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純文学とは?大衆文学との違いや魅力、歴史について分かりやすく解説

芥川賞は純文学の賞というけれど、「純文学」ってそもそも何だろう?
どの小説が「純文学」なんだろうか?

芥川賞のニュースを見て、または図書館や本屋の棚の前で、このように考えたことがある人も多いのではないでしょうか。「純文学」という言葉は掴みどころがなく、どことなく堅そうでとっつきにくい感じがしますよね。

けれども、純文学には読めば読むほど面白く感じられてくる魅力があります。この記事では、中高生のころから純文学にはまって大学で日本文学を学んだ筆者が、純文学の定義や魅力、その歴史を解説します。ぜひ読んでみてください。

純文学とは

純文学って何だろう

純文学の定義は

一般的に「文学性を重視した小説」が純文学とされています。けれどもこの定義、「文学性」という言葉が分かりにくいですよね。いったいどういうことなのでしょうか。

それは、「『文学とは何か』『文学はどうあるべきか』を追及している」ということです。それらの問いは作家それぞれによって違い、決まった答えのないものです。ある人は古典文学の形式に回帰するかもしれないし、またある人は革新的な表現を生み出すかもしれません。

作家それぞれが各々の「文学とは何か」「文学とはどうあるべきか」を追求した作品、それが「純文学」です。

大衆文学との違い

大衆文学との違いは?

「純文学」と区別する言葉として、SFやファンタジー、推理小説などを「大衆文学」ということがあります。2つの違いは何でしょうか。

先ほど「純文学は芸術性を重視するもの」と書きました。それに対して「大衆文学」は「内容性を重視するもの」です。「内容性」とはストーリーの流れのこと、起承転結がどうなっているかということです。

大衆文学はストーリーを読者に追わせることが大事です。推理小説などを「続きが気になって朝まで読み通してしまった!」という人も多いでしょう。大衆文学では「続きを読者に気にならせること」が大切になってきます。

それに対して純文学では、起承転結を要約しにくいことが多いです。いつのまにかストーリーの中核部分に入っていて「あれ?何がどうだったんだ?」と思うこともしばしばあります。この点が「純文学はつまらない」と言われてしまう点でもあるのですが、それは「面白い小説はストーリーが波乱に富んでいる」ことを基準としているからだと筆者は考えています。

芸術性が高いことをよしとする純文学、内容性に富んでいることをよしとする大衆文学、どちらがより優れているということではありません。さらにいえば「芸術性」と「内容性」が相反するものでもなく、どちらも兼ね備えた作品も存在します。そのような作品から読んでみると、純文学もとっつきやすいのではないでしょうか。

『源氏物語』は純文学?

日本最古の文学作品『源氏物語』

日本の代表的な文学作品といえば、紫式部の『源氏物語」が有名ですよね。では、この『源氏物語』は純文学なのでしょうか?

答えは「NO」です。純文学というカテゴリーは、明治時代の「言文一致運動」後の作品を対象にしているからです。

「言文一致運動」とは、明治から大正時代にかけて起こった書き言葉を話し言葉に近づけようとする動きのことです。明治時代以前の文学作品は、基本的に古典の授業で習うような文語体で書かれていました。その文語体ではなく、人々が日常的に使っている言葉遣いで文学作品を書こうという運動のことを「言文一致運動」といいます。

『源氏物語』は平安時代に書かれた作品なので、明治時代からの話し言葉ではもちろん書かれていませんよね。また、『源氏物語』は確かに芸術性の高い作品ですが、貴族の恋愛や出世の話なので平安時代当時の人々にとっては娯楽小説に近い面もありました。そのことからも、「源氏物語は純文学ではない」といえます。

純文学の魅力

美しい文章は魅力的

美しい文体の作品が多い

純文学には、美しくて洗練された文章で書かれたものが多いです。もちろん何をもって「美しい文章」とするかは人によって違うのですが、例えば描かれている情景が美しかったり、声に出して読んでみるとリズムが心地よかったりする作品がたくさんあります。

文学は美しければいいというものではありません。けれども美しい光景などを描いた文章にはやはり癒されますし、たまには音読してみるのも気分転換になります。とっつきにくいと思われる明治時代の作品、例えば夏目漱石の『坊ちゃん』や『草枕』なども声に出して読んでみると楽しいですよ。

淡々としていて落ち着いて読める

淡々と美しい文章が続く

「スリルいっぱいのドキドキする小説が好き!」という人には純文学作品は物足りないかもしれません。純文学はどこか淡々としていて、起承転結が曖昧な作品が多いからです。

けれども、あまり波乱に富んだストーリーが得意ではない繊細な人もいると思います。そのような人には、ゆるやかに物語が進んでいく純文学はおすすめです。たまにきつい場面のある作品もあるので、そこは注意が必要です。

人間の心の豊かさに触れられる

人の心は本来わからないもの

文学作品には、人間の心の多様なあり方が描かれています。特に純文学では、割り切れない想いや言葉にならない感情が表現されていることが多いです。登場人物は読者からすると「どうしてそんなことするの!?」と思うようなことをすることもあるし、その理由は説明されないこともあります。

純文学からは、人の心は本来割り切れないもので、理由すら説明できない行動をとることもあるということをよく学べます。読書感想文などを書かなければならない場合はその行動の理由を考えてみることが大事なのでしょうが、筆者は「人の心の分からなさ」が分かるだけでも大きな収穫だと考えています。そして、その「分からなさ」はそのまま豊かさだと思っています。

「心の豊かさ」というと何かとても美しいことのように感じますが、純文学作品には常識的にいって悪いとされることもたくさん書かれています。その悪いとされることまで含んでこそ「心が豊か」といえるのではないでしょうか。人間の豊かさは清濁あわせのんでこそ、その面白さが分かるのが純文学の魅力です。

純文学はこんな人におすすめ!

学生には特におすすめ

中高生・大学生

中高生のうちに純文学に親しんでいると、色々とよいことがあります。例えば、現代文の授業が楽しくなって成績も上がるかもしれません。夏休みの課題で純文学作品の感想文を提出すると、先生からの受けもいいです。

実質的な利益がなくても、中高生や大学生という時期に純文学でさまざまな考えや感情に触れておくと、社会人になっても柔軟な考え方を保ちやすくなります。割り切れない気持ちがあると知ることで、他人にも自分にも寛容になれます。頭と心の柔らかい大人でいるために、純文学などの文学作品に親しむことは大切です。

年上の偉い人と共通のものをもちたい社会人

社会に出たら役に立つかも?

社会に出たら、自分よりずっと年上の上司や取引先の人と話さなければならないこともたくさんありますよね。そのようなとき、純文学を読んでおくと話の糸口がつかめるかもしれません。この場合は、純文学の中でも明治から昭和までの近代文学がおすすめです。

年配の人たちは夏目漱石芥川龍之介など、日本の文豪といわれる作家たちの作品を学生時代に読んでいることが多いです。なかなか共通の話題が見つからない場合は、職場で文豪の作品を読んでみるのはいかがでしょうか。話すきっかけになるうえ、「今どきの人にしては珍しい」と顔を覚えてもらえるかもしれませんよ。

美しいものが好きで繊細な性格の人

美しい文章に触れると癒される

繊細で傷つきやすい性格で困っている、という人はいないでしょうか。そういう性質をもつ人たちにこそ、純文学はおすすめです。

日々の暮らしの中で傷ついた心を癒すには、小説などに集中してトリップしてしまうことも1つの手です。けれども繊細な性格の人は、ミステリーなどの大衆文学ではドキドキしすぎて疲れてしまうこともあります。だからこそ、美しい文章で淡々としている純文学だと癒しにつながるのではないでしょうか。

繊細な性格の人は、文章の美しさも敏感に感じ取れることが多いです。心が疲れたときは、ぜひ純文学に触れてみてください。

純文学の歴史

純文学のはじまりは?

ここからは、純文学がどのような歴史をたどってきたかを解説します。先ほど、純文学は明治時代の「言文一致運動」とともに始まったと書きました。詳しく見ていきましょう。

明治時代

二葉亭四迷が「浮雲」を発表

二葉亭四迷

日本の近代文学は、1889年の二葉亭四迷『浮雲』から始まったとされています。言文一致の文体「ダ体」で書かれたこの作品は、主人公・内海文三の近代人的な苦悩を描いた作品です。

明治維新によって、日本社会は江戸時代までの社会とはだいぶ違ったものになりました。『浮雲』の主人公は役所を突然クビになってしまうのですが、そう考えると役所に勤めるということ自体が近代的ですよね。明治維新以降の社会になったことから起こった人々の苦悩や感情を描いた作品がこのころの近代文学です。

自然主義文学が盛んになる

明治時代後期になると、現実社会の「負」の側面をとらえた「自然主義文学」が現れます。島崎藤村や田山花袋などが自然主義の作家として挙げられます。

自然主義文学の始まりといえば、部落問題をテーマとした島崎藤村の『破戒』です。この作品は日本の社会派小説の先駆けともいわれていて、後のプロレタリア文学などともつながってきます。

けれども、『破戒』の後に出版された田山花袋の『蒲団』によって、純文学の主流は作家が身の回りのことを書く「私小説」になっていきます。田山はこの作品で、自分の女弟子に対する自らの恋を赤裸々に書いています。このことは当時の文壇に大きな反響を巻き起こしました。

明治末期~大正時代

『白樺』創刊号

白樺派が登場

1910年に創刊した同人誌『白樺』を中心に起こった文芸思潮「白樺派」は、大正デモクラシーの自由な空気を背景に理想主義的な作品を展開しました。自然主義文学の暗さに反発するように人間の存在を肯定し、明治末期の文学界の中心になりました。

代表的な作家としては、志賀直哉や武者小路実篤らが挙げられます。志賀の「城の崎にて」は私小説の代表作として知られる作品で、事故に遭って城崎温泉に逗留することになった主人公の生と死について感じるさまが簡素な文体で描かれています。その無駄のない文体は、後の私小説の手本とされました。

森鴎外と夏目漱石

大正期に近づくと、「反自然主義」といわれる森鴎外夏目漱石が文壇に現れます。森鴎外は「高踏派」といわれていて、「舞姫」などで異国情緒あふれる世界を文語体で表現しました。鴎外は後に「高瀬舟」「阿部一族」などの歴史小説や『渋江抽斎』などの史伝も発表しています。

『坊ちゃん』『吾輩は猫である』『こころ』などの名作で知られる夏目漱石は「余裕派」と呼ばれることがあります。人生に余裕をもって臨み、高みから俯瞰するような視点で物事をとらえる流派のことです。反自然主義の鴎外と漱石はストーリー性も兼ね備えた名作を生み出し、日本文学のお手本とされるようになりました。

耽美派が現れる

谷崎潤一郎

鴎外や漱石とは違った反自然主義の一派として「耽美派」の作家がいます。道徳や倫理観は脇に退け、とにかく美しさに重きをおく作風のことです。元々はヨーロッパの芸術思潮の1つなのですが、日本文学では谷崎潤一郎や泉鏡花、江戸川乱歩らを指します。

谷崎潤一郎は『痴人の愛』『細雪』などで知られています。男女の情愛や時代の風俗など、通俗的なテーマを芸術的な美しい文体で描き出すのが特徴で、作品によって文体がガラッと変わるので読み比べてみるのがおすすめです。文体が変わっても文章の美しさが保たれていて、まさに「文豪」という感じがします。

大正末期~昭和時代

『文芸的な、余りに文芸的な』

大正末期ごろ、芥川龍之介と谷崎潤一郎の間で文学史上に残る文芸論争が繰り広げられました。「文芸的な、余りに文芸的な」という文章にまとめられたその論争は、「ストーリーの面白さは小説の芸術的な価値とは関係ない」という芥川と「ストーリーの面白さこそが小説の価値だ」とする谷崎の意見の対立から始まったものです。この論争は芥川の死によって終わり、決着はつきませんでした。

大衆小説が広まる

大正末期から「大衆小説」がだんだんと読まれるようになってきます。「純文学」という言葉の定義は明治中期に評論家・北村透谷によって「美的形成に重きを置いた作品」とされたのですが、大衆小説が読まれるようになってくると作品の芸術性に重きを置きたい作家は自分たちの作品を「純文学」と呼ぶようになりました。「純文学」という言葉は、大衆小説があってこそ成り立つ定義でもあります。

芥川賞の創設

芥川賞を創設した菊池寛

1935年、菊池寛を発起人として1927年に亡くなった芥川龍之介の名を冠した文学賞「芥川龍之介賞(芥川賞)」が設立されました。同時に、1934年に亡くなった直木三十五の名をつけた「直木賞」も発表されています。今でこそ2つの賞は大きく取り上げられて受賞作がたくさん売れますが、設立当時はそれほど注目されず、授賞式も10人程度が集まる小規模なものでした。

今のように注目され始めたのは1956年に石原慎太郎が『太陽の季節』で受賞したことがきっかけです。当時石原は学生で、内容もセンセーショナルなものであったことから『太陽の季節』はベストセラーとなりました。夏の海辺にアロハシャツでたむろし、無秩序な行動をとる若者のことを指す「太陽族」という言葉が生まれたり、石原が映画『太陽の季節』に出演したときの髪型(今でいうスポーツ刈り)のことを「慎太郎刈り」と呼ぶようになったりするなど社会現象になりました。

新感覚派の登場

昭和初期には、川端康成や横光利一など「新感覚派」が純文学の中心となりました。第一次世界大戦後のヨーロッパに起こった美術様式に影響を受けた新感覚派の作品は詩情にあふれていて、それまでの私小説のようなリアリズムを越えて自分の感覚によって近代という時代を捉え直した作風が特徴です。

横光利一「日輪」「蠅」でデビューした作家で、『機械』は日本モダニズム文学の頂点ともされています。『機械』では段落や句読点を極端に少ない独特の文体を使い、複雑な人間の心理を描き出しました。主人公を指す一人称「私」以外の「私」、「四人称」としての「私」を取り入れた実験小説でもあります。

第二次世界大戦後

無頼派・太宰治

戦後には、世の中の混乱を背景に「無頼派(新戯作派)」と呼ばれる作家たちが登場します。無頼派の作家たちは文学は「戯作性」が重要だとして、江戸時代の「戯作本」のような小説を目指しました。坂口安吾や太宰治、織田作之助らが代表的な作家として挙げられます。

太宰治は『人間失格』『斜陽』「お伽草紙」などの名作を残した作家です。没落貴族の女性を主人公とした『斜陽』はベストセラーとなり「斜陽族」という言葉も生み出しました。「無頼」という言葉のイメージと自殺未遂や薬物中毒を繰り返す太宰の生涯が合わさって、無頼派の代表作家とされることが多いです。

純文学と大衆小説の境界が曖昧に

20世紀前半、純文学と大衆小説の作家はだいたい分かれていたのですが、後半に入ると多くの純文学作家がSFや伝記小説など大衆小説の手法を作品に取り入れ始めました。純文学がストーリー性を重視し始める一方で、井上ひさしや筒井康隆など大衆小説の作家が純文学の手法を積極的に使い始める動きもありました。現在では、純文学と大衆小説の区分はとても曖昧になってきています。

純文学の代表的な作家3選【近代文学編】

夏目漱石

夏目漱石

「明治の文豪といえば!」で真っ先に名前が挙がる夏目漱石。『吾輩は猫である』でデビューした後しばらくは人生を俯瞰したどことなく余裕の感じられる作風だったのですが、胃潰瘍からくる病気で生死の境をさまよった後はがらりと変わります。「こころ」「行人」など、人間のエゴイズムに迫る名作の数々を残しました。

川端康成

川端康成

ノーベル文学賞も受賞した川端康成は、日本の美にあふれる作品やある種オカルト的な作品、連歌と前衛が融合した作品などさまざまな作風を自在に操りました。『伊豆の踊子』『雪国』などは有名ですよね。ノーベル文学賞の受賞講演では、日本人の美意識や死生観を紹介し好評を博しました。

三島由紀夫

「戦後耽美派」と呼ばれる三島由紀夫は、先ほどご紹介した川端康成の後援を受けた作家の1人でもあります。『金閣寺』『潮騒』『豊穣の海』などが有名です。詩的で絢爛豪華な文体と古典劇を基調にした美しい作風は、世界的にも認められノーベル文学賞候補とも言われていました。

純文学の代表的な作家3選【現代文学編】

村上春樹

村上春樹

1979年、『風の歌を聴け』で鮮烈なデビューを果たした村上春樹。ノーベル文学賞も噂される、現在世界で最も読まれている日本人作家です。『風の歌を聴け』「1973年のピンボール』などは短い小説で取り掛かりやすいでしょうし、『ノルウェイの森』「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』「1Q84』などの骨太の作品も読みごたえがあります。

小川洋子

小川洋子

『妊娠カレンダー』で芥川賞を受賞した小川洋子。静かな時間の流れる美しい小説世界が展開される小川の小説は、純文学ファンに根強い人気があります。『博士の愛した数式』は映画にもなり、また『薬指の標本』はフランスの映画監督・ディアーヌ・ベルトランが映画化しています。

川上未映子

川上未映子

川上未映子は『乳と卵』で芥川賞を受賞しました。大阪弁の混ざった独特のリズムをもつ文体は、はまるとやみつきになります。『あこがれ』『夏物語』など自身の作品のほか、『早稲田文学 女性号』の責任編集も務め、今後の動向がますます注目される小説家です。

純文学とはに関するまとめ

純文学とは何か、その魅力や歴史について解説してきました。いかがでしょうか。

この記事の中盤に「純文学はこんな人におすすめ」という項を設けました。この中に「今、悩みがある人」という見出しを作ろうと思っていたのですが、悩みは誰しも持つものですよね。言わずもがなだな、と思って書かなかったのですが、悩みがある人には本当に純文学はおすすめです。

純文学を読んで悩みが解決するかどうかは分かりません。むしろ、悩みが深まってしまう場合も多々あると思います。けれども、「悩みを抱えて、それでも生きていく」という力は純文学からもらえるものの1つだと筆者は考えています。

この記事を読んで、1冊でも純文学作品を手に取ってもらえたら嬉しいです。

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