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【伝説の歌手】尾崎豊の生涯・年表まとめ【家族や死因、代表曲やアルバムまで紹介】

尾崎豊(おざき ゆたか)は1980年代に活躍し、「I LOVE YOU」などの名曲の数々を世に送り出して1992年に26歳という若さで早すぎる死を遂げた伝説のミュージシャンです。死後30年近く経った今でもその音楽は色あせることなく、カラオケでは定番の曲となっています。ライブ映像での気迫あふれる姿に心を動かされた方も多いのではないでしょうか。

尾崎は覚醒剤取締法違反で逮捕されたり、女優との不倫が報じられたりして世間からのバッシングを受けたこともあります。しかし、それでも人気は衰えませんでした。彼の突然の死に驚き、悲しみをぬぐえなかった方もいることでしょう。

尾崎豊

尾崎豊の亡き後もさまざまなミュージシャンが世の中に出てきているにもかかわらず、なぜいまだに彼の曲が歌われたり、ライブ映像がYoutubeで再生されたりしているのでしょうか。もちろん尾崎自身や歌に魅力があるのは間違いありませんが、それ以外にも人気の要因があります。

尾崎豊のライブ映像に魅了され、2020年公開の映画「尾崎豊を探して」を鑑賞し、アルバム「十七歳の地図」を聴きまくった筆者が彼の生涯、名言、伝説までを一挙に解説していきます。

尾崎豊とはどんな人物か

名前尾崎豊
誕生日1965年11月29日
没日1992年4月25日
生地東京都世田谷区
自衛隊中央病院
没地日本医科大学付属病院
配偶者尾崎繁美
埋葬場所埼玉県所沢市狭山湖畔霊園

尾崎豊の生涯をハイライト

尾崎豊

尾崎豊は1965年に東京都練馬区で生まれました。幼少期は順風満帆に過ごすものの、11歳で埼玉へ転校した際に学校に馴染めず、不登校となります。ちょうどこの時期にギターと出会い、有名人の曲を何度も練習するようになりました。

17歳のときに音楽の世界に飛び込もうと決心し、オーディションを受けて見事に合格します。ここからデビューし、一気にスター街道を駆け上がっていくのでした。1983年に初のアルバム「十七歳の地図」を発表、1985年には屋外ライブで大勢の観客を動員、そして、アルバム「回帰線」ではオリコンチャート1位を獲得します。

20歳になると音楽の方向性を見失い、無期限活動休止を発表しますが、1年半でカムバックを果たします。しかし、その年の暮れには覚醒剤取締法違反で逮捕されました。

その後、結婚、東京ドームライブ、息子の誕生、アルバム「誕生」の発売、女優との不倫と激動の人生を歩んでいきますが、1992年4月、26歳という若さで夭折してしまうのでした。尾崎豊の葬儀には37000人ものファンが押し寄せたそうです。

両親と5歳上の兄のもとに生まれる

尾崎豊の息子・尾崎裕哉

尾崎豊は父、母、兄のもとに生まれた4人家族でした。父は陸上自衛隊に勤務しており、晩年は尾崎豊に関する本を数多く出版しています。1965年11月29日、母・絹枝との間に次男として尾崎豊をもうけます。5歳上の兄・尾崎康は現在も弁護士として活躍中です。

尾崎豊は1988年5月12日に一般女性と結婚し、その1年後に息子・裕哉が誕生しています。尾崎裕哉は父・豊の後を追ってシンガーソングライターとして現在活動中です。

数々の名曲を生み出したシンガーソングライター

シングル「 I LOVE YOU」

尾崎豊の名曲はたくさんあってしぼることができませんが、やはり「I LOVE YOU」は尾崎の代表曲といえるでしょう。「I LOVE YOU」はもともと「十七歳の地図」に収録されていた曲で、1991年にシングルカットして発売されました。

この曲は映画やドラマ、CMなどにも起用され、2014年の映画「ホットロード」、ドラマ「北の国から」、JR東海や日清食品のCMなどにも使用されていました。長期にわたって愛されている曲で、カラオケのランキングでは現在も上位にランクインしているのです。世界各国の言語に訳され、世界中で売れているこのCDの売り上げは1000万枚を超えると言われています。

「I LOVE YOU」の他には、シングル「OH MY LITTLE GIRL」がミリオンヒットでオリコン1位、アルバムでは「回帰線」「誕生」「放熱への証」がオリコン1位、「街路樹」が2位を記録するなど、その人気ぶりがうかがえます。

井上陽水らに影響を受けて音楽を始める

ジャクソン・ブラウン
「ランニング・オン・エンプティ(孤独なランナー)」

11歳で埼玉県に引っ越した尾崎豊は、転入した小学校に馴染めず不登校状態になってしまいます。そのころは家で兄のギターを弾いて過ごしていたそうです。特に井上陽水の曲に惹かれ、ギターでコピーしていたといいます。

中学生のときに作曲をはじめ、高校生のときには大きな影響を受けることになるアーティストと出会いました。アメリカのシンガーソングライター、ジャクソン・ブラウンです。ブラウンの『ランニング・オン・エンプティ』をジャケット買いした尾崎は、その音楽性や世界観に感銘を受けました。

ブラウンに影響を受けて誕生したのがアルバム『十七歳の地図』に収録されている「街の風景」「ダンスホール」です。

実はビクターのオーディションで「街の風景」を歌ったとき、審査員から「長すぎる」と言われたことからオーディションに不信感をもった尾崎は、次に控えていたSDオーディションはすっぽかそうとしていました。けれども後に尾崎をプロデュースすることになる名プロデューサー・須藤晃らは尾崎の楽曲に衝撃を受けていて、会場に現れなかった尾崎に電話をかけてオーディションを受けさせた、というエピソードが残っています。

さまざまなアーティストから楽曲がカバーされている

Mr.childrenらが参加したトリビュートアルバム「”BLUE” A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI」

尾崎豊は亡くなった後もさまざまなアーティストに影響を与え続けています。楽曲もカバーされていて、没後12年が経った2004年には「BLUE」「GREEN」の2枚のトリビュートアルバムが発売されました。

特に「I LOVE YOU」は世界各国でカバーされていて、カバー曲まで含めた総売り上げは全世界で1000万枚にのぼるといわれています。

死因は肺水腫

肺水腫で亡くなる

尾崎豊は1992年4月25日に26歳の若さで亡くなっています。その日の朝方、泥酔状態になっている尾崎を近所の住民が発見しました。体に傷が多数見つかるなど、ただごとではないと状態だったので、病院へと運ばれました。

病院で治療を受け、一旦自宅へと戻りますが、容体が急変し再度病院へ運ばれます。その後大学病院へと搬送されますが、治療の甲斐なく息を引き取ってしまいます。司法解剖によると死因は肺水腫でした。そして、この肺水腫の原因が覚醒剤(メタンフェタミン)の大量服用によるものと考えられています。

尾崎豊の功績

功績1「初の野外単独ライブで26000人の動員」

大阪球場ライブのチケット

尾崎豊は1985年8月初の屋外単独ライブとなる「大阪球場ライブ」を開催します。「米軍キャンプ」から始まり、「ダンスホール」「卒業」「I LOVE YOU」「シェリー」など数々の名曲を歌い上げました。

尾崎の魂を削るような歌い方はこのころから見られており、最終的には声がかすれてしまうようなライブも見受けられるほどです。この大阪球場ライブでは26000人もの観客が押し寄せました。

功績2「一夜限りの復活ライブでは56000人の動員」

東京ドーム公演で56000人を動員

覚醒剤取締法違反にて逮捕後、1988年6月にはテレビにて復帰を果たし、「太陽の破片」を歌います。尾崎の人気は逮捕後もとどまることを知らず、ファンは尾崎のライブを待ち望んでいました。9月にはアルバム「街路樹」が発売され、オリコンチャートで2位を記録するなど尾崎の復活を印象づけています。

そして、9月12日に東京ドームで一夜限りの復活ライブ「LIVE CORE」が開催されます。このライブには56000人もの観衆が押し寄せました。尾崎人気健在を改めて認識するイベントとなったのです。

功績3「死後にリリースされた『OH MY LITTLE GIRL』がミリオンヒット 」

OH MY LITTLE GIRL

尾崎の死から約2年後の1994年1月21日にシングル「OH MY LITTLE GIRL」が発売されます。最終的に107万枚の売り上げとなり、尾崎のCDの中では最も売れた楽曲となりました。フジテレビ系のドラマ「この世の果て」に起用されたことも人気の後押しをしています。

また2001年公開の映画「LOVE SONG」では「Forget-me-not」とともに主題歌として起用、2014年には映画「ホットロード」の主題歌として使用されています。現在でもカラオケランキングで100位以内に入るなど長期にわたって愛されている名曲です。

尾崎豊の名言

「自分で何かやりたいなと思ったとき、やっぱり最初に言葉があった。」

「I LOVE YOU」の「きしむベッドの上で優しさを持ち寄り」などはとても17歳が考える歌詞だとは思えません。素晴らしい言葉の表現力の持ち主ですよね。

音楽を通じてシンガーソングライターとして人々に感動を与えて来た尾崎らしい名言です。

「僕は生きていくこと自体、誰もが意味あることをなしているんだと思うし、そういったものに結論がつかない限り、僕は愛っていうものを信じて歌っていく人間でありたい。」

「僕が僕であるために」という曲では「正しいものはなんなのか、それがこの胸に分かるまで」という歌詞があり、「人はそれぞれ何が自分に意味があることか」模索しながら生きているのだということを教えてくれます。

「人と人との愛情は揺らぐことはない」と歌い続けた尾崎は生涯、愛だけを信じていたのかもしれません。

「なんか親って、大人ってそうやって臭いものにすぐ蓋をかぶせて物事をわかったような気になろうとしてるけど、本当はそうじゃないと思うんだ。もっと大切なことってあると思うんだ。」

「15の夜」や「卒業」などの曲では若者が大人に対して感じる理不尽さなどを歌っていますが、その思いがこの言葉に現れているような気がします。

「卒業」では「先生、あなたはか弱き大人の代弁者なのか、俺たちの怒りどこへ向かうべきなのか」という歌詞があり、尾崎は常に弱い者の気持ちを代弁していたからこそ、多くの人にその歌詞が響いたのかもしれません。

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