、その名の通り、モヘンジョ=ダロと比べ遺跡の保存状態は良くありません。

というのもハラッパ―遺跡は古くから発見されており、当時はその価値に気づかず、鉄道工事のためにハラッパ―遺跡を取り壊し、遺跡から掘り出された焼き煉瓦を使用していました。そのため遺跡の大半は修復不可能なほど破壊されてしまっていますが、現在でも、わずかに残っている部分の発掘調査が続けられています。

遺跡跡からモヘンジョ=ダロのように城砦部と市街地に分かれていると推測されていますが、破壊の進んだ遺跡では具体的にどのような建物が建造されていたのか見当がつきません。その代わりに出土品が多く発見されており、インダス文字の入った印章が発見されたのもハラッパ―遺跡です。

インダス文明の歴史

現代のドラヴィダ系民族

インダス文明の始まり(紀元前2600年頃)

紀元前7000年頃、インダス川流域の西方にあるバローチスターン丘陵地帯で先住民族のドラヴィダ系民族によって農耕文化が成立しました。小麦や大麦の栽培を中心に、羊や山羊の飼育もされ、徐々に人が集まり、集落が形成されるようになりました。

紀元前3000年頃、集落は時間の流れと共に拡大し、牧羊だけでなく土器や石器の作成なども行われるようになり、やがて人々の間で役割が決められ、文化的な生活を送るようになっていきました。そして紀元前2500年頃、インダス川流域を中心にモヘンジョ=ダロやハラッパ―などの遺跡に代表される巨大な文明が形成されたのです。

インダス文明の繁栄

紀元前2600–1900年時点におけるインダス文明の推定範囲

インダス文明の特徴ともいえるのが、東西南北に渡る理路整然とされた都市遺跡です。基本的に焼き煉瓦で造られており、下水や浴場などの設備も整っていました。他にも公共の建造物となる集会場や学校、教会などが造られており、彩文土器や青銅器の使用、インダス文字が記載された印章なども用いられていました。

インダス文明の滅亡(紀元前1800年頃)

インダス文明の滅亡には先程紹介した、砂漠化、気候変動、アーリア人の侵攻などの理由が考えられます。滅亡の理由がはっきりしないのは、インダス文字が解読されていないことも大きく影響しています。これからの解読に期待をしたいところです。

インダス文明が滅亡した後、その宗教はバラモン教に変化し、インド化が進んでいくことになりました。

インダス文明をもっと詳しく知れる関連書籍

インダス文明の謎:古代文明神話を見直す 

古代の歴史については、誰でも意外に古い知識で固まっているものです。この作品で一度リセットすると良いでしょう。

きっとその後に新しい知識を吸収しやすくなること間違いありません。私たちのインダス文明に対する知識がいかに古いままだったのかが、再確認できると思います。

メソポタミアとインダスのあいだ

歴史の授業を聞いているだけではあまり考えませんが、この作品ではメソポタミアとインダス、両文明には関係があると教えてくれます。

想像以上の関係の深さに、文明は生きている人々が作り出すのだと実感できます。この作品を読んでいると、文明という大きなものが自分の前に実体を持って出て来てくれるような気がします。

インダス文明に関するまとめ

インダス文明について解説してきました。いかがでしたでしょうか。

インダス文明は成り立ちから衰退の一途を辿るまで、およそ800年程の歴史があります。その間に建設的な都市を作り上げ、多くの土器や石器、果ては文字の作製まで高度な文明を築き上げてきました。

そんな歴史の深い文明でありながら、いまだ神秘のベールに包まれたままです。これはインドとパキスタンの間にある、紛争の多い地域に位置していることで発掘調査がしにくいということや、インダス文明の歴史を伝えるインダス文字が解読できていないということも要因の一つでしょう。

それでも多くの研究者や調査隊がインダス文明の歴史を解き明かそうと調査に励んでいます。インダス文明の歴史が解明され、その真の姿を知ることが出来る日もそう遠くないかもしれません。

長い記事となりましたが、お付き合いいただきありがとうございました。

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