小説ヲタクがおすすめするオールタイムベスト83冊

ウォルトディズニーの人生・年表まとめ【名言や子孫、死因まで解説】

ウォルト・ディズニーは、世界で最も成功したアニメスタジオ「ウォルト・ディズニー・カンパニー」の創始者です。現在ウォルト・ディズニー・カンパニーは世界第2位の収益を誇る複合企業で、映画・音楽・演劇・出版など幅広いエンタメジャンルを取り扱っております。

また、ディズニー作品を取り扱った世界最大のテーマパーク「ディズニーランド」の創立や、世界中から愛されているキャラクター「ミッキーマウス」の生みの親など、世界中の子供達に多大なる影響を与えた人物として知られています。

ウォルト・ディズニー

彼は、元々はアニメーターであり、アカデミー賞において個人受賞最多記録保持者でもあります。彼が生み出した多くのキャラクター達は、世界中の子供達から愛されており、現在も「アナと雪の女王」「塔の上のラプンツェル」といった新たなキャラクター達を生み出しております。

現在のカンパニーの元になった「ディズニー・ブラザーズ社」も小さな販売会社としてスタートしました。しかし、度重なる失敗と成功を重ね、現在、ディズニーの名は世界中から注目される大企業へと成長しました。では、ウォルトディズニーはどのような人生を歩み、現在の大企業へと成長したのでしょうか。

この記事では、アニメーターであり実業家でもあったウォルトディズニーの生涯や残した作品、エピソードについて、幼少期からディズニー作品を見て育った筆者がご紹介いたします。

ウォルトディズニーとはどんな人物か

名前ウォルター・イライアス・ディズニー
誕生日1901年12月5日
没日1966年12月15日
生地アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ
没地アメリカ合衆国カリフォルニア州バーバンク
配偶者リリアン・バウンズ
埋葬場所フォレストローン・メモリアルパーク・グレンデール

ウォルトディズニーの生涯をハイライト

ミッキーを描くディズニー

はじめに、ウォルトディズニーの生涯を簡単にご紹介いたします。

彼の父、イライアス・ディズニーはアメリカ最大規模の貨物鉄道を運営するユニオン・パシフィック鉄道の鉄道員で、母のフローラ・コールは教師でした。ウォルトの幼少期は、何回も転居を繰り返しながら過ごしており、その中で動物や自然と触れ合うことで、後のディズニーのキャラクター達に繋がっていきました。

第一次世界大戦の際、フランスで衛生兵を勤めた後、アメリカへ帰国し、兄の紹介で広告会社へデザインの仕事を担当することになりました。この時に、相棒となるイラストレーター、アブ・アイワークスと出会います。その後、アイワークスと共に、「ミッキーマウス」「シリーシンフォニー」といったアニメーション作品を手掛けます。

その後、ウォルトは自身の理想を叶える場所として「ディズニーランド」の設立を計画し、1955年に開業しました。これが、後のディズニーリゾートへと繋がります。そして、第2のディズニーランドとして「ディズニーワールド」を計画するも肺癌のため65歳で逝去いたしました。

ウォルトディズニーの家族構成・子孫

ダイアン・ディズニー・ミラー

ウォルトの父親であるイライアス・ディズニーはアメリカ最大規模の貨物鉄道を運営するユニオン・パシフィック鉄道の鉄道員であり、農業や様々な事業に手を出すも上手くいかず、その影響でアメリカ各地を転々としておりました。母であるフローラ・コールは教師をしていたそうです。

兄は3人おり、中でも密接な関係だったのは、共に「ディズニー・カンパニー」を創業した3番目の兄であるロイ・O・ディズニーです。妻であるリリアン・マリーとはスタジオ内で出会い、結婚しました。その娘であるダイアン・ディズニー・ミラーはコンサートホールや博物館の設立に尽力いたしました。

ウォルトディズニーの故郷

ミズーリ州マーセリン

ウォルトディズニーはシカゴ出身ですが、4歳半の時に叔父の暮らしていたミズーリ州マーセリーンへとやってきました。この地はウォルトにとって思い出深い土地であり、家の近くにあった納屋や木などで遊び、自然や動物に触れていたことが後の作品活動に繋がりました。

マーセリーンには現在、ウォルトのホームタウンミュージアムが設立され、幼少期の暮らしなどを知ることが出来ます。また、ディズニーランド内にある「メインストリートUSA」はこの町のメインストリートがモチーフになっていて、ディズニーファンにとって聖地のひとつとなっております。

ウォルトディズニーが影響を与えた人物

手塚治虫

ディズニーの作ったアニメーションは世界中の様々な人物に影響を与えました。その中でも、とりわけ有名なのが「マンガの神様」こと手塚治虫です。手塚治虫は映画好きでディズニーの作品を繰り返し好んで見ていました。中でも、「バンビ」は朝から晩まで100回ほど映画館に通って見ていました。

他にも、手塚の作品である「メトロポリス」には、「ミキマウス・ウォルトディズニーニ」という学名のミッキーに似たネズミが登場します。また、現在は絶版となってしまいましたが手塚治虫の描いたウォルトディズニーの伝記漫画というのも存在しておりました。それだけ、ディズニーに対して強い憧れを持っていたのですね。

ウォルトディズニーの功績

功績1「ディズニーカンパニーの設立」

ウォルトディズニーカンパニー

現在、メディア複合企業としてコムキャストに次ぐ世界第2位の大企業になっているウォルトディズニーカンパニー。それを創業したのが、名前にも入っているウォルト・ディズニーです。1923年に創業した「ウォルト・ディズニー・スタジオ」をはじめ、様々な会社が併設されております。

有名なのは、アニメ部門の「トイ・ストーリー」や「ファインディング・ニモ」を制作した「ピクサースタジオ」。映画部門の「アベンジャーズ」などを制作した「マーベル・エンターテイメント」などがあります。また、著作権が厳しい事でも有名で、それに関する法律の中に「ミッキーマウス保護法」と呼ばれる法律も存在します。

功績2「ディズニーリゾートの設立」

東京ディズニーランド

日本で一番有名な遊園地と言えば「東京ディズニーランド」ですよね。ディズニーランドを含むディズニーパークは現在、全世界に5か国27か所に渡って展開しております。様々なキャラクターやアトラクション、イベントなどが開催され、「夢の国」として多くの人たちを楽しませております。

この夢の国を設立するきっかけとなったのは、娘と共に遊園地を訪れた際、親だけがベンチに座っている光景を見て、親子で楽しめる場所を建設してみたい、という思いからディズニーランドという壮大な夢を見るようになったと言われております。

功績3「ミッキーマウスの誕生」

世界でもっとも有名なネズミことミッキーマウス。ミッキーは、ウォルト・ディズニーとアブ・アイワークスの手によって生み出されたキャラクターです。ミッキーの誕生以前にも2人は「しあわせウサギのオズワルド」というキャラクターを手掛けていました。

しかし、契約上のトラブルにより、このキャラクターは別の会社へと権利を買い取られてしまいました。そこで生まれたのが、このミッキーだったのです。ちなみに、ウォルトは「モーティマー」と名付けようとしていましたが、妻であるリリアンに反対、逆にミッキーと名付けるように提案されました。

ウォルトディズニーの名言

ディズニーランドが完成することはない。世の中に想像力がある限り進化し続けるだろう。

ディズニーランドは完成するのではなく、常に進化を続けているテーマパークであるという意味の言葉です。その名の通り、ディズニーランドは毎年、様々な手法で来場者を楽しませてくれる仕掛けを作ってくれます。

夢を求め続ける勇気さえあれば、すべての夢は必ず実現できる。いつだって忘れないでほしい。すべて一匹のねずみから始まったということを。

ミッキーマウスから始まり、様々なキャラクター達を生み出したウォルトディズニースタジオに向けた言葉です。小さなきっかけから大きな夢を掴めるという希望にあふれた意味を持っています。

夢見ることができれば、それは実現できる。

ウォルトディズニーの中でもっとも有名な言葉で、「人を楽しませたい」という夢を追いかけ続けたウォルならではの言葉ですね。
夢を持っている人ならば、何か行動することで実現に近づくかもしれません。

1 2 3

コメントを残す