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尾崎豊の生涯・年表まとめ【名曲やアルバムは勿論、武勇伝や死因まで】

尾崎豊は1980年代に活躍し、「I LOVE YOU」などの名曲を生み出し、1992年に26歳という若さで余りにも早すぎる死を遂げた伝説のミュージシャンです。死後30年近く経った今でもその音楽は色あせることがなく、カラオケでは定番の曲となっています。ライブ映像での気迫あふれる姿に心を動かされた方も多いのではないでしょうか。

尾崎は覚醒剤取締法違反で逮捕されたり、女優との不倫が報じられたりして世間からのバッシングを受けたこともありますが、それでも人気は衰えませんでした。そして、突然の死には驚き、悲しみをぬぐいきれなかった方もいるかと思います。

尾崎豊

尾崎豊の亡き後も様々なミュージシャンが世の中に出てきている中、いまだに彼の曲が歌われたり、ライブ映像がYoutubeで再生されたりしているのでしょうか。もちろん尾崎自身や歌に魅力があるのは間違いありませんが、それ以外にも人気の要因があります。

尾崎豊のライブ映像に魅了され、2020年公開の映画「尾崎豊を探して」を鑑賞し、アルバム「十七歳の地図」を聴きまくった筆者が尾崎豊の生涯、名言、伝説までを一挙に解説していきます。

尾崎豊とはどんな人物か

名前尾崎豊
誕生日1965年11月29日
没日1992年4月25日
生地東京都世田谷区
自衛隊中央病院
没地日本医科大学付属病院
配偶者尾崎繁美
埋葬場所埼玉県所沢市狭山湖畔霊園

尾崎豊の生涯をハイライト

尾崎豊

尾崎豊は東京都練馬区で生まれ、幼少期は順風満帆に過ごすものの、11歳で埼玉へ転校した際に学校に馴染めず、不登校となります。ちょうどこの時期にギターと出会い、有名人の曲を何度も練習するようになりました。

17歳の時に音楽の世界に飛び込もうと決心し、オーディションを受け、見事に合格を果たします。ここからデビューし、一気にスター街道を駆け上がっていくのでした。1983年に初のアルバム「十七歳の地図」を発表、1985年には屋外ライブで大勢の観客を動員、そして、アルバム「回帰線」ではオリコンチャート1位を獲得します。

20歳になると音楽の方向性を見失い、無期限活動休止を発表しますが、1年半でカムバックを果たします。しかし、その年の暮れには覚醒剤取締法違反で逮捕されました。

その後、結婚、東京ドームライブ、息子の誕生、アルバム「誕生」の発売、女優との不倫と激動の人生を歩んでいきますが、1992年4月、26歳という若さで夭折してしまうのでした。尾崎豊の葬儀には37000人ものファンが押し寄せたそうです。

尾崎豊の息子や妻など、家族構成は?

尾崎裕哉

尾崎豊の家族構成は父、母、兄の4人家族です。父は陸上自衛隊に勤務しており、晩年は尾崎豊に関する本を数多く出版しました。1965年11月29日、母・絹枝との間に次男として尾崎豊をもうけます。5歳上の兄、尾崎康は現在も弁護士として活躍中です。

尾崎豊は1988年5月12日に一般女性と結婚し、その一年後に尾崎裕哉が誕生しています。尾崎裕哉は父・豊の後を追ってシンガーソングライターとして現在も活動中です。

尾崎豊の名曲やおすすめアルバムは?

シングル「 I LOVE YOU」

尾崎豊の名曲はたくさんあり、絞ることができませんが、やはり「I LOVE YOU」は尾崎の代表曲と言えるでしょう。「I LOVE YOU」はもともと「十七歳の地図」に収録されていた曲で、1991年にシングルカットして発売されました。

この曲は映画やドラマ、CMなどにも起用され、2014年の映画「ホットロード」、ドラマ「北の国から」、JR東海や日清食品のCMなどにも使用されていました。長期にわたって愛されている曲で、カラオケのランキングでは現在も上位にランクインしているのです。世界各国の言語に訳され、世界中で売れているこのCDの売り上げは1000万枚を超えると言われています。

「I LOVE YOU」の他には、シングル「OH MY LITTLE GIRL」がミリオンヒットでオリコン1位、アルバムでは「回帰線」、「誕生」、「放熱への証」がオリコン1位、「街路樹」が2位を記録するなどその人気が伺える内容となっています。

尾崎豊の死因は?

尾崎豊

尾崎豊は1992年4月25日に26歳の若さで亡くなっています。当日の朝方、泥酔状態になっている尾崎を近所の住民が発見します。体に傷が多数見つかるなど、ただ事ではないと思われたので、病院へと運ばれることになりました。

病院で治療を受け、一旦自宅へと戻りますが、容体が急変し再度病院へ運ばれます。その後大学病院へと搬送されますが、治療の甲斐もむなしく、息を引き取ってしまいます。司法解剖によると死因は肺水腫でした。そして、この肺水腫の原因が覚醒剤(メタンフェタミン)の大量服用によるものと考えられています。

尾崎豊の功績

功績1「初の野外単独ライブで26000人の動員」

尾崎豊 大阪球場ライブチケット

尾崎豊は1985年8月初の屋外単独ライブとなる「大阪球場ライブ」を開催します。「米軍キャンプ」から始まり、「ダンスホール」、「卒業」、「I LOVE YOU」、「シェリー」など数々の名曲を歌い上げていきます。

尾崎の魂を削るような歌い方はこの頃から見られており、最終的には声がかすれてしまうようなライブも見受けられるほどです。この大阪球場ライブでは26000人もの観客が押し寄せました。

功績2「1988年の東京ドーム一夜限りの復活ライブでは56000人の動員」

尾崎豊 東京ドーム公演

覚醒剤にて逮捕後、1988年6月にはテレビにて復帰を果たし、「太陽の破片」を歌います。尾崎人気は逮捕後もとどまることを知らず、ファンは尾崎のライブを待ち望んでいました。9月にはアルバム「街路樹」が発売され、オリコンチャートで2位を記録するなど尾崎の復活を印象付けます。

そして、9月12日に東京ドーム一夜限りの復活ライブ「LIVE CORE」が開催されます。このライブには56000人もの観衆が押し寄せました。尾崎人気健在を改めて認識するイベントとなったのです。

功績3「死後にリリースされた『OH MY LITTLE GIRL』がミリオンヒット 」

OH MY LITTLE GIRL

尾崎の死後約2年後の1994年1月21日にシングル「OH MY LITTLE GIRL」が発売されます。最終的に107万枚の売り上げとなり、尾崎のCDの中では最も売れた楽曲となりました。この当時、フジテレビ系のドラマ「この世の果て」に起用されたことも人気の後押しをしたのです。

また2001年公開の映画「LOVE SONG」では「Forget-me-not」とともに主題歌として起用、2014年には映画「ホットロード」の主題歌として使用されています。現在でもカラオケランキングで100位以内に入るなど長期にわたって愛されている名曲です。

尾崎豊の名言

「自分で何かやりたいなと思ったとき、やっぱり最初に言葉があった。」

「I LOVE YOU」の「きしむベッドの上で優しさを持ち寄り」などはとても17歳が考える歌詞だとは思えません。素晴らしい言葉の表現力の持ち主ですよね。

音楽を通じてシンガーソングライターとして人々に感動を与えて来た尾崎らしい名言です。

「僕は生きていくこと自体、誰もが意味あることをなしているんだと思うし、そういったものに結論がつかない限り、僕は愛っていうものを信じて歌っていく人間でありたい。」

「僕が僕であるために」という曲では「正しいものはなんなのか、それがこの胸に分かるまで」という歌詞があり、「人はそれぞれ何が自分に意味があることか」模索しながら生きているのだということを教えてくれます。

「人と人との愛情は揺らぐことはない」と歌い続けた尾崎は生涯、愛だけを信じていたのかもしれません。

「なんか親って、大人ってそうやって臭いものにすぐ蓋をかぶせて物事をわかったような気になろうとしてるけど、本当はそうじゃないと思うんだ。もっと大切なことってあると思うんだ。」

「15の夜」や「卒業」などの曲では若者が大人に対して感じる理不尽さなどを歌っていますが、その思いがこの言葉に現れているような気がします。

「卒業」では「先生、あなたはか弱き大人の代弁者なのか、俺たちの怒りどこへ向かうべきなのか」という歌詞があり、尾崎は常に弱い者の気持ちを代弁していたからこそ、多くの人にその歌詞が響いたのかもしれません。

尾崎豊にまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「尾崎の死の直後、オリコンチャートを尾崎の歌が独占」

尾崎の死後のオリコンチャート

1992年に尾崎が亡くなった直後、CDやアルバムが急激に売れる現象が起こり、尾崎の死後1ヶ月後のオリコンチャートではアルバム部門でTOP10のうち6作品が尾崎のCDで埋められるという事態が発生しました。

TOP10に入ったのは1位「放熱への証」、4位「回帰線」、5位「十七歳の地図」、6位「LAST TEENAGE APPEARANCE」、7位「壊れた扉から」、9位「誕生」です。そして14位には「街路樹」がランクインしています。尾崎の与えた影響の大きさがよくわかるランキングとなっています。

都市伝説・武勇伝2「高校の教科書に『15の夜』が載っている」

15の夜

尾崎がライブで欠かさずに歌っていた名曲です。「盗んだバイクで走り出す、行先もわからぬまま」というフレーズは、いまだに口ずさめば多くの人が尾崎の歌だと気づくキャッチーなフレーズとなっています。

当時は過激な開始の内容が議論を呼びましたが、数十年の時を経て、高校の教科書に載る名曲となっています。

この歌は、当時14歳の尾崎が友達から、「中学校の教師に反抗し、家出を敢行した」という話を聞いて、その経験に基づいて作詞されています。そのため、もともとは「14の夜」になる予定でしたが、語呂が良いため「15の夜」になったそうです。

ちなみに「盗んだバイク」で走り出したのは尾崎ではなく、友人だということが後日談でわかっています。

尾崎豊の簡単年表

1965年 - 0歳
尾崎豊誕生

1965年11月29日、父・健一と母・絹枝の間に尾崎家の次男として、東京都世田谷区自衛隊中央病院にて生を受けます。尾崎には5歳年上のお兄さんがいます。

1972年 - 7歳
練馬区立田柄第二小学校に入学

幼少期は練馬区で育ち、練馬区立田柄第二保育園に通っていました。小学校は練馬区立田柄第二小学校に通うことなります。

1976年 - 11歳
埼玉県朝霞市へ引っ越し

11歳の時には埼玉県朝霞市へ転居し、朝霞私立第二小学校へ転校となります。しかし、転校先の小学校になじめず、毎日登校する振りをしていました。

1977年 - 12歳
初めてギターに触れる

兄が使っていたギターを使用し、井上陽水やさだまさしなどの曲を練習するようになりました。この頃には不登校の期間が半年にもなっていましたが、音楽だけが尾崎の心の拠り所だったのです。

1978年 - 13歳
練馬区立練馬東中学校に入学

学区内ではないのですが、尾崎本人の希望により練馬区の中学校へ入学することとなります。中学三年生時は生徒会副会長や文化祭の実行委員長を務めました。

1980年 - 15歳
喫煙による停学処分

学校の生徒たちのまとめ役を買うなどリーダー的な存在ではありましたが、喫煙をしていることが学校側にばれ、停学処分が下されます。

1981年 - 16歳
青山学院高等部へ入学

高校受験で慶應義塾志木高校と青山学院高等部を受験し、青山学院高等部に合格します。また、父親が陸上自衛隊に所属していたこともあり、自身も自衛隊少年学校を受験し、見事に合格を果たしました。しかし、規則が厳しいことを理由に青山学院高等部への入学を決めます。

1982年 - 17歳
無期限停学処分

高校生活でも喫煙を続け、さらにはオートバイの事故、同級生の急性アルコール中毒などが重なり、学校側から無期限停学処分を言い渡されます。その後、出席日数が足りずに留年となりますが、自主的に退学を申し出ました。

1982年 - 17歳
CBSソニーのオーディションに合格

音楽の世界で勝負しようと決意した尾崎はいくつかのオーディションを受け、CBSソニー主催のオーディションに見事合格します。この時に送った曲は「ダンスホール」、「もうおまえしか見えない」などでした。

1983年 - 18歳
アルバム「十七歳の地図」を発表

1983年12月にアルバム「十七歳の地図」を発表し、「15の夜」で歌手デビューを果たします。「十七歳の地図」では尾崎の憧れであった浜田省吾のバンドからもメンバーが起用されました。

1984年 - 19歳
初めてのライブツアーを開催

尾崎自身初めてのライブツアー「LIVE HOUSE APPEARANCE」を開催します。このツアーは6大都市を巡る大規模なツアーとなりました。この当時は「社会への反抗」がテーマの曲が多かったため、マスコミからは「10代の教祖」と呼ばれています。

1985年 - 20歳
初の野外単独ライブでの大観衆

この歳に発表したシングル「卒業」の一部の歌詞が過激であったため、話題となります。そして8月に行われた大阪球場でのライブに26000人もの観客が押し寄せます。

1986年 - 21歳
福岡国際センターでのライブを機に無期限活動停止を発表

人気が絶頂となっていた尾崎ですが、自身の人間としての成長と音楽作品の方向性に悩み、福岡でのライブを最後に無期限活動停止を発表します。ニューヨークで半年ほど過ごし、日本へと帰国しましたが、新たな道筋は決まっておらず、アルバム制作も何度も中止となりました。

1987年 - 22歳
ライブツアー再開も体調不良により倒れる

約一年半ぶりにライブツアーを復活させましたが、9月の終わりに倒れ、そのままツアーが中止となってしまいます。10月にはライブアルバム「LAST TEENAGE APPEARANCE」を発表しました。

1987年 - 22歳
覚醒剤取締法違反容疑で逮捕

1987年ライブ前に倒れ、ライブツアーが中止になった年の暮れに、覚醒剤取締法違反により逮捕されます。バンドメンバーとも仲違いをし、精神的に追い詰められていきます。

1988年 - 23歳
一般女性との結婚

覚醒剤取締法違反の容疑で1月に予定されていた日本武道館公演も中止となりました。2月には覚醒剤事件の判決が下され、懲役1年6ヶ月、執行猶予3年が言い渡され、釈放となります。その年の5月には一般女性と結婚する運びとなりました。

1988年 - 23歳
太陽の破片」がヒット

復帰後に発表したシングル「太陽の破片」がヒットし、フジテレビ系列の「夜のヒットスタジオ」にテレビ初出演。9月には東京ドームでのライブを開催し、56000人の観客を動員しました。

1989年 - 24歳
尾崎裕哉誕生

1989年7月には長男となる尾崎裕哉が誕生します。

1990年 - 25歳

CBSソニーに再度所属することとなり、アルバム「誕生」を発表します。このアルバムがオリコンで1位を記録し、尾崎の復活を印象付けました。一方で、人間への猜疑心が拭えず、仕事をほぼ全て1人で引き受けていたので精神的に追い詰められ、自殺を測るようにもなります。

1991年 - 26歳
斉藤由貴との不倫

斉藤由貴との不倫が発覚しますが、10月には別れたことが報じられます。この年の3月にはシングル「I LOVE YOU」が発表されました。そして、10月には生涯最後となるライブを行います。

1992年 - 26歳
26歳という若さでの夭折

1992年4月25日、東京都足立区の民家にて泥酔状態の尾崎が発見されます。直ちに病院へと運び込まれましたが、一度自宅へ帰宅することとなります。自宅では躁鬱のような状態を繰り返していましたが、突然容体が急変し、再び病院へ運ばれましたが、そのまま帰らぬ人となりました。

尾崎豊の年表

1965年 – 0歳「尾崎豊の誕生」

尾崎豊「誕生」

自衛隊中央病院で生まれる

父が陸上自衛官として働いていたこともあり、東京都世田谷区の自衛隊中央病院にて尾崎豊は生まれます。1965年11月29日のことです。5歳年上の兄とともに東京都練馬区で育ち、練馬区立田柄第二保育園を経て、立田柄第二小学校へと入学しました。

埼玉県への転居、不登校

11歳までは練馬区立田柄第二小学校へ通いましたが、1976年8月に埼玉県朝霞市へと転居します。それに伴い、朝霞市立第二小学校へ入学しますが、学校に馴染むことができずに、不登校となります。両親へは登校するそぶりを見せていましたが、実際には両親のいない間を見計らって家に帰り、不登校のような状態が続いていました。

ちょうどこの時期に兄の持っていたクラシック・ギターを借りて音楽の練習をするようになりました。学校に通わず、空いた時間で井上陽水やさだまさしなどの曲を繰り返し練習していたようです。

1982年 – 17歳「CBSソニーのオーディションに合格」

オーディション時の尾崎豊

青山学院高等部へ入学

高校受験は慶應大学付属志木高校と青山学院高等部を受験、さらには自衛隊少年学校も受験し、約20倍の倍率をくぐり抜け合格を果たします。自衛隊は規則が厳しいということもあって、尾崎は青山学院高等部への入学を決意します。

しかし、青山学院高等部では素行不良により、無期限の停学処分を受けることとなりました。その影響もあって、出席日数が足りず、留年が確定してしまいます。尾崎は自主的に退学を申し立て、青山学院高等部は中退という扱いとなっています。

オーディションに合格し、音楽の世界へ

「ダンスホール」、「もうおまえしか見えない」など計4曲が収録されたカセットテープをCBSソニーへと送り、オーディションを受けることになります。そして、見事に合格し、1982年の最優秀アーティストにも選ばれました。

翌年の1983年にはアルバム「十七歳の地図」とシングル「15の夜」を発表し晴れてメジャーデビューを果たします。

1985年 – 20歳「初の野外単独ライブで大成功、しかしその後の無期限活動停止」

尾崎豊 大阪球場 「ダンスホール」熱唱時

大阪球場に26000人を動員

尾崎は1984年の6大都市ツアー「LIVE HOUSE APPEARANCE」を成功させると、その翌年の1月にはシングル「卒業」を発表します。この曲の歌詞が一部過激であることが話題になりました。そして、アルバム「回帰線」は初登場でオリコンチャート1位を獲得します。

1985年8月に行われた大阪球場野外単独ライブでは26000人もの観客を動員し、話題となります。その後の11月の代々木オリンピックで行われたライブでも30000人の聴衆を動員しました。

音楽の方向性模索のため無期限活動停止を発表

1986年元日に行われた福岡国際センターのライブ終了後に突然の無期限活動休止を発表します。理由は、今までの楽曲と大人になった自分の楽曲の方向性との違いを認識し、どのような曲を生み出せばいいのか悩み、結果として音楽を作り出せなくなってしまったことです。

約半年間の間、アメリカのニューヨークに滞在し、1986年の暮れに日本へ戻ってきますが、自分の中での葛藤は解決されず、新しいアルバムの制作も何度か頓挫します。

1987年 – 22歳「1年半ぶりの復帰からの覚醒剤取締法違反で逮捕」

尾崎豊 出所時

ライブツアーを約1年半ぶりに敢行

ニューヨークから帰国後、アルバムや新曲の制作を予定しますが、結局何も生み出せないままに約一年半ぶりとなるライブツアーを開催することとなります。しかし、9月の終わりのライブで疲労から倒れてしまい、その年のライブは中止となりました。

10月には尾崎自身初となるライブアルバム「LAST TEENAGE APPEARANCE」が発売されます。1月には日本武道館公演を行うことが決定しました。

覚醒剤取締法違反で逮捕

1987年の12月22日、覚醒剤取締法違反容疑にて逮捕されます。2月に判決が行われ、懲役1年6ヶ月、執行猶予3年となりました。その後、東京拘置所から釈放されます。

この逮捕劇の影響で初の日本武道館公演は中止となってしまうのでした。

1988年 – 23歳「結婚、そして、復活ライブ」

東京ドーム復活ライブ

一般女性と結婚

1988年5月12日、一般女性と入籍します。2人の出会いはこの約3年ほど前で尾崎が20歳、お相手の女性が18歳でした。ちょうど無期限活動停止の時期と被っています。

そして、結婚してから一年後の1989年7月24日には長男・尾崎裕哉が誕生しました。

東京ドームで一夜限りの復活ライブ

1988年9月12日、一夜限りの復活ライブ「LIVE CORE」を東京ドームで開催し、56000人もの観客動員します。このライブの前にはアルバム「街路樹」も発売しており、尾崎の復帰を印象付けるイベントとなりました。

また、尾崎がテレビ出演を果たしたのは生涯で一回のみで、1988年6月22日、フジテレビ系番組「夜のヒットスタジオ」にて「太陽の破片」を歌った時だけです。

1990年 – 25歳「アルバム「誕生」がオリコン1位を記録」

アルバム「誕生」

所属事務所の変更、そしてアルバム「誕生」の発売

1990年の1月には浜田省吾の在籍するROAD&SKYへ移籍します。そして11月にアルバム「誕生」を発売することとなりました。このアルバムはオリコンチャートにて1位を記録し、尾崎豊の人気を再認識させるCDとなったのです。

しかし、この時期、周囲の人間が信じられないという状況にさいなまれ、自殺を図るなど、再び精神的に追い詰められて行きました。

斉藤由貴との不倫

1991年3月に雑誌の対談で面会した斉藤由貴と不倫をしていることが報じられます。奥さんとの離婚までは進みませんでしたが、ここから、マスコミのバッシング、交友範囲の狭小化、母親の死などが重なり、精神的に非常に不安定になっていきました。

1992年 – 26歳「薬物などによる肺水腫により急逝」

尾崎豊 墓

26歳という若さでの夭折

1992年4月25日、尾崎の自宅マンション近くの民家で泥酔状態になっている尾崎が発見されます。状態が危険と判断され、近くの病院へ運ばれますが、家族の判断により一度帰宅しました。その後も暴れたり静かになったりを繰り返していましたが、突然容体が急変したため、再び病院へ運ばれます。

元の病院で初期治療を受けた後に日本医科大学病院へと紹介されましたが、治療の甲斐もむなしく、午後0時6分に息を引き取ってしまうのです。

4月30日に東京都の護国寺にて葬儀が行われましたが、参列者の数は37000人と、美空ひばりの葬儀と同じくらいの人数が訪れたそうです。

尾崎豊の関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

尾崎豊 覚え書き

こちらの本は尾崎豊を発掘した音楽プロデユーサーの須藤晃が書いた尾崎に関する覚え書き的書籍です。尾崎と出会ってから、彼を育て、レコーディングを共にし、一般の人には知られていない素顔に触れてきた須藤プロデューサーだからこそ書ける内容となっています。

弟尾崎豊の愛と死と

この本は尾崎豊の兄である尾崎康が書いた書籍です。尾崎豊の兄弟というものすごく近い存在だったからこそ感じられる豊の素顔や家族思いのエピソードなどをユーモアを交えて表現しています。謎も多い尾崎豊の生涯を近しい人なりに分析をして私たちに伝えてくれている一冊です。

尾崎豊写真集 I LOVE YOU

尾崎豊はその端正な顔立ちでも人気を集め、特に若い女性からの支持が多かったようです。こちらの本は尾崎豊の写真集となっています。尾崎が亡くなるまでに撮影された約10万点の写真の中から選りすぐって編集された一冊です。

こちらの記事で尾崎豊の本をさらに詳しく紹介しているので、見てみてください。

尾崎豊をよく知れるオススメ本6選【小説から詩集、伝記まで】

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尾崎豊ー僕が僕であるために

尾崎豊のライブ映像です。この優しそうな目が人を惹きつけます。現代のアーティストでここまで魂を削って歌っている人がどのくらいいるのでしょうか。尾崎豊は現代風のアーティストではなく「歌手」だったと再確認できる映像です。

尾崎豊 15の夜 歌詞つき

こちらも尾崎豊のライブ映像となっています。現在では高校の教科書にも載っている「15の夜」ですが、やはり歌詞にはインパクトがあります。尾崎の歌う姿も気迫に満ち溢れています。たった1人でこれだけの観衆を湧かせている姿を今は見られないと思うと残念で仕方がありません。

おすすめのDVD

LIVE CORE 完全版ーYUTAKA OZAKI IN TOKYO DOME 1988・9・12

1988年9月12日に行われた東京ドームでの復活ライブの様子を収めたDVDです。50000人以上を動員したライブ映像をノーカットで見ることができます。この東京ドームライブ「LIVE CORE」で行われた全26曲を全て聞くことができ、当時の盛り上がり方を感じながら楽しめます。

OZAKI・19

こちらは1985年8月に行われた尾崎自身初の屋外ライブの映像です。大阪球場でのこのライブでは初の野外公演にも関わらず、26000人ものファンが押し寄せています。「15の夜」、「シェリー」、「I LOVE YOU」など尾崎の代表曲を存分に堪能できます。

おすすめアルバム

十七歳の地図

10代の教祖と言われていた時代の尾崎の代表曲が多く収録されています。「I LOVE YOU」、「OH MY LITTLE GIRL」などの尾崎最大のヒット曲をはじめ、「15の夜」、「僕が僕であるために」など誰もが聞いたことのある楽曲で構成されています。

ALL TIME BEST

尾崎の26年の人生の中で発表された楽曲のうちでファンからの評価が高い14曲を収録しています。尾崎豊のデビュー30周年を記念して製作されたベストアルバムとなっています。初回限定版には今まで公開されなかった尾崎の様子がDVDに収められて、CDと一緒に販売されています。

尾崎豊についてのまとめ

尾崎豊は1983年に17歳という年齢でデビューを果たし、「I LOVE YOU」、「OH MY LITTLE GIRL」などいまだに愛され続けている名曲を生み出しています。

覚醒剤取締法違反など精神的に不安定な面もあり、26歳という若さで急逝してしまいましたが、尾崎の伝えたかったメッセージは現代の私たちにも受け継がれているのではないでしょうか。

今回の記事で尾崎豊に興味を持っていただけたら幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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