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ニュルンベルク裁判とは?経緯や問題点、判決など分かりやすく解説

「ニュルンベルク裁判って何?」
「何が発端で、結末はどうなったの?」
「その後はどんな影響があった?」

第二次世界大戦後ドイツで行われたニュルンベルク裁判は、後世に大きな影響を残す軍事裁判で現在では第二次世界大戦後に日本で行われた極東国際軍事裁判と合わせて二大国際軍事裁判と呼ばれています。ニュルンベルク裁判は第二次世界大戦後の国際法の発展にも大きく貢献した裁判です。

しかし、ニュルンベルク裁判はどんな罪状が挙げられたのか、一体なにを裁くために行われたのか、誰が容疑者なのかよくわからないという方も多いのではないでしょうか?

今回はそんなニュルンベルク裁判はどんな裁判だったのか、経緯や当時の評価、後世への影響などをご紹介します。

ニュルンベルク裁判とは

ニュルンベルク裁判 写真

ニュルンベルク裁判とは第二次世界大戦時のドイツ軍の戦争犯罪を裁くための裁判で、1945年11月20日から1946年10月1日までの約1年間行われました。まずは、ニュルンベルク裁判で挙げられた罪状と容疑者、開催国など裁判の内容について見ていきましょう。

第二次世界大戦の戦犯を裁くための裁判

ニュルンベルク裁判は第二次世界大戦の際に当時のナチスドイツが行った戦争犯罪を裁く裁判です。戦争犯罪というと定義の幅が広いですが、要約すると民間人を攻撃したり略奪をする行為、一般商船や医療施設の破壊など、戦争を理由に戦う意思や力を持たないものを脅かす行為のことを指します。

ニュルンベルク裁判では、当時ドイツの軍や政治を動かしていたナチス高官たちが平和に対する犯罪と戦争犯罪、人道に対する犯罪、そしてこの3つを共謀参画した罪に問われました。

これらの罪はどう定義づけられているかというと、平和に対する罪は正式な宣戦布告無しの「他国への侵略行為や戦争の参画、準備。」、人道に対する罪は「国家や集団による民族の絶滅等を目的とした虐殺や奴隷化などの非人道的行為。」などが罪状として挙げられます。当時のドイツはユダヤ人の迫害や他国への侵略などを行っているので、裁判でもこれらの罪を追求されました。

しかし、これらの法律が国際軍事裁判所憲章で成立したのは1945年8月8日です。ドイツが連合国軍に降伏したのは同年の5月7日なので、この法律はドイツが戦争で罪を犯した後に成立したものと言えます。

第二次世界大戦で行われた犯罪とは?

ナチ党党大会跡

それでは、第二次世界大戦のナチスドイツは具体的にどんな規約違反をしたのか振り返ってみましょう。

第二次世界大戦は1939年にドイツがポーランドに侵攻したことをきっかけに起こりますが、戦いに関してドイツはポーランドに宣戦布告をせずに戦争を仕掛けています。それからドイツはデンマークやノルウェーも占領していき、1940年には不可侵条約を破ってソ連に進行しました。そのため、この時点で平和に対する罪を犯していることになります。

また、それだけではなく当時ドイツの政権を握っていたドイツ労働党(ナチ党)のアドルフ・ヒトラーは反ユダヤを政策に掲げホロコーストを行いました。ホロコーストは当時のドイツ軍によるユダヤ人への虐殺行為や絶滅政策のことです。

ホロコーストではユダヤ人を捕まえて強制収容所に閉じ込め、強制労働を行わせたりガス室で直接殺害したりなど、非人道的な行為が日常的に行われていました。最終的に犠牲者数は諸説ありますが虐殺だけでなく収容所や強制郎度で死亡した人数を含めると、最低でも200万人は死亡しています。ニュルンベルク裁判ではこのホロコーストに関してもドイツの罪が問われました。

裁判の内容

ニュルンベルク裁判 写真

ニュルンベルク裁判では本来であればドイツ労働党を指揮していた重要人物24名を法廷で裁く予定でしたが、そのうち2名は捕縛される前に自殺を図ってしまったので、自殺したアドルフ・ヒトラーの後継者と言われていたヘルマン・ゲーリングを含む22名が法廷に立ちました。

裁判では4人の裁判官と検察官、当時のナチスドイツに残されていた記録文書や裁判資料からドイツ軍が行ったホロコーストの全容の事実確認と、誰に責任があるのかの追求を行います。そして、最終的には22人の容疑者のうち12人は死刑判決が下りました。この大規模な裁判は世界各国に注目されることとなり、裁判時には400人を超える傍聴人が訪れて23カ国の国々から記者が審理を傍聴しています。

また、ニュルンベルク裁判の判決後には、下士官や下級役人による犯罪を裁く軍事裁判が世界各国で開かれ、1946年12月にはニュルンベルク継続裁判というその他高官による犯罪を裁く裁判も行われました。

裁判が行われた場所と参加した国

ドイツの都市・ニュルンベルク

ニュルンベルク裁判はドイツにあるニュルンベルクという都市で行われました。法廷は当時のドイツ労働党が党大会のために使用していた大会議場が舞台となっています。

第二次世界大戦後、ドイツの首都ベルリンは戦争の影響で民家や施設などがほとんど崩壊していて、大人数を収容できるような会議場はありませんでした。そのため、ニュルンベルクで辛うじて焼け残っていたこの大会議場が選ばれることとなったのです。

判決を行った裁判官はアメリカ、フランス、ソ連、イギリスから数名選ばれていて、裁判長は当時のイギリスで正判事を務めていたジェフリー・ローレンスが行いました。被告側は自分で弁護人を選ぶ権利が認められていますが、人種はドイツ人弁護士に限定されています。

ニュルンベルク継続裁判とは

ニュルンベルク継続裁判 医者裁判

ニュルンベルク裁判は1946年10月1日に終了していますが、その後にはニュルンベルク継続裁判という裁判が行われ、ここでもナチスドイツの高官が裁かれています。ここではそんなニュルンベルク継続裁判の詳細についてご紹介します。

ニュルンベルク裁判の後に行われた継続裁判

ニュルンベルク継続裁判は1946年12月9日から1948年10月28日まで行われたアメリカ合衆国による裁判です。ニュルンベルク裁判はナチスドイツによる戦犯の主要的な容疑者を裁くための裁判なので、それ以外の戦犯に関しての審理は行っていません。そのため、この裁判はニュルンベルク裁判では取り上げられなかった第二次世界大戦時に行われた犯罪を別々に審理して判決を下すものでした。

ニュルンベルク継続裁判は一つの裁判を約2年に渡って審理していたわけではなく、被告や実行した国が別々で、数か月の裁判を同時多発的に行っているのでそれぞれ内容が異なります。なぜ別々に裁判を行ったかというと、第二次世界大戦当時のドイツは宣戦布告無しの侵攻やユダヤ人の迫害だけでなく人体実験や安楽死、民間人の虐殺なども各地で行っていたので関係している人間が多かったのが理由として挙げられます。

これらの犯罪を実際に実行した人間は上官や軍の命令で仕方なく行った人も多く、全ての人間に同じ重さの責任があるとは言えません。そのため、責任の所在を追求するのが難しく、被告の中には関係のない人物が混ざっていることもあったので、無罪判決が下った人物も存在します。また、この裁判で有罪になった被告はその後ドイツのバイエルン州にあるランツベルク刑務所で懲役または処刑されました。

回数は12回に及んだ

テルフォード・テイラー将軍 写真

ニュルンベルク継続裁判の回数は全部で12回、主任検察官はアメリカのテルフォード・テイラー将軍が務めています。この一連の裁判の被告の数は総勢183名にも昇りました。罪状は様々ですが、主に当時人体実験の当事者だった医師や政治家、軍司令部の高官などがこの裁判で罪に問われています。

その中でも、大臣裁判というナチスドイツで政治的指導者であった人々を裁く裁判ではドイツの大物の政治家や指揮官が相次いで罪に問われたので多くの注目を集めました。また、一番最初の医師裁判ではナチスドイツの軍で重い役割を果たしていた軍医または医療関係者23名が集められています。

主に罪に問われた内容は戦争犯罪と人道に対する犯罪を共謀したこと、本人の同意なしでの人体実験、安楽死計画などです。起訴された被告のほとんどは親衛隊にも所属していて軍の中でもかなり重要な立ち位置を担っていたのでその約半数は死刑または終身刑などの重い刑罰が下っています。

ニュルンベルク継続裁判は最終的に、罪に問われた人々の中の12人に死刑判決と8人に終身刑、77人に懲役刑が下りました。残りの人々のほとんどは無罪となりましたが中には判決が下る前に自殺した被告も存在します。また、判決が下ってから後に減刑になった人物もいました。

ニュルンベルク裁判はなぜ「勝者の裁き」と言われたのか?

ニュルンベルク裁判 画像

ニュルンベルク裁判は国際法の発展に大きく貢献する出来事でしたが、この裁判については「勝者の裁き」、「押し付け論」などと呼ばれていることもあります。それでは、ニュルンベルク裁判はどうして「勝者の裁き」と言われたのか、問題点と後世に与えた影響を見ていきましょう。

ニュルンベルク裁判の3つの問題点

ニュルンベルク裁判の問題点は大きく3つに分かれます。こちらではその3つの問題点についてご紹介していきます。

1.裁判で適用された罪状が事後法であった

まず一つ目は、ニュルンベルク裁判で告訴した人道に対する罪などが提唱されたのは1945年で第二次世界大戦終結後です。欧州の法律の原則として法令が出来上がる前の出来事に関しては責任を追求できないという考え方があります。この考え方を基盤とすると国際法ができたのは第二次世界大戦後になるので、「今ある法律で裁くべきなのでは?」という意見があり、「事後法」と非難されました。

2.裁判官が全員戦勝国から選出された

裁判官の選出に偏りがあった

2つ目はニュルンベルク裁判の裁判官が全員戦勝国の人間から選出されていることにあります。もちろん裁判官の人間性に問題があると言わけではありませんが、裁判の判決を下す裁判官が戦勝国の人間から選ばれた場合、本人にそのつもりがなくても公正な判断を下すのが難しいのでは?という意見もあったのです。実際にアメリカの裁判官の中では「公平性に欠ける。」という理由で辞退した人も存在します。

3.戦勝国が犯した罪に関しては言及されなかった

また、ニュルンベルク裁判では民間人への無差別攻撃や一方的な侵攻などが平和に対する罪として裁かれました。しかし、この罪は敗戦国だけでなく連合国やその他の国も犯しています。特に1939年代にはフランスやイギリスもドイツに一方的な宣戦布告で戦争を仕掛けたり、第二次世界大戦時には無差別爆撃などを行っていました。しかし、戦勝国はこれらの不法行為に関しては一切罪に問われていません。つまり、敗戦国のドイツは断罪されたのに、戦勝国の国々は犯した罪を不問にされたのです。

このような理由から、第二次世界大戦後のニュルンベルク裁判は戦勝国が自分の正義を敗戦国に押し付ける、いわゆる「勝者の裁き」と呼ばれることになりました。

ニュルンベルク裁判と日本の関連性

東京国際軍事裁判 写真

第二次世界大戦後はニュルンベルク裁判と動揺に日本でも東京国際軍事裁判(極東国際軍事裁判)という裁判も行われました。この裁判でも第二次世界大戦の日本の戦犯が罪に問われ、当時の日本軍でも重役だった26人が告訴されました。

しかし、東京国際軍事裁判で選出された裁判官の中には戦勝国だけではなくインドなど日本との戦争に直接関係のない中立国からも派遣されました。さらに、ニュルンベルク裁判では弁護人はドイツ人からしか選出されなかったという事実がありますが、この裁判では日本だけでなくアメリカ人の弁護団も裁判に参加しています。これはニュルンベルク裁判と同じような公平性に欠けるという批判を避けるための手段だったともいわれています。

また、東京国際軍事裁判では告訴された人間のほとんどは終身刑または死刑という重い判決が下りました。

ニュルンベルク裁判が後世に与えた影響

ベルリンの壁

上記のようにニュルンベルク裁判は公平性に欠けるという観点で見るとあまり良い印象はありません。しかし、この裁判をきっかけとして国際法の定義が明確化したことは事実です。第二次世界大戦以前まではこのような国際的なルールというものが曖昧だったため、いつ戦争が起こってもおかしくはないという状況でした。

けれど、第二次世界大戦後に国際法で戦争犯罪に関するルールがしっかりと決められたことで、国際連合に加入した国が法律違反をした場合は他の国々で集団制裁を与えるという集団安全保障のシステムの基盤にもなりました。そのため、ニュルンベルク裁判は、その後の世界平和を構築するための法律作りに大きく貢献したとも言えます。

また、ニュルンベルク裁判後の1949年にはそれまで4カ国で管理されていたドイツは東西に分かれてベルリンの壁が作られます。この分断は1990年のドイツ統一まで続きました。この出来事が後のベルリンの壁崩壊です。

ニュルンベルク裁判をよく知れるおすすめ映画、本

最後にニュルンベルク裁判をよく知れる映像作品や本をご紹介します。

ニュルンベルク裁判の映画・ドラマ

こちらではニュルンベルク裁判の映画やドラマなどの映像作品をご紹介します。当時の時代背景や裁判の雰囲気などを知りたい時におすすめです。

ニュルンベルク裁判~人民の裁き

「ニュルンベルク裁判~人民の裁き」は1946年に制作されたドキュメンタリー映画で、ニュルンベルク裁判の実際の映像が使用されている貴重な作品です。

内容はソ連側から見たニュルンベルク裁判でナレーションや解説などはソ連寄りのものとなっているので、若干偏った内容とも言えます。しかし、実際の裁判の映像や雰囲気などを知りたいという場合にはおすすめの作品です。ただし、実際の死体や骸骨などショッキングな映像も含まれているので苦手な方は注意しましょう。

ニュールンベルグ軍事裁判 ヒトラー第三帝国最後の審判

ニュールンベルグ軍事裁判ヒトラー第三帝国最後の審判は2013年に作られたドラマで比較的新しい映像作品なので、白黒の映画を見るのが苦手な方やストーリー性のある物語でニュルンベルク裁判を知りたい方におすすめです。この作品はニュルンベルク裁判の映像作品の中でも比較的中立に近い視点で、当時の戦犯の言い分や証人の主張、主任検察官の葛藤などがリアルに描かれています。そのため、ストーリー重視で映像作品を見たい方にも向いている作品です。

ニュルンベルク裁判の本

ニュルンベルク裁判 アンネット・ヴァインケ著

アンネット・ヴァインケ著のニュルンベルク裁判は、ニュルンベルク裁判からその後の継続裁判までの経緯などをまとめた翻訳本となっていて、作者はドイツ人で学者を務めています。この本はニュルンベルク裁判の一連の流れが簡単に記載されているので、裁判の内容を概略だけでも知りたいという方におすすめです。

ニュルンベルク軍事裁判 ジョゼフ・E・パシフィコ著

ジョゼフ・E・パシフィコ著のニュルンベルグ軍事裁判は上下巻に分かれていている本です。この本はニュルンベルク裁判の経緯だけでなく拘置所で過ごす被告の様子やそれぞれの人物像なども描かれています。また、物語風で連合国の視点から見たニュルンベルク裁判を描いているので、内容に入り込みやすく、読んでる途中で挫折しにくいのが魅力の作品です。

ニュルンベルク裁判に関するまとめ

いかがでしたでしょうか。今回は第二次世界大戦後のナチス戦犯を裁くニュルンベルク裁判の内容について簡単にご紹介しました。

ニュルンベルク裁判は被告や罪状の数が多く、期間も長いため複雑で分かりにくい出来事です。また、公平性に欠けるため後世ではあまり評価の良くない裁判と言えるでしょう。しかし、この裁判がきっかけで現在の国際連盟の安全保障システムの起訴が作られるという事実だけでも、意義がある出来事でもあります。

この記事によって沢山の方が国際法やニュルンベルク裁判に興味を持っていただければ幸いです。

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