【伝説の歌手】尾崎豊の生涯・年表まとめ【家族や死因、代表曲やアルバムまで紹介】

尾崎豊の簡単年表

1965年 – 0歳
尾崎豊誕生

1965年11月29日、父・健一と母・絹枝の間に尾崎家の次男として、東京都世田谷区自衛隊中央病院にて生を受けます。尾崎には5歳年上のお兄さんがいます。

1972年 – 7歳
練馬区立田柄第二小学校に入学

幼少期は練馬区で育ち、練馬区立田柄第二保育園に通っていました。小学校は練馬区立田柄第二小学校に通うことなります。

1976年 – 11歳
埼玉県朝霞市へ引っ越し

11歳の時には埼玉県朝霞市へ転居し、朝霞私立第二小学校へ転校となります。しかし、転校先の小学校になじめず、毎日登校する振りをしていました。

1977年 – 12歳
初めてギターに触れる

兄が使っていたギターを使用し、井上陽水やさだまさしなどの曲を練習するようになりました。この頃には不登校の期間が半年にもなっていましたが、音楽だけが尾崎の心の拠り所だったのです。

1978年 – 13歳
練馬区立練馬東中学校に入学

学区内ではないのですが、尾崎本人の希望により練馬区の中学校へ入学することとなります。中学三年生時は生徒会副会長や文化祭の実行委員長を務めました。

1980年 – 15歳
喫煙による停学処分

学校の生徒たちのまとめ役を買うなどリーダー的な存在ではありましたが、喫煙をしていることが学校側にばれ、停学処分が下されます。

1981年 – 16歳
青山学院高等部へ入学

高校受験で慶應義塾志木高校と青山学院高等部を受験し、青山学院高等部に合格します。また、父親が陸上自衛隊に所属していたこともあり、自身も自衛隊少年学校を受験し、見事に合格を果たしました。しかし、規則が厳しいことを理由に青山学院高等部への入学を決めます。

1982年 – 17歳
無期限停学処分

高校生活でも喫煙を続け、さらにはオートバイの事故、同級生の急性アルコール中毒などが重なり、学校側から無期限停学処分を言い渡されます。その後、出席日数が足りずに留年となりますが、自主的に退学を申し出ました。

1982年 – 17歳
CBSソニーのオーディションに合格

音楽の世界で勝負しようと決意した尾崎はいくつかのオーディションを受け、CBSソニー主催のオーディションに見事合格します。この時に送った曲は「ダンスホール」、「もうおまえしか見えない」などでした。

1983年 – 18歳
アルバム「十七歳の地図」を発表

1983年12月にアルバム「十七歳の地図」を発表し、「15の夜」で歌手デビューを果たします。「十七歳の地図」では尾崎の憧れであった浜田省吾のバンドからもメンバーが起用されました。

1984年 – 19歳
初めてのライブツアーを開催

尾崎自身初めてのライブツアー「LIVE HOUSE APPEARANCE」を開催します。このツアーは6大都市を巡る大規模なツアーとなりました。この当時は「社会への反抗」がテーマの曲が多かったため、マスコミからは「10代の教祖」と呼ばれています。

1985年 – 20歳
初の野外単独ライブでの大観衆

この歳に発表したシングル「卒業」の一部の歌詞が過激であったため、話題となります。そして8月に行われた大阪球場でのライブに26000人もの観客が押し寄せます。

1986年 – 21歳
福岡国際センターでのライブを機に無期限活動停止を発表

人気が絶頂となっていた尾崎ですが、自身の人間としての成長と音楽作品の方向性に悩み、福岡でのライブを最後に無期限活動停止を発表します。ニューヨークで半年ほど過ごし、日本へと帰国しましたが、新たな道筋は決まっておらず、アルバム制作も何度も中止となりました。

1987年 – 22歳
ライブツアー再開も体調不良により倒れる

約一年半ぶりにライブツアーを復活させましたが、9月の終わりに倒れ、そのままツアーが中止となってしまいます。10月にはライブアルバム「LAST TEENAGE APPEARANCE」を発表しました。

1987年 – 22歳
覚醒剤取締法違反容疑で逮捕

1987年ライブ前に倒れ、ライブツアーが中止になった年の暮れに、覚醒剤取締法違反により逮捕されます。バンドメンバーとも仲違いをし、精神的に追い詰められていきます。

1988年 – 23歳
一般女性との結婚

覚醒剤取締法違反の容疑で1月に予定されていた日本武道館公演も中止となりました。2月には覚醒剤事件の判決が下され、懲役1年6ヶ月、執行猶予3年が言い渡され、釈放となります。その年の5月には一般女性と結婚する運びとなりました。

1988年 – 23歳
「太陽の破片」がヒット

復帰後に発表したシングル「太陽の破片」がヒットし、フジテレビ系列の「夜のヒットスタジオ」にテレビ初出演。9月には東京ドームでのライブを開催し、56000人の観客を動員しました。

1989年 – 24歳
尾崎裕哉誕生

1989年7月には長男となる尾崎裕哉が誕生します。

1990年 – 25歳

CBSソニーに再度所属することとなり、アルバム「誕生」を発表します。このアルバムがオリコンで1位を記録し、尾崎の復活を印象付けました。一方で、人間への猜疑心が拭えず、仕事をほぼ全て1人で引き受けていたので精神的に追い詰められ、自殺を測るようにもなります。

1991年 – 26歳
斉藤由貴との不倫

斉藤由貴との不倫が発覚しますが、10月には別れたことが報じられます。この年の3月にはシングル「I LOVE YOU」が発表されました。そして、10月には生涯最後となるライブを行います。

1992年 – 26歳
26歳という若さでの夭折

1992年4月25日、東京都足立区の民家にて泥酔状態の尾崎が発見されます。直ちに病院へと運び込まれましたが、一度自宅へ帰宅することとなります。自宅では躁鬱のような状態を繰り返していましたが、突然容体が急変し、再び病院へ運ばれましたが、そのまま帰らぬ人となりました。

尾崎豊の年表

1965年 – 0歳「尾崎豊の誕生」

尾崎豊「誕生」

自衛隊中央病院で生まれる

父が陸上自衛官として働いていたこともあり、東京都世田谷区の自衛隊中央病院にて尾崎豊は生まれました。1965年11月29日のことです。5歳年上の兄とともに東京都練馬区で育ち、練馬区立田柄第二保育園を経て、立田柄第二小学校へと入学しました。

学校に馴染めず不登校に

11歳までは練馬区立田柄第二小学校へ通っていたのですが、1976年8月に埼玉県朝霞市へと転居しています。それにともなって朝霞市立第二小学校へ転校しましたが、学校に馴染むことができずに不登校になりました。両親へは登校するそぶりを見せていましたが、実際には両親のいないときを見計らって家に帰り、不登校のような状態が続いていました。

ちょうどこの時期、兄の持っていたクラシック・ギターを借りて音楽の練習をするようになりました。学校に通わず、空いた時間で井上陽水やさだまさしなどの曲を繰り返し練習していたようです。

1982年 – 17歳「CBSソニーのオーディションに合格」

オーディション時の尾崎豊

青山学院高等部へ入学したものの中退

高校受験は慶應大学付属志木高校と青山学院高等部を受験、さらには自衛隊少年学校も受験し、約20倍の倍率をくぐり抜け合格を果たします。自衛隊は規則が厳しいということもあって、尾崎は青山学院高等部への入学を決意します。

しかし、青山学院高等部では素行不良により、無期限の停学処分を受けることとなりました。その影響もあって、出席日数が足りず、留年が確定してしまいます。尾崎は自主的に退学を申し立て、青山学院高等部は中退という扱いとなっています。

オーディションに合格し、音楽の世界へ

「ダンスホール」「もうおまえしか見えない」など計4曲が収録されたカセットテープをCBSソニーへと送り、オーディションを受けることになります。そして見事に合格、1982年の最優秀アーティストにも選ばれました。

翌年の1983年にはアルバム「十七歳の地図」とシングル「15の夜」を発表、晴れてメジャーデビューを果たします。

1985年 – 20歳「初の野外単独ライブで大成功、しかし無期限活動停止」

尾崎豊 大阪球場 「ダンスホール」熱唱時

大阪球場に26000人を動員

尾崎は1984年の6大都市ツアー「LIVE HOUSE APPEARANCE」を成功させると、その翌年の1月にはシングル「卒業」を発表します。この曲の歌詞が一部過激であることが話題になりました。そして、アルバム「回帰線」は初登場でオリコンチャート1位を獲得します。

1985年8月に行われた大阪球場野外単独ライブでは26000人もの観客を動員しました。その後の11月に代々木オリンピックプールで行われたライブでも30000人の聴衆を動員しました。

方向性模索のため無期限活動停止を発表

1986年元日に行われた福岡国際センターのライブ終了後に、突然の無期限活動休止を発表します。これまでの楽曲と、現在の大人になった自分の楽曲の方向性の違いを認識し、どのような曲を生み出せばいいのか悩み、結果として音楽を作り出せなくなってしまったからです。

およそ半年の間、アメリカ・ニューヨークに滞在し、1986年の暮れに日本へ戻ってきます。けれども自分の中での葛藤は解決されず、新しいアルバムの制作も何度か頓挫します。

1987年 – 22歳「1年半ぶりの復帰からの覚醒剤取締法違反で逮捕」

尾崎豊 出所時

ライブツアーを約1年半ぶりに敢行

ニューヨークから帰国後、アルバムや新曲の制作を予定しますが、結局何も生み出せないままに約1年半ぶりとなるライブツアーを開催することとなります。しかし、9月の終わりのライブで疲労から倒れてしまい、その年のライブは中止となりました。

10月には尾崎自身初となるライブアルバム「LAST TEENAGE APPEARANCE」が発売されます。1月には日本武道館公演を行うことが決定しました。

覚醒剤取締法違反で逮捕

1987年の12月22日、覚醒剤取締法違反容疑にて逮捕されます。2月に裁判が行われ、懲役1年6ヶ月、執行猶予3年となりました。その後、東京拘置所から釈放されます。

この逮捕劇の影響で初の日本武道館公演は中止となってしまうのでした。

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