小説ヲタクがおすすめするオールタイムベスト83冊

ウォルト・ディズニーとは何した人?人生・歴史まとめ【名言や子孫、死因も簡単に紹介】

1927年 – 26歳「「幸せウサギのオズワルド」がヒット」

スタジオの繁栄と結婚

実写とアニメを織り交ぜた「アリスコメディシリーズ」は人気作となり、4年に渡り作品を制作いたしました。その後、軌道に乗ったブラザーズ社は新人アニメーターを雇用し、本格的なアニメスタジオを併設、「ディズニー社」として本格的に始動することとなりました。

この時期に、ウォルトは「ディズニー・スタジオ」内の「インク&ペイント」という部署で働いていた秘書のリリアン・バウンズと出会い、1925年に結婚いたします。その後、長女のダイアンを出産し、幼女のシャロンと共に仲良く暮らしておりました。

「幸せウサギのオズワルド」

1927年に、興行師のチャールズ・ミンツの紹介によりユニバーサル・ピクチャーズからの配給権を得ることになりました。この時に生まれたのが、「幸せウサギのオズワルド」というキャラクターです。この作品は実写無しのフルアニメーション作品で、合計で26本製作されました。

コミカルな動きが多く、親しみやすい姿をしていたオズワルドは、第2作目の「トロリー・トラブルズ」の公開を皮切りに、子供たちの間でヒットし、ディズニーのヒットキャラクターとなりました。ちなみに、第1作目の「かわいそうなパパ」は未公開になっております。

1928年 – 27歳「オズワルドを巡るトラブルとミッキーの誕生」

ユニバーサルピクチャーズ

オズワルドを巡るトラブル

1928年、ウォルトは制作費の値上げなどの条件交渉を行うため、ユニバーサルへと出向きました。しかし、ミンツとユニバーサルはこれに応じず、さらには「制作費を下げないとアニメーターを引き抜く」という厳しい条件を突き付けられたのでした。

そして、ミンツの工作によりアニメーターが引き抜かれ、ウォルトがスタジオへ出向くと、アイワークスと助手の数人のみがスタジオに残っているという散々な状況でした。この一件により、オズワルドはユニバーサル側の物となり、2008年にディズニー側へ版権が戻されるまで、実に78年もの時間を擁しました。

ミッキーマウスと「蒸気船ウィリー」の公開

ウォルトは再起を図るべく、新たなキャラクターの制作に着手しました。その中で、これまでの作品に登場した「ネズミ」の敵キャラクターに着目し、ウォルトの原案の元、アイワークスがデザインなどを担当したキャラクター「ミッキー・マウス」が誕生しました。

その後、演出をウォルトが担当し、動きなどをアイワークスが担当する短編映画が制作されました。そして、トーキー映画の手法で制作されたミッキーのスクリーンデビュー作「蒸気船ウィリー」は好評を博し、今や世界的に有名なキャラクターへと成長を遂げました。

1932年 – 31歳「「花と木」でアカデミー短編アニメ賞を受賞」

花と木

シリー・シンフォニーシリーズ

ウォルトは「ミッキーシリーズ」に続く新たな短編アニメとして「シリー・シンフォニー」というシリーズを製作しますこのシリーズが誕生した裏には、編曲を担当したカール・スターリングと議論になった際に、音楽重視のシリーズを作ることで妥協したと言われています。

このシリーズには、有名な「三匹の子ブタ」やドナルドダックのデビュー作である「かしこいメンドリ」などがあります。また、カラー映画「花と木」は第5回アカデミー短編アニメ賞を受賞しました。

アイワークスとの別れ

この時期、ウォルトは事業拡大のため新人アニメーターを養成するアートスクールをスタジオ内に開講し、新しい技術などを教え込みました。ですが、新しいアニメーションを模索するあまり、周囲との衝突も度々起きておりました。

その結果、パートナーであるアイワークスが実業家パット・パワーズの誘いに乗り、ディズニー社を退社しアイワークスタジオを設立することになりました。しかし、アイワークス・スタジオはヒット作に恵まれずに倒産、様々な製作を経て、1940年代にディズニー社へ特殊効果技師として戻りました。

1937年 – 36歳「白雪姫の公開」

白雪姫

「白雪姫」の公開

1937年、グリム童話が原作の長編アニメーション「白雪姫」を公開しました。この作品は、4年の歳月と150万ドルという大規模な労力によって製作された作品です。ですが、当時は短編アニメが主流の時代であり、この作品に対し「ディズニーの道楽」と心無い言葉を投げかける人もいたそうです。

そして、映画館で公開されると瞬く間にヒットし、6100万ドルを記録するアニメ史に残る傑作となりました。この作品が日本で公開されたのは戦後の1950年の事で、漫画家である手塚治虫は「本作は50回以上見た」と回想しております。

大規模な従業員ストライキ

「白雪姫」の成功により、さらに事業の拡大を目論んだウォルトは1940年に「ピノキオ」「ファンタジア」といった作品を製作しました。しかし、第2次世界大戦の煽りを受け、ヨーロッパ市場が閉鎖されてしまい、「ファンタジア」は興行的に失敗に終わってしまいました。

さらに、簿給で労働していたアシスタントたちの不満が溜まり、1941年にはスタッフによる大規模なストライキが2か月にわたって行われました。このストライキはウォルトが南米旅行中に自体は妥結しました。それは、ディズニー社へ軍事干渉が行われたことです。

1941年 – 40歳「太平洋戦争勃発、プロパガンダ映画の制作」

空軍力の勝利

太平洋戦争

1941年12月8日に開戦した太平洋戦争。12月8日には真珠湾攻撃が決行されたことを受け、国内産業は戦時体制への協力を求められることになりました。映画産業にも協力が求められ、中でも、大衆に支持を受けていたディズニーはプロパガンダ映画の製作を行いました。

この背景には、ピノキオやファンタジアの失敗により借金を抱えていたため、それを返済するために映画の製作に乗り出した、という事象が存在します。結果として、この映画は成功を収め、経営も立て直すことが出来ました。

プロパガンダ映画の製作

戦時中にも「ダンボ」「バンビ」といった長編アニメーションの製作は続けられ、その傍らに政府によるプロパガンダ映画が数本製作されました。その中でも、1943年に公開された「空軍力の勝利」はアニメと実写を合成した作品で、日本本土へ空軍による爆撃を行うという過激な内容の物でした。

この作品に影響を受けたイギリス海軍の将校により、「ディズニーボム」という兵器が生み出されたという逸話が残っております。また、「総統の顔」という作品では枢軸側の主要人物を皮肉った描写が登場するなど、ファンタジーとかけ離れた作品がいくつか存在します。

1950年 – 49歳「「シンデレラ」の公開」

シンデレラ

「シンデレラ」の公開

「白雪姫」以降なかなかヒット作に恵まれなかったディズニー。「ピノキオ」や「バンビ」もヒット作とはならず、会社の負債も400万ドルほど抱えておりました。その中で、終戦後の1945年から構想段階にあったシャルル・ペローの童話「シンデレラ」の製作に取り掛かりました。

原作にない動物のキャラクターや、ミュージカル仕立てのシーンなどを盛り込んだ本作は大ヒットし、2億6千万ドルほどの興行収入を得ることが出来ました。ウォルトは生前、この作品を一番好きな作品であると公言しておりました。これは、ウォルト自身がシンデレラのような人生を歩んでいたから、という考察がされています。

「ディズニーランド」の構想

この時期になると、ウォルトは新たな事業をスタートさせようとします。それが、「親子で楽しめるテーマパークの開業」でした。きっかけとなったのは、娘たちを遊具で遊ばせている時に、自分だけがベンチに座って見ているという現状に気づき、親子で楽しめる場所を造るべきでは、と考えたことからでした。

ウォルトは、手始めにスタジオのあるロサンゼルスのバーバンクに「テーマパーク建設計画」を提出しました。しかし、騒音などの問題から却下されてしまいます。そこで、ウォルトはカリフォルニア州アナハイムに広大な土地を購入し、由芽への第一歩を踏み出したのでした。

1954年 – 53歳「テレビ番組「ディズニーランド」が放映」

ウォルトとディズニーランド図

テレビ番組「ディズニーランド」

大規模な建設のため、莫大な資金を集めるための手段として、ウォルトはABCテレビにて「ディズニーランド」という番組を放映しました。この番組では、「未来の国」「おとぎの国」「冒険の国」「開拓の国」という4つの国から一つをピックアップし、関連した内容を紹介するという紀行番組のようなテイストでした。

この番組は日本でも放映され、1958年から72年までの期間、日本テレビ系列で放映されました。この番組の成功により、ディズニーランドの資金を確保したディズニー社は1955年のディズニーランド開業の模様を生中継で放映しました。

1955年 – 54歳「ディズニーランド開業」

「わんわん物語」の公開

わんわん物語

1937年に、ディズニー・スタジオに所属していたジョー・グラントが原案を描いたラブストーリー。当初は浮浪者と貴婦人の恋物語という内容だったのですが、ウォルトがグラントの自宅を訪れた際に見た愛犬のスケッチを気に入り、犬の物語にしてみてはどうかと提案いたしました。

その後、意見の相違によりグラントはディズニー社を退社、このプロジェクトは別スタッフたちの手によって行われました。本作は、93.6万ドルの興行収入を記録、日本でも2回公開され、合計で4億円ほどの興行収入を記録しました。

ディズニーランド開業

ディズニーランド内のブロンズ像

1955年7月17日、カリフォルニア州アナハイムに世界初の「ディズニーランド」が開業いたしました。ウォルトは建設中、毎日この土地を訪れ、子供目線になってアトラクションなどをチェックし、建物などの配置を変更したという逸話が残されております。それだけ、このプロジェクトへの思いが強かったのでしょう。

開業セレモニーにはカリフォルニア州知事などが訪れ、来訪者の中には後の大統領であるロナルド・レーガンの姿もありました。この模様は番組「ディズニーランド」にて生中継され、全米に届けられました。開業後、様々なトラブルに見舞われながらも、1年で入場客数は400万人を突破いたしました。

1964年 – 63歳「「メリー・ポピンズ」の公開」

メリーポピンズ

「メリー・ポピンズ」

原作はパメラ・L・トラヴァースの児童文学。1934年から1988年の長期にわたって連載された人気シリーズで、バンクス夫妻の4人の子供達とその家庭教師であるメアリー・ポピンズの日常を描いた作品。2004年からはミュージカルとして上演され、日本でも2018年に上演されております。

本作を映画化する際、ウォルトは原作者のトラヴァースに映画科を申し込むも幾度となく拒否されました。この制作背景の模様は、2013年に公開された「ウォルトディズニーの約束」という作品で描かれております。その後、1964年に公開されるとその年の第37回アカデミー賞で最多13部門にノミネートされ、主演女優賞を含む5部門を受賞しました。

1966年 – 65歳「肺がんによる肺炎のため逝去」

フロリダ・ディズニーワールド

ディズニー・ワールド構想

1959年に、ディズニー社は2つ目のディズニーランドを建設することを発案しました。この時、ディズニーランドの来場者は、土地的に近い西海岸からの来客が多く、東海岸からの来客は少ないという上京でした。そこで、ウォルトは東海岸のフロリダ州オーランドに目をつけ、この地にランドよりも広大な「ディズニーワールド」を建設することを発表しました。

このワールド内にウォルトは、孫たちが安心して暮らせる近未来型の都市というコンセプトの「EPCOT」という未来都市計画を発案しました。ちなみに、EPCOTは現在もワールド内の一つのエリアとして存在します。

肺がんによる肺炎のため逝去

ジャングルブック

しかし、このころからウォルトは肺癌を患い、闘病生活を送っておりました。その中で、一度だけスタジオを訪れた際、スタッフたちはウォルトの病状の深刻さを痛感しました。そして、帰り際、いつもは「See You(またな)」と言っていたところ、「Good-bye(さよなら)」と言い残しました。

そして、1966年12月15日バーバンク市内の病院で、肺癌による肺炎のためウォルトはその人生に幕を下ろしました。翌年、遺作となった「ジャングル・ブック」が公開され、この作品は大きな反響を呼び、興行収入205.8万ドルを記録しました。

ウォルトディズニーの関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

創造の狂気・ウォルトディズニー

ウォルト・ディズニーについて描かれた伝記。全618ページと大ボリュームですが、上記で記述した以外の作品や周辺の人物との関係性など事細かに描かれている一冊です。

表には描かれない闇の部分についての記述があるのも特徴的です。

ウォルトディズニー 創造と冒険の生涯 完全復刻版

ウォルトディズニーの生涯について書いた伝記。兄であるロイとの関係性などが多く描かれていて、作品の設定や裏話なども記述されているディズニーファン必読の1冊です。

角川まんが学習シリーズ まんが人物伝 ウォルト・ディズニー

角川書店から刊行されている「まんが人物伝シリーズ」の1冊。子供向けの可愛らしいイラスト共に、その人物の偉業などを丁寧に描いた内容となっております。

コラムなども充実していて、子供でも読みやすい1冊となっております。

ウォルト・ディズニーをよく知れるおすすめ本12選【漫画や伝記、小説まで】

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トゥモローランドについて語るウォルト・ディズニー

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おすすめの映画

ウォルト・ディズニーの約束

パメラ・L・トラヴァースとウォルト・ディズニーの「メリー・ポピンズ」の制作秘話を描いた映画。
タイトルにウォルトの名前が記載されておりますが、この映画の主人公はトラヴァースです。

この映画では、芸術家としてのウォルト・ディズニーの一面が垣間見えます。

シンデレラ

ウォルト自身、一番好きな作品と公言した作品。2015年には実写映画化もされました。

ちなみに、ウォルトが好きなシーンはシンデレラのドレスアップのシーンだそうです。

メリー・ポピンズ

上記の「ウォルト・ディズニーの秘密」内で製作された映画。

2018年には54年ぶりとなる続編の「メリー・ポピンズ リターンズ」が公開されました。

関連外部リンク

ウォルトディズニーについてのまとめ

ウォルト・ディズニーというと夢の国を作った創造者としての一面と、愛国主義など政治的な暗い一面を併せ持った人物というイメージがありました。

しかし、その生涯を調べたことで、本質的に人を喜ばせることが好きな人物であったというのを感じました。彼の遺志を継いだディズニースタジオは今もなお、様々な作品を生み出し続けております。

また、多くの人が非日常を味わえる「夢の国」の魅力に惹かれる理由が少しだけ分かりました。これからも、ウォルト・ディズニーが生み出したエンターテイメントを家族や友人と共に楽しめる、平和な世の中でありたいですね。

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Q1/Q10
Question Image

ウォルトディズニーの名字「ディズニー」の由来となった地名は?

Q2/Q10
Question Image

ウォルトディズニーがアニメーターになる前にしていた仕事は?

Q3/Q10
Question Image

ミッキーマウスの原型となったキャラクター「オズワルド」のモチーフとなった動物は?

Q4/Q10

正式にミッキーというキャラクターの名前が正式決定する前、名づけられる予定だった別の名前がありました。それは次のうちどれ?

Q5/Q10

ウォルトディズニーがディズニーランド建設の資金を調達するために行ったことは?

Q6/Q10
Question Image

ディズニーランド内にある「メインストリートUSA」は、実在の町のメインストリートがモチーフになっています。それはどこにあるストリート?

Q7/Q10

夢の国の創設者ウォルトディズニーが持っていた意外な一面は次のうちどれ?

Q8/Q10

晩年ウォルトディズニーが毎朝好んで食べていたものは?

Q9/Q10

ウォルトディズニーが亡くなったとき起きた、ある出来事が大きな話題に。それは次のうちどれ?

Q10/Q10
Question Image

ウォルトディズニーの名言で正しいものは次のうちどれ?

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6 COMMENTS

名無し希望

紹介の口調「~おります」「~いたしました」などは自社や、身内の紹介をする場合に使うもので、このように第三者が紹介する場合は不適当なのではと思いました。違和感が大きく、気になってまともに読めませんでした。

内容はうまくまとめられていているのにもったいなかったです。

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京藤一葉

> 名無し希望さん
ご指摘ありがとうございます。
善処致します。
引き続きよろしくお願いします。

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