純文学とは?定義や大衆文学との違いをわかりやすく簡単に解説

純文学の代表的な作家3選【近代文学編】

夏目漱石

夏目漱石

「明治の文豪といえば!」で真っ先に名前が挙がる夏目漱石。『吾輩は猫である』でデビューした後しばらくは人生を俯瞰したどことなく余裕の感じられる作風だったのですが、胃潰瘍からくる病気で生死の境をさまよった後はがらりと変わります。「こころ」「行人」など、人間のエゴイズムに迫る名作の数々を残しました。

夏目漱石とはどんな人?生涯・年表まとめ【功績や死因、生い立ちも紹介】

川端康成

川端康成

ノーベル文学賞も受賞した川端康成は、日本の美にあふれる作品やある種オカルト的な作品、連歌と前衛が融合した作品などさまざまな作風を自在に操りました。『伊豆の踊子』『雪国』などは有名ですよね。ノーベル文学賞の受賞講演では、日本人の美意識や死生観を紹介し好評を博しました。

三島由紀夫

三島由紀夫

「戦後耽美派」と呼ばれる三島由紀夫は、先ほどご紹介した川端康成の後援を受けた作家の1人でもあります。『金閣寺』『潮騒』『豊穣の海』などが有名です。詩的で絢爛豪華な文体と古典劇を基調にした美しい作風は、世界的にも認められノーベル文学賞候補とも言われていました。

三島由紀夫とはどんな人?生涯&年表まとめ【代表作品や死因、功績も紹介】

純文学の代表的な作家3選【現代文学編】

村上春樹

村上春樹

1979年、『風の歌を聴け』で鮮烈なデビューを果たした村上春樹。ノーベル文学賞も噂される、現在世界で最も読まれている日本人作家です。『風の歌を聴け』「1973年のピンボール』などは短い小説で取り掛かりやすいでしょうし、『ノルウェイの森』「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』「1Q84』などの骨太の作品も読みごたえがあります。

小川洋子

小川洋子

『妊娠カレンダー』で芥川賞を受賞した小川洋子。静かな時間の流れる美しい小説世界が展開される小川の小説は、純文学ファンに根強い人気があります。『博士の愛した数式』は映画にもなり、また『薬指の標本』はフランスの映画監督・ディアーヌ・ベルトランが映画化しています。

川上未映子

川上未映子

川上未映子は『乳と卵』で芥川賞を受賞しました。大阪弁の混ざった独特のリズムをもつ文体は、はまるとやみつきになります。『あこがれ』『夏物語』など自身の作品のほか、『早稲田文学 女性号』の責任編集も務め、今後の動向がますます注目される小説家です。

純文学のおすすめ作品

↓の記事で、上記で紹介した作品以外のおすすめの純文学作品をご紹介しています!ぜひご覧になってください。

【24年11月最新】純文学のおすすめ本・小説ランキングTOP27

純文学に関するまとめ

純文学とは何か、その魅力や歴史について解説してきました。いかがでしょうか。

この記事の中盤に「純文学はこんな人におすすめ」という項を設けました。この中に「今、悩みがある人」という見出しを作ろうと思っていたのですが、悩みは誰しも持つものですよね。言わずもがなだな、と思って書かなかったのですが、悩みがある人には本当に純文学はおすすめです。

純文学を読んで悩みが解決するかどうかは分かりません。むしろ、悩みが深まってしまう場合も多々あると思います。けれども、「悩みを抱えて、それでも生きていく」という力は純文学からもらえるものの1つだと筆者は考えています。

この記事を読んで、1冊でも純文学作品を手に取ってもらえたら嬉しいです。

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8 COMMENTS

にっとの

以下本文引用の通り言葉の定義に齟齬があると感じました。
どちらかに統一または文章の途中で言い換える、もしくは再定義したほうがよろしいかと考えました。

--そもそも「純文学」の定義とは--の段で
『純文学とは、一般的に「文学性を重視した小説」と定義されています。』
と定義し、
--「大衆文学との違い」の段で--
『先ほど「純文学は芸術性を重視するもの」と書きました。』
とありました。

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京藤 一葉

> にっとの さん
ご指摘いただきありがとうございます。
チェック不足でした。修正させていただきました。
引き続きよろしくお願いします。

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utsuro

とても参考になりました。

今書いている小説が、どれにあたるものなのか悩んでいたので。

ありがとうございます。

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匿名

純文学と大衆文学の大きな違いは、読後の焦点がどこにあるかやと思っている
ストーリーを大切にする大衆小説は起承転結や結末が重要であることが多分にあり、読者の感想の多くも結末についてやストーリー全体を通したものが多いと思う
逆に、純文学は全体を通してストーリーの抑揚が小さく、読後の焦点が各々で異なることが多い気がする
また、同じ作品でも読む年齢とかで印象に残る場面やフーズが異なる気がする
他には、大衆小説はただ単純に読み進めればいい(馬鹿にしているわけではありません)が、純文学は描写をきちんと想像できなければ話がわかりづらいといった違いも個人的にはある
これは、大衆小説は描写が丁寧すぎるほどに事細かに書かれているが、純文学は必要最低限の描写しかなく、行間を埋めるといったことを自然とする作りになっているからやと思う
これらが個人的に大衆小説と純文学を分ける違いやと思っています
長文失礼したしました

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野口 健

こんにちは。はじめて投稿致します。私は 芥川賞作家の 花村萬月が 好きなのですが 花村作品すべてが 芥川賞向けなのでしょうか? 馬鹿な質問で申し訳ございません。

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佐藤 和代

こんにちは!コメントありがとうございます。花村萬月さんがお好きなのですね!

私は花村さんの小説にあまり詳しくないのですが(申し訳ございません)、調べてみたところ2017年に柴田錬三郎賞を受賞しているようです。この賞はどちらかというとエンタメ系小説への賞で、花村さんの作風からすると全部が芥川賞的作品ではないかもしれません。芥川賞受賞から関心のあるものがどんどん広がっていったのかもしれませんね。

このお返事で大丈夫でしょうか?また何かございましたらコメントいただけると嬉しいです。ありがとうございました!

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匿名

個人的に大衆文学は一度読めばいいやってなる作品が多い印象
純文学と言われるものは、手元に置いておいてもう一度ふと読みたくなる
この違いは面白さを求めているのか、美しさを感じるために求めているのかに起因している気がする

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佐藤 和代

はじめまして。コメントをありがとうございます!
確かに純文学のいいところの1つに「何度読み返しても楽しめる」ということがあると思います。読む時期で心に響く表現が違ってきたりして、面白いものですよね。

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